毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

思い出すままに

2012年05月15日 11時41分24秒 | 奈良・実家・家族
前の日記、あの頃の記憶にどっぷりはまり込んでしまったために 湿っぽいムードとなってしまいましたが、実際のところ 今では極端な悲しみの色が抜けて、どことなく味わい深い思い出になっています。

ときにはくすっと笑えたり 思わず苦笑してしまうようなこともあったりして(^^ゞ



あの日は、生まれて初めて迎えた近親者の死という事情以外にも 初めてづくしの一日でした。

まず、救急車に乗ったのが初めて。

よりによって大型連休の初日、道の混みようもかなりのものでしたが、そんな中を信号も何もお構いなしに そこ空けて~!状態で飛ばしてくれる頼もしさは心強かったです。

その分車内の揺れも半端なく、片手で母の手を握り締めた私は もう片方の手であちこちつかまりながら必死にからだを支えていましたが、そういえば救急車ってシートベルトあったんだっけ?

あのときはそんなもの探す余裕もなかったけど、今思い返すと妙に氣になって



さらに、警察の事情聴取を受けたのも初めてのこと。

ずっと病院に入院していて亡くなったのでなく 自宅での死亡ということになると、形式として事情をお尋ねしなくてはならないということで、警察の人にそのときの状況を細々と説明する次第となったのですが、なにせ尋常な精神状態とはいえない父と私、過去の病歴や通院歴にまで話が及ぶと 記憶がこんがらがって 二人の話がかみ合わなかったりして、警察の人もさぞ苦労されたことと思います。

そんな中、警察の人の腰の辺りに 手錠と警棒?らしきものをちらっと見かけた私、それまでぼろぼろと泣いていたのが、思わず拳銃も持ってないかな?なんて目で探してしまったりして(^◇^;)



その後、ちょうど在宅していて駆けつけた弟と合流、遺体に付き添う父を残し、警察の人4人といっしょに実家に戻って 現場検証(!)に立ち会うことに。

取るものも取り合えず救急車に飛び乗ってしまった私と 電車で来た弟、警察の車で家まで送ってもらえたのはありがたいことでした。

しかし、よほどパニクってたのか 家までの道順を思い浮かべることも出来なくて、冷静な弟がいっしょにいてくれなかったらどうなっていたことか



パニクって。。。といえば、父から電話がかかってきたときの私の行動も、今思うとかなり滑稽だったなぁ。

散らし寿司の材料やらアイスクリームやらで満載のカートを押して まさにレジにたどり着かんとしていた私、緊急連絡に慌てふためいてしまって。

あとから考えれば、店員さんをつかまえて事情を話し カート丸ごとお願いしてしまえばよかったものを、「これはお寿司作るどころじゃない」と、マグロや貝柱などの生ものとアイスクリームをひとつひとつ元の置き場に戻して回ったのです(笑)

真っ白なアタマでそんな作業がスムーズにいくはずもなく、ショーケースの前を右往左往、やっとひと通り返し終わると 残ったものを持ってしっかりレジに並んでお勘定(笑)

そのあと突然血相変えて カートを押して駐車場まで猛ダッシュ、知らない人が見たら何事かと思っただろうなぁ(^◇^;)



さて、警察の人が帰ったあとは、母に着替えさせるものを持って 今度は自分の車で病院にとって返し、再び帰宅して、葬儀社の車で母が戻ってくるまでに 弟と二人で家の片付け。

折悪しく、母を安置する予定の居間は 介護用品の入れ場を作るために父が運び出した衣類などで足の踏み場もないほどの散らかりよう

このありさまを見た弟は、錯乱した父がそこら中を引っ掻き回して手当たり次第にものを放り出したのかと思ったそうです(笑)

与えられた猶予は1時間もなく、もう悲しむヒマも落ち込むヒマもあらばこそ 大慌てで 片付け物をするハメに

こういう場合 人手がいかに大切かを思い知らされたひとときでした(T_T)



こういったしょうもない(笑)ひとつひとつの事がらが、今となっては妙になつかしく思い出されます。

このあと 亡き母と付き添いの父といっしょに葬儀社の人が到着、通夜や葬儀の段取りとなったのですが、これがまた 今思い起こすとなんとも面白くておかしくてほのぼのと味があって。。。って 不謹慎な話ですが。

まあ、母はきっといっしょに面白がってくれるだろうな、ということで




ごめんなさい、しばらく母がらみの話が続きそうですm(__)m