毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

涙が出るほどのあたたかさ

2011年11月02日 15時08分29秒 | ふと思うこと
今思うとちょっと不思議なんだけど。

8月31日に当番さんが持ってきてくれた自治会の9月分の配布物の中に、地域のハザードマップがありました。

毎年この時期に新しいのを頂くんだけど、なぜか今回初めてじっくり眺めたんだよね。

そうしたら、その3日後にマップどおりに浸水してしまったのでした。



大変なこと。。。特に直接被害に遭われた方はほんと大変だったと思います。

「大変」なんて言葉が薄っぺらくて申し訳ないぐらい。

ただ、そんな中でも ああいいなぁ、ありがたいなぁ、って思えるようなことがいくつもあったのも事実なんだよね。



集落横の川の土石流のことをきのう書きましたが、その元となった斜面崩落で、上手の集落が丸々ひとつなくなってしまったのです。

聞いた話だと、その日の朝、川でひとりのおばあさんのご遺体が見つかったそうです。

流されて亡くなったのか 亡くなられてから流されたのかわからないらしいんですが。

で、集落中の人が駆けつけたところで崩落が起こり、大半の家が土砂に巻き込まれて崩れ落ちました。

もし家の中にいたら 大勢が被害に遭っていただろうと。。。

そこの人たちみんな、おばあさんが助けてくれたんだと言っていたそうです。



また、この騒ぎに駆けつけた消防団のうちの一人の男性が、危険を顧みず川に下りて、堆積しているものを動かして水の通り道を作ってくれたという話も聞きました。

水が一度に押し寄せないで 少しずつ抜けてくれたのは そのおかげだったのかもしれません。

長い時間せき止められて溜まった水だから、いちどきに流れてきたらどんなことになっていたか。。。

あのとき私たちは 校舎の二階でも危ないという判断で裏山に上ったんだけれど、近くの「城山」という てっぺんに神社がある小高いところから見張っていた消防の人たちに、「もっと上へ行け」と何度も促されました。

もしほんとうにそんなところまで水が来ていたら、それはもう川じゃない、谷全体が激流になるようなもの。

集落ごと家も車も流されていたでしょう。

お隣の熊野川町では 実際そういう事態が起こってしまったのですから。

また、見張っていた消防の人たちだって、私たちにもっと上へ行けと言いながら、自分たちは坂の途中から動かずに ずっと見張り続けてくれていたのです。

役場、消防署、警察、消防団、自治会の役員さんやいろいろな施設の管理者さんなど、大勢の方々が自分のことは後回しで ときには命がけで動いておられるのを何度も見たり聞いたりしました。

お隣の小学校でも 校長・教頭両先生が泊まりこんでおられ、夜中に避難してきた私たちに校舎を開放して いろいろとお世話くださいました。

また、避難先の小中学校をはじめ、地元のお店や旅館、個人の方からも食材を頂いたり、地区の郵便局の方が 粗品用のタオルやラップをどっさり持ってきてくださったり。

近所の道の駅は、自分のところも浸水してしまったというのに、被災者への差し入れのお弁当を 具材提供のうえ 調理まで引き受けてくださって どんなにありがたかったか。

さらに 家に戻ってからも、牛丼のすき家さんがお弁当や飲み物を差し入れてくださったり、新聞販売店さんが9月末まで各社の新聞を無料配布してくださったり、近所の方が「駆けつけた身内・友人がどっさり持ってきてくれたから」と食品をおすそ分けしてくださったりと、あちこちから溢れるようなご好意を頂いて、物質的にも精神的にも大きく支えられました。

そう、物をいただく以上に、誰かが自分たちのことを氣にかけ思ってくれていると感じられることが 足元から揺さぶられてショックを受けた心をあったかぁく包み込んで癒してくれたんだよね。


今こうして思い出しても涙が出てくる。。。

お一人お一人にお礼を言うことはできないけれど、せめてこの場をお借りして 感謝の氣持ちのかけらなりともお伝えしたいです。

たくさんの温もり 忘れません。

ほんとうにほんとうにありがとうございました。




久しぶりにネットニュースなど見ると 心が寒くなるような話題も多いけど、それでも人はどこまでも優しくあたたかくなれることも知ったから。

大丈夫、明るい氣持ちで生きていけるよ♪