毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

揺さぶられたぁ

2011年11月01日 19時24分37秒 | ふと思うこと
9月2日の日記。

次にブログを開くまで、その存在をすっかり忘れてました。

まさかあのあと あんなことになろうとは。

妄想に振り回されないと心に決めた その少しあと、妄想をはるかに超えた事態に直面するハメに。

荒天の中にも美しさはあったけど、その一方で 自然とはすさまじく破壊的にもなるものなのだと思い知らされました。



なかなか進まない台風12号の記録的大雨による 3日夕方から4日未明にかけての集落の浸水と、停電と土砂降りの中での 公民館から隣の小学校への避難場所の集団移動。

4日午前、やっと水が引き始めたと思ったら、今度は本流熊野川に流れ込む 集落横の支流の上流斜面崩落による土石流騒ぎで、降り続く雨の中 小学校の裏山に避難。
杉木立の中 リュック背負って傘をさし 疲労と寝不足で意識もうろうとなりながら3時間ほど過ごし、やっと無事川に収まる範囲で流れ去ってくれた濁り水を見送って、やれやれこれで家に帰れると喜んだのもつかの間、さっき流れたのは溜まっていた水のほんの一部で、肝心の土砂ダムは相変わらず水が増える一方、いつ決壊するかわからない状態と知らされ、ここでもまだ危ないと もっと高いところにある中学校に またしても避難場所変更。

翌5日、土石流が解消するまでは何日でもこの体育館で暮らすことになるのだと覚悟を決めたところで、ようやく雨の上がったお昼ごろ、消防団の方から「土砂ダムは自然に水が抜けました。もう帰っても大丈夫です」とのお知らせが。

みんなで思わず拍手しちゃった

栓があるなら駆け出していって止めたくなるようなすさまじい降りがウソみたいな青空の下、泥まみれの愛車アトに乗り込んでわが家に向かったときのあのうれしさといったら


幸いわが家は 最初の避難場所の公民館と地続きで 道よりだいぶ高いところにあり、玄関すれすれまで水が来たものの 家の中まで入ることはなく、家財も車もみな無事でした。

ほっとして 涙が出そうなぐらいありがたかった。



翌日からは、真夏が戻ったかのような濃い日ざしの中、集落内を回って 被害に遭われたお宅の片付けのお手伝い。

何もかもが生まれて初めての体験。

水に追われて おにぎりや着替え持って避難所に行ったのも初めてなら、水に浸かってドロドロの家を掃除したり 捨てるものを運び出したりしたのも初めて。

炊き出しや物資の配給を受けたのも初めて、非常用の衛星電話を使ったのも初めて。

いつもと同じ場所に暮らしていながら、非日常の不思議な世界へ迷い込んだような半月でした。

9月中ごろから、普段より100kmほど遠回りして奈良の実家へ。

十津川の土砂ダムを心配する両親に呼び寄せられたのですが、2週間近い滞在の最中に、今度は迷走台風15号が突然向きを変えて南紀を直撃、7月に続いてまたしてもテレビにらんでやきもきすることに


戻ったときには すでに衛星電話は撤去され、物資の配給もほとんど終了、ゴミもあらかた片付き、おしまいまで復旧が遅れていたケーブルテレビの回線も通じていて、ほぼ元通りの日常に。

ほっとしていたら、今度は帰ってすぐはなんとか動いてくれたパソくんがダウンしてしまいました

浸水やら土石流やらを心配して 何度も高いところに上げたり下ろしたりしたのがいけなかったのかも。

道の状態がもう少しよくなり、いい修理屋さんが見つかったらみてもらうことにして、とりあえず新しいノートパソくんに来てもらい、こうしてまたブログが書けるまでになりました。




ご近所の92歳になるおばあちゃんが言っておられました。

「ここに嫁入って70年になるけど、こんな水害初めてですわ」って。

新聞にも「明治22年以来の大規模な・・・」って書いてあったしね。

引っ越して一年ちょっとでそんなめったにない出来事に遭遇した私ってなんなんだろう?

3月に東北の大震災を知り、その後の原発の被害を知り、そして今度は自分がこんな体験を。

ふと思うのは、

「これからは 想定範囲内に納まらないことがどんどん起こるのかもしれないなぁ」

ってこと。

実際この水害も 住民、行政、みな経験も想像もしたことないような事態の連続。

わが集落も 9月4日に公民館への避難訓練をする予定だったんだけど、それより前に 想定を超えた実体験がやってきちゃった

こういうとき、過去の経験に基づいて、とか、誰かがどうすればいいか教えてくれる、とか、外に答えを求めてもどうしようもないのかもしれない。

みんな初めてのことだもの、誰も答えなんか持ってるはずがないよね。

目の前の状況を精一杯キャッチして、あとは自分の中の答えを頼みに 感じるまま動くのが一番いい場合も多々あるのかもしれない。

これまでは平和に任せて忘れていた 眠れる力を目覚めさせて生かすときなのかもしれない。

私はほんの端っこのほうを少しかすめたに過ぎないけれど、それでも大揺さぶりかけてもらったような氣がしています。


いろいろあったけど、おかげさまできょうも元氣な私です(^^)