毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ありがたいとしか言いようがない

2011年11月04日 15時12分51秒 | ふと思うこと
1ヶ月以上ネットできない日が続いて、それはそれで貴重な体験だったんだけど、こうして存分にあちこちのサイト行ったりブログ更新したりできるのってなんてうれしいんだろうって思います

いつ落ちるか固まるかとビクビクしないで思いっきりパソくん使えることも しみじみありがたい



ありがたいといえば、9月の体験以降 ライフラインのありがた味も身に沁みたんだなぁ♪


日ごろ当たり前のように使っていた電氣や電話が突然、しかも長期に使えなくなる。。。
東北大震災であれほど聞かされていたことだけど、聞くと見る(体験する)との違いはやっぱり大きかったです。

停電は覚悟してたんだよね。
これまでにも強風や雷で停電したことが何度もあったから。

それに、好きで買ったり頂いたりしたキャンドルもたくさんあるし、車中泊の旅で 真っ暗な中ヘッドランプひとつで調理したり本読んだりするのも慣れてるし、っていうのもあった。

でも実際のところ、そういう楽しい時と違い、暴風雨で家中ガタガタいってる中で、とか、ましてや真っ暗闇を懐中電灯で照らすたびに 浸水の水位がじりじり上がってくるのが見える、とかいう時の停電って、そうそうのんびりどっしり構えていられるものじゃないってことを思い知らされました。

電話もパソコンも使えないし、携帯だっていつ充電が切れるかわからないから必要最低限しか使えない。
その頼みの携帯も、小学校に避難した少し後からまったく通じなくなってしまったのです。

日ごろ氣軽にほいほいと使っていたものが どれほど暮らしを楽に豊かにしてくれていたか。。。
なくなってみて初めてわかるものなんですね。

でもわが地区はまだ断水がなかっただけラッキーだった。
何度も危ないっていうお知らせはあったけど、ついに一度も止まることなく済みました。
おかげで 家に戻ってすぐから掃除洗濯が存分に出来たんだもの。

土石流騒ぎの後避難した中学校は断水してたので、食事の支度にかなり余分な手間がかかりました。
家には ポリタンクやペットボトル、風呂桶などに汲めるだけの水を汲み置きしてたし、災害直後から支援物資でペットボトルの水がどっさり届いたりして、最低必要な飲み水や生活用水はどうにか確保できたけど、浸水後の大掃除などの後始末にふんだんに水が使えなかったらどんなにか大変だったろうと思います。
実際そういうところも多かったんだよね。

ガスはプロパンなので とりあえずは大丈夫だったけど、次にいつ補充してもらえるかはわからなかったから やっぱり節約。
で お風呂はガマンしたけど、大鍋にお湯を沸かしてさっと汗を流せるだけでも天国でした。
でなかったら、あの浸水後の汚水と消毒薬の臭いの立ち込める中、大汗かいて働いた後がどれほど辛かったことか。
私はお世話にならずに済んだけど、少し後から町内の温泉施設を無料開放してくれたという話も聞きました。

集落の中には ガス台丸ごと浸かってしまったり 電氣温水器が壊れてしまったお宅もあったので、手持ちのカセットコンロ用のボンベはそういうお宅で使って頂きました・・・といっても、2本半ぐらいしかなかったんだよね・・・もっとちゃんと買い置きしとけばよかったって反省してしまった(- -;)

電氣は当分復旧しないだろうと思ってたんです。
十津川や熊野川の変電所がひどいことになってしまって 直るのにいつまでかかるかわからないって聞かされてたし。
暗闇で過ごすのはもう覚悟の上、洗濯も水が出てくれるおかげで手洗いでなんとかこなせる。
ただひとつ困ったのが冷蔵庫。
せっかく無事だった食料を この残暑でダメにしてしまうわけにはいかないと、扉の開閉回数を少しでも減らすため どこに何が入ってたか必死で思い出して手順を頭に叩き込み、えいやっと開けて用が済むなりぴしゃりと閉める。
今考えると笑える光景だけど、あの時はほんと真剣だったんだよね。

またまたありがたいことに、3日ぐらい止まったなりの冷蔵庫だったけど、冷凍しておいたものは半解凍ぐらいで 何一つ傷んではいませんでした。
で、ガスの節約に頭をひねりつつ 急いで全部調理。
まだ冷たさの残ってる冷凍庫には 冷蔵室からバターなどを移しました。
それでも停電が続いたらやっぱり急いでみんな食べてしまわないといけない。
ご近所におすそ分けできればよかったんだけど、どこのお宅も事情は同じだから みんな急ぐ食べ物を抱えてて それも出来ず。

悩みながら夕食の支度をしていた6日晩。
突然目の前がふわっと明るくなりました。
一瞬何が起きたのかわからなかった。
あっと声を出して、次の瞬間電氣が点いたんだと氣がつきました。

あのときの躍り上がるようなうれしさは忘れられません\(^o^)/
まったく予想してなかっただけに余計。
ああ、また明るい夜が過ごせる、本も思いっきり読める♪
冷蔵庫ももう大丈夫♪
暑い季節でも食べ物の保存に悩むこともないし、冷たいものも頂ける♪
なんて、なんてうれしいんだろう!
あまりのうれしさに涙がで出てしまったぐらい。

携帯電話とネットのケーブル回線はもうしばらくかかりました。
これも東北の震災のときに話を聞いてはいたけど、電話の通じない不便さは想像以上でした。
離れたところにいる家族や友達が案じてくれているだろうと氣にかかってもどうしようもない。
いや それどころか、道がそちこち寸断された状況で、区長さんや消防団の人たちは 役場などと連絡ひとつ取るのにも大変難儀されたようです。
山の中で一部電波が通じるところがあるなんて聞くと、みんながいっせいに携帯持って押しかけたりして。

数日後に お隣の小学校の校庭で 微弱ながらも電波の届くところがあるとわかって、これまた久々にアンテナマークを見たときのうれしさといったら♪
アンテナの立った場所に目印に古タイヤを置いたりしました。
でもひどく不安定な電波で 目印の場所でもつながったりつながらなかったりするので、携帯片手に芝生の上をあっちうろうろ、こっちうろうろ、なんだかダウジングでもやってる氣分(笑)
何人もの大人がそうやってさまよい歩いてる図っていうのも思い出すとかなりおかしいけど、笑えるのも今だからこそ。

そんな中、助けの神よろしくさっそうと登場したのが 衛星回線を使った非常用電話。
最初に配られた二台は 電波の通じる角度に電話機を傾けて使うのがかなりやりにくく、またバッテリーがもつ間しか使えなかったけど、あとからパラボラアンテナ搭載の電源車がやってきて 固定電話五台とノートパソコン一台を接続してくれてからは、すごく便利になりました。
初めて連絡が取れたときの「よかった~!」と裏声にひっくり返ったような母の声が今でも耳に残っています。
久しぶりで友人たちのブログを訪れたときのワクワクする氣分もね♪

インターネットとIP電話用のケーブルテレビ回線が一番後までかかったけど、それも月半ばには回復。
以前は当たり前のようにしていたわが家でのネット、再びこうして使えるありがたさが身に沁みます。


忘れていた“当たり前”のありがたさを 心の芯まで叩き込んでもらった。
この貴重な体験、天からの愛ある贈り物だったのかもしれません