「逃亡犯条例」の改正問題に端を発した香港の政治・社会的な混乱は、早いもので 9日で 5カ月を迎えました。
一向に収まる気配はなく、むしろエスカレートし、「反香港政府」から「反中国共産党」へ、「反林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官」から「反習近平国家主席」へ、デモ参加者たちのスローガンは変質しているのですね。
習指導部は、どう対処するつもりなのか。
今や、香港市民たちの抗議活動はデモのレベルを超え、中国当局からみれば「反乱」であり、香港側からみれば、共産党支配に対する「レジスタンス」(抵抗運動)の域に発展。
今後どうなるのか。そして日本はどう対処すべきなのでしょうか。
デモの転換点は、7月 1日と21日だったと、産経・藤本欣也副編集長。
返還記念日の 7月 1日、若者たちが立法会に突入して議場を徹底的に破壊し、平和裏に行われてきたデモの風向きが変わった。若者たちは以後、過激な行動で政府に圧力をかけるようになっていった。
香港で一国二制度が保証されているのは返還50年後の2047年まで。現在10~20代の若者たちは30代後半~50代中盤の働き盛りのときに、中国に完全にのみ込まれてしまうことになるのですね。
もっとも、習近平の独裁体制がその時まで続くのかとの声も少なくないのですが。
返還後、(1)中国本土からの移民の流入によって就職難に拍車が掛かっている (2)中国マネーによって不動産価格が高騰しマイホームを諦めざるを得なくなっている-など、若者たちを取り巻く厳しい環境も彼らを激しいデモに駆り立てていると。
一方、中国政府側は、香港の存在価値の金融拠点を香港以外に移転させるべく進めているとの情報も聞かれますね。香港の資産家は、国外への資産移転を進めているとも。
そうなると、上記の変換後の若者たちの不安は、より一層深刻!
7月21日、デモ隊はついに一線を越えたと、藤本副編集長。
中国政府の香港出先機関、香港連絡弁公室を包囲し、中国の国章に黒い液体をかけるなどしたのですね。
同じ日、暴力団員とみられる白シャツ姿の男100人以上がデモ帰りの若者らに襲いかかり、45人が負傷する事件も発生。対する警察の挙動が不審を招く事態に。
以後、反中デモが激しくなっていったのですね。
建国70周年を迎えた10月 1日、香港で組織された反中デモでは「一日も早い中国の滅亡と習近平(国家主席)の死を願う」と書かれたビラがまかれていたのだそうです。
かつての天安門事件の時の様に、強引な武力行使での鎮圧ができない中国政府。
公然と習氏を批判できることこそ「二制度」が香港で機能している証左だといえると藤本副編集長。
ただ、現状は中国当局が許容できる一国二制度ではないとも。
一国二制度をなし崩し的に早めようとする習近平。それに抵抗する香港の若者を中心とする市民。
2047年には、どちらが生き残っているのでしょう。
日本がどう対処すべきかについて、藤本副編集長は、次の様に締めておられます。
香港への圧力を強める共産党に対し、自由の擁護と民主化を求めてやまない香港市民たち。日本政府は旗幟を鮮明にすべきときだと。
# 冒頭の画像は、香港のデモ隊を襲撃した白シャツの男たち。
サンシュユの果実
↓よろしかったら、お願いします。
一向に収まる気配はなく、むしろエスカレートし、「反香港政府」から「反中国共産党」へ、「反林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官」から「反習近平国家主席」へ、デモ参加者たちのスローガンは変質しているのですね。
習指導部は、どう対処するつもりなのか。
今や、香港市民たちの抗議活動はデモのレベルを超え、中国当局からみれば「反乱」であり、香港側からみれば、共産党支配に対する「レジスタンス」(抵抗運動)の域に発展。
今後どうなるのか。そして日本はどう対処すべきなのでしょうか。
【解読】香港、強まる反共スローガン デモからレジスタンスへ 副編集長・藤本欣也 - 産経ニュース 2019.11.9
■「一国」の危機 焦る北京
「逃亡犯条例」の改正問題に端を発した香港の政治・社会的な混乱は9日で5カ月を迎える。「反香港政府」から「反中国共産党」へ、「反林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官」から「反習近平国家主席」へ、デモ参加者たちのスローガンは変質した。党の重要会議、第19期中央委員会第4回総会(4中総会)で香港問題を集中討議した習指導部は、どう対処するつもりなのか。
◇
中国国営通信社、新華社香港支社は、英領時代の香港において中国の代表部といえる存在だった。
繁華街、湾仔(ワンチャイ)にある同支社ビルが今月2日、デモ隊に襲撃された。入り口の大きなガラスが破壊され、火が放たれた。外壁には「駆逐 共匪」(共産党の賊どもを追い出せ)、近くの停留所には「打倒 共産党」と殴り書きされていた。香港の時代の移り変わりを象徴する光景を、市民が驚いたように見つめていた。
発端は、香港から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案への反対デモだった。6月9日に103万人(主催者発表)のデモが行われ、一連の混乱が始まった。16日のデモは、香港史上最多の200万人(同)に膨れ上がった。
ただ、6月の時点でデモ参加者の批判の矛先は、香港政府やトップの林鄭氏に向かっていた。現場で中国政府や習氏への批判はほとんど聞かれなかった。
「北京(中国政府)を直接非難するのは(政治デモの)策略としてよくないことを香港市民は知っている。より大きな圧力を招きかねないからだ」
香港の政治評論家、劉鋭紹氏はこう話していた。
香港のデモ参加者は「和理非(平和、理性、非暴力)派」と「勇武(武闘)派」に大別される。劉氏の見方は和理非派の論理といえた。1997年の返還以降、高度の自治が保障された香港における「一国二制度」の擁護や、選挙制度の民主化に失敗してきた民主派勢力の論理でもある。
転換点は、7月1日と21日だった。
返還記念日の7月1日、若者たちが立法会(議会に相当)に突入して議場を徹底的に破壊し、平和裏に行われてきたデモの風向きが変わる。若者たちは以後、火炎瓶やブロックの破片を警官隊に投げたり、駅構内を破壊したりするなど、過激な行動で政府に圧力をかけるようになっていく。
◆ついに一線を越え
香港で一国二制度が保証されているのは返還50年後の2047年までだ。現在10~20代の若者たちは30代後半~50代中盤の働き盛りのときに、中国に完全にのみ込まれてしまう。
こうした将来の不安に加え、返還後、(1)中国本土からの移民の流入によって就職難に拍車が掛かっている(2)中国マネーによって不動産価格が高騰しマイホームを諦めざるを得なくなっている-など、若者たちを取り巻く厳しい環境も彼らを激しいデモに駆り立てた。
79日間続いた14年の香港民主化運動「雨傘運動」では、和理非派とそれ以外のグループで路線対立が起き、政府の譲歩を得られないまま強制排除された苦い経験がある。この反省から今回は、普通選挙の実現など「5大要求」を両派の最大公約数とし、互いの批判を抑制した。
そして7月21日、デモ隊はついに一線を越えた。香港政府の背後にひかえる中国政府の香港出先機関、香港連絡弁公室を包囲し、中国の国章に黒い液体をかけるなどした。
同じ日、暴力団員とみられる白シャツ姿の男100人以上がデモ帰りの若者らに襲いかかり、45人が負傷する事件も起きた。警察が駆けつけたのは男らが逃げた後。事件前、親中派の立法会議員が白シャツ姿の男と会っていたことも判明し、「警察への不信感とともに、親中派や中国への反感が高まった」(民主派の立法会議員)。
出先機関の襲撃に中国政府は猛反発したものの、若者たちは動じず、反中デモは激しくなっていった。今では、中国を真っ向から批判するプラカードや横断幕を掲げる中高年のデモ参加者も多い。ナチスと中国を同一視した「CHINAZI」という造語や、「全民抗共!」「天滅中共、天滅支那!」といったスローガンも叫ばれている。
共産中国が建国70周年を迎えた10月1日、香港で組織された反中デモでは「一日も早い中国の滅亡と習近平(国家主席)の死を願う」と書かれたビラがまかれていた。また、遺影仕立ての習氏の写真が路上に張り付けられ、デモ参加者らが踏みつけていた。
いずれも中国本土では政権転覆容疑などで即刻逮捕される重大な犯罪行為だ。一国二制度下の香港では「二制度」の危機が叫ばれてきたが、もはや「一国」も破綻しつつある。住民たちがこれほど口を極めて、自らの国家元首をののしる街は中国のどこにもない。
もっとも、公然と習氏を批判できることこそ「二制度」が香港で機能している証左だといえる。ただ、現状は中国当局が許容できる一国二制度ではない。
◆日本は旗幟(きし)鮮明に
習氏は今月4日、上海で林鄭氏と会談し、「法に基づき暴力活動を処罰すること」を命じ、一層の厳しい対応を求めた。6日には韓正副首相が北京で林鄭氏と会談、香港問題を討議した4中総会の決定事項を通達した。
4中総会をめぐり、香港では「行政長官の任免制度の改善」に関心が集まっていた。英紙フィナンシャル・タイムズが10月23日、中国政府が来年3月までに林鄭氏を更迭することを検討していると報じたためだ。
今回、習氏は林鄭氏に「高い信頼を置いている」とも述べ、更迭説の火消しを図った。しかし、「もし中国政府が林鄭氏を支持しているのなら、なぜ任免制度を改善する必要があるのか」(胡志偉民主党主席)などの意見もあり、更迭説はくすぶり続けている。
4中総会のコミュニケで示された「国家の安全を守るための法律」の構築方針についても、香港では「国家安全条例の制定を改めて香港当局に迫ったものだ」と受け止められている。
国家安全条例に関しては、基本法23条で「香港は国家分裂や反乱の扇動、政権転覆を禁じる法律を自ら制定しなければならない」と規定されているが、棚上げ状態となっている。もし制定されれば、反中デモの再発防止になる。
そこで中国政府は、立法会の手続きが必要のない緊急状況規則条例(緊急法)などを使って、林鄭氏に徹底的に抗議活動を弾圧させた後、「後任の行政長官に国家安全条例の制定を推進させるのではないか」(政治評論家の林和立氏)などの見方もある。
今や、香港市民たちの抗議活動はデモのレベルを超えた。中国当局からみれば「反乱」であり、香港側からみれば、共産党支配に対する「レジスタンス」(抵抗運動)である。市民たちのかけ声も「香港人、頑張れ!」から、「香港人、抵抗せよ!」に変わった。
これまでの拘束者は3千人超。3分の1が学生だ。市民たちは運動が押さえ込まれれば、中国当局による容赦のない報復が待っていることを、1989年の天安門事件で知っている。若者たちの「もはや引き返せない」との思いが行動をより先鋭化させる。
香港への圧力を強める共産党に対し、自由の擁護と民主化を求めてやまない香港市民たち。日本政府は旗幟を鮮明にすべきときだ。
■「一国」の危機 焦る北京
「逃亡犯条例」の改正問題に端を発した香港の政治・社会的な混乱は9日で5カ月を迎える。「反香港政府」から「反中国共産党」へ、「反林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官」から「反習近平国家主席」へ、デモ参加者たちのスローガンは変質した。党の重要会議、第19期中央委員会第4回総会(4中総会)で香港問題を集中討議した習指導部は、どう対処するつもりなのか。
◇
中国国営通信社、新華社香港支社は、英領時代の香港において中国の代表部といえる存在だった。
繁華街、湾仔(ワンチャイ)にある同支社ビルが今月2日、デモ隊に襲撃された。入り口の大きなガラスが破壊され、火が放たれた。外壁には「駆逐 共匪」(共産党の賊どもを追い出せ)、近くの停留所には「打倒 共産党」と殴り書きされていた。香港の時代の移り変わりを象徴する光景を、市民が驚いたように見つめていた。
発端は、香港から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案への反対デモだった。6月9日に103万人(主催者発表)のデモが行われ、一連の混乱が始まった。16日のデモは、香港史上最多の200万人(同)に膨れ上がった。
ただ、6月の時点でデモ参加者の批判の矛先は、香港政府やトップの林鄭氏に向かっていた。現場で中国政府や習氏への批判はほとんど聞かれなかった。
「北京(中国政府)を直接非難するのは(政治デモの)策略としてよくないことを香港市民は知っている。より大きな圧力を招きかねないからだ」
香港の政治評論家、劉鋭紹氏はこう話していた。
香港のデモ参加者は「和理非(平和、理性、非暴力)派」と「勇武(武闘)派」に大別される。劉氏の見方は和理非派の論理といえた。1997年の返還以降、高度の自治が保障された香港における「一国二制度」の擁護や、選挙制度の民主化に失敗してきた民主派勢力の論理でもある。
転換点は、7月1日と21日だった。
返還記念日の7月1日、若者たちが立法会(議会に相当)に突入して議場を徹底的に破壊し、平和裏に行われてきたデモの風向きが変わる。若者たちは以後、火炎瓶やブロックの破片を警官隊に投げたり、駅構内を破壊したりするなど、過激な行動で政府に圧力をかけるようになっていく。
◆ついに一線を越え
香港で一国二制度が保証されているのは返還50年後の2047年までだ。現在10~20代の若者たちは30代後半~50代中盤の働き盛りのときに、中国に完全にのみ込まれてしまう。
こうした将来の不安に加え、返還後、(1)中国本土からの移民の流入によって就職難に拍車が掛かっている(2)中国マネーによって不動産価格が高騰しマイホームを諦めざるを得なくなっている-など、若者たちを取り巻く厳しい環境も彼らを激しいデモに駆り立てた。
79日間続いた14年の香港民主化運動「雨傘運動」では、和理非派とそれ以外のグループで路線対立が起き、政府の譲歩を得られないまま強制排除された苦い経験がある。この反省から今回は、普通選挙の実現など「5大要求」を両派の最大公約数とし、互いの批判を抑制した。
そして7月21日、デモ隊はついに一線を越えた。香港政府の背後にひかえる中国政府の香港出先機関、香港連絡弁公室を包囲し、中国の国章に黒い液体をかけるなどした。
同じ日、暴力団員とみられる白シャツ姿の男100人以上がデモ帰りの若者らに襲いかかり、45人が負傷する事件も起きた。警察が駆けつけたのは男らが逃げた後。事件前、親中派の立法会議員が白シャツ姿の男と会っていたことも判明し、「警察への不信感とともに、親中派や中国への反感が高まった」(民主派の立法会議員)。
出先機関の襲撃に中国政府は猛反発したものの、若者たちは動じず、反中デモは激しくなっていった。今では、中国を真っ向から批判するプラカードや横断幕を掲げる中高年のデモ参加者も多い。ナチスと中国を同一視した「CHINAZI」という造語や、「全民抗共!」「天滅中共、天滅支那!」といったスローガンも叫ばれている。
共産中国が建国70周年を迎えた10月1日、香港で組織された反中デモでは「一日も早い中国の滅亡と習近平(国家主席)の死を願う」と書かれたビラがまかれていた。また、遺影仕立ての習氏の写真が路上に張り付けられ、デモ参加者らが踏みつけていた。
いずれも中国本土では政権転覆容疑などで即刻逮捕される重大な犯罪行為だ。一国二制度下の香港では「二制度」の危機が叫ばれてきたが、もはや「一国」も破綻しつつある。住民たちがこれほど口を極めて、自らの国家元首をののしる街は中国のどこにもない。
もっとも、公然と習氏を批判できることこそ「二制度」が香港で機能している証左だといえる。ただ、現状は中国当局が許容できる一国二制度ではない。
◆日本は旗幟(きし)鮮明に
習氏は今月4日、上海で林鄭氏と会談し、「法に基づき暴力活動を処罰すること」を命じ、一層の厳しい対応を求めた。6日には韓正副首相が北京で林鄭氏と会談、香港問題を討議した4中総会の決定事項を通達した。
4中総会をめぐり、香港では「行政長官の任免制度の改善」に関心が集まっていた。英紙フィナンシャル・タイムズが10月23日、中国政府が来年3月までに林鄭氏を更迭することを検討していると報じたためだ。
今回、習氏は林鄭氏に「高い信頼を置いている」とも述べ、更迭説の火消しを図った。しかし、「もし中国政府が林鄭氏を支持しているのなら、なぜ任免制度を改善する必要があるのか」(胡志偉民主党主席)などの意見もあり、更迭説はくすぶり続けている。
4中総会のコミュニケで示された「国家の安全を守るための法律」の構築方針についても、香港では「国家安全条例の制定を改めて香港当局に迫ったものだ」と受け止められている。
国家安全条例に関しては、基本法23条で「香港は国家分裂や反乱の扇動、政権転覆を禁じる法律を自ら制定しなければならない」と規定されているが、棚上げ状態となっている。もし制定されれば、反中デモの再発防止になる。
そこで中国政府は、立法会の手続きが必要のない緊急状況規則条例(緊急法)などを使って、林鄭氏に徹底的に抗議活動を弾圧させた後、「後任の行政長官に国家安全条例の制定を推進させるのではないか」(政治評論家の林和立氏)などの見方もある。
今や、香港市民たちの抗議活動はデモのレベルを超えた。中国当局からみれば「反乱」であり、香港側からみれば、共産党支配に対する「レジスタンス」(抵抗運動)である。市民たちのかけ声も「香港人、頑張れ!」から、「香港人、抵抗せよ!」に変わった。
これまでの拘束者は3千人超。3分の1が学生だ。市民たちは運動が押さえ込まれれば、中国当局による容赦のない報復が待っていることを、1989年の天安門事件で知っている。若者たちの「もはや引き返せない」との思いが行動をより先鋭化させる。
香港への圧力を強める共産党に対し、自由の擁護と民主化を求めてやまない香港市民たち。日本政府は旗幟を鮮明にすべきときだ。
デモの転換点は、7月 1日と21日だったと、産経・藤本欣也副編集長。
返還記念日の 7月 1日、若者たちが立法会に突入して議場を徹底的に破壊し、平和裏に行われてきたデモの風向きが変わった。若者たちは以後、過激な行動で政府に圧力をかけるようになっていった。
香港で一国二制度が保証されているのは返還50年後の2047年まで。現在10~20代の若者たちは30代後半~50代中盤の働き盛りのときに、中国に完全にのみ込まれてしまうことになるのですね。
もっとも、習近平の独裁体制がその時まで続くのかとの声も少なくないのですが。
返還後、(1)中国本土からの移民の流入によって就職難に拍車が掛かっている (2)中国マネーによって不動産価格が高騰しマイホームを諦めざるを得なくなっている-など、若者たちを取り巻く厳しい環境も彼らを激しいデモに駆り立てていると。
一方、中国政府側は、香港の存在価値の金融拠点を香港以外に移転させるべく進めているとの情報も聞かれますね。香港の資産家は、国外への資産移転を進めているとも。
そうなると、上記の変換後の若者たちの不安は、より一層深刻!
7月21日、デモ隊はついに一線を越えたと、藤本副編集長。
中国政府の香港出先機関、香港連絡弁公室を包囲し、中国の国章に黒い液体をかけるなどしたのですね。
同じ日、暴力団員とみられる白シャツ姿の男100人以上がデモ帰りの若者らに襲いかかり、45人が負傷する事件も発生。対する警察の挙動が不審を招く事態に。
以後、反中デモが激しくなっていったのですね。
建国70周年を迎えた10月 1日、香港で組織された反中デモでは「一日も早い中国の滅亡と習近平(国家主席)の死を願う」と書かれたビラがまかれていたのだそうです。
かつての天安門事件の時の様に、強引な武力行使での鎮圧ができない中国政府。
公然と習氏を批判できることこそ「二制度」が香港で機能している証左だといえると藤本副編集長。
ただ、現状は中国当局が許容できる一国二制度ではないとも。
一国二制度をなし崩し的に早めようとする習近平。それに抵抗する香港の若者を中心とする市民。
2047年には、どちらが生き残っているのでしょう。
日本がどう対処すべきかについて、藤本副編集長は、次の様に締めておられます。
香港への圧力を強める共産党に対し、自由の擁護と民主化を求めてやまない香港市民たち。日本政府は旗幟を鮮明にすべきときだと。
# 冒頭の画像は、香港のデモ隊を襲撃した白シャツの男たち。
サンシュユの果実
↓よろしかったら、お願いします。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した
一方、救助に奔走したのは米国のみであった
なお、米国機関で改めて調査を行ったところ、御巣鷹での救助に行って日露勢力に撃墜された米軍機は乙女湖に沈められていることが新たに分かった。乙女湖に沈められている救助の米軍機の上に、攻めてきて墜落したソ連軍機mig25が沈められた状態となっている。
また、乙女湖への水棺を目撃した地域住民や登山者が日本の山梨県警察及び警察予備隊北富士に惨殺され、クリスタルライン沿道に埋設されている惨殺遺体は500体を越える大変な事態となっていたことが新たに分かった。例えば、日本の警察予備隊北富士に虐殺されクリスタルライン沿道に埋められていた惨殺遺体を米軍で調査したところ、東京23区内にある有名高校の女学生17名と引率の先生3名であることが分かった。
また、昭和天皇がご搭乗されていたことが新たに分かった。
JAL123便にミサイルを打ち込んだF4は日本の警察予備隊習志野の小林パイロットであった。
http://adoi.hatenablog.com/entry/2019/08/24/170856
警察コンツェルンによる日本政府並びに皇室へのクーデターで警察予備隊北富士が日本の首都東京に侵攻し日本国政府及び皇室を制圧し警察政権を目指す動きであった。警察予備隊千歳及び北海道警察も虐殺に加わっていたため詳細を調査中である
http://boosuka-asuka.hatenablog.com/entry/2019/09/21/151721
なお、先日、扇平山ふもとを調査したところ日本国の内調系で情報収集に入っていて警察らに殺害された一団の遺体等も確認されたため日本政府に対するクーデターの詳細も調査中である。もちろん、高天原山付近での「ソ連製水爆」は、日本の北海道で製造している
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/d0b8f5c9f5a03130097e272f42bab82d