毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

送る儀式について考えた ・ その2

2012年05月26日 12時12分55秒 | 奈良・実家・家族
そもそも 長男とその妻でありながら、家に仏壇も置かず、また お墓が遠く離れている事情もあって 法事や墓参りに行くこともめったになかった両親と、そんな宗教色のまったくといっていいほどない環境で育った私たち姉弟。

母の希望の中でも「無宗教のお葬式」というところは とても素直に受け入れることができました。

ただ、実際に準備にかかってみると、これがなかなかの難関。

そうそう深い信仰心を持っているわけでなくても お葬式は仏式でやる人が多い理由がわかった氣がしました。

仏式なら、すでにしっかり確立した儀式のパターンがあるんですね。

だから、万事を葬儀社さんにお任せして、遺族はそのパターンに乗っかって 言われるままに動いていれば それで済む。

しかし、無宗教となると 葬儀社さんのほうにも決まった形の持ち合わせがありませんから、そこは遺族が主体的に動いて 式次第を決めていかなければならない。

普通のときならまだしも、悲しみと混乱で身も心もへとへとになっているときに、しかも時間的余裕もあまりない状況で、一からすべてを決めて準備するというのは かなりキビしいものがありました。

夜も更けて 次々眠りに落ちていく父と弟を横目に そのまま夜明かしした私、疲弊しきった頭であれこれ考えてみるのですが、何分まったく未知の世界、どうもピンと来るイメージが浮かばず。

二人が起き出してくるころには、もうこの際故人の意向を無視して 仏式でもなんでも無事式さえ出せればいいや、と思うまでに意氣消沈していたのですが。。。


ここで俄然力を発揮したのが 弟でした。

朝のうちに再び打ち合わせに来てくれたホール担当の社員さんとあれこれ相談するうちに、彼の頭の中では 具体的なイメージがどんどん出来上がっていったようなのです。

もともと声楽家で、やはり声楽家である奥さまと二人で行うリサイタルの企画から上演まですべてを 幾度にも渡ってこなしているクリエイター、また 結婚式の司会の経験も手伝って、実に頼もしい企画・采配ぶりでした。

ある程度プランがまとまってくると 父もノッてきて、二人して仏さまの枕元を右往左往しながら 進行表を打ち出すやら BGMや写真を選ぶやらと すごい打ち込みよう。

ちょうど弟の奥さん百々子さんと姪のほーちゃんが来てくれ、家事をすっかり肩代わりしてもらった私は、どこか氣が抜けてしまったのか そんな二人の張り切り振りを 横でぼんやり眺めつつ、な~んか空氣が違ってきたなぁ・・・と(笑)

普通なら 過去を振り返って故人の思い出に涙する沈鬱な時間であるはずが、あれこれアイデアを出し合ってはクリエイティブに物事を創り上げていく活氣に満ちた時間にすっかり変わっちゃってるんだもの

心なしか 母そっちのけの感がないでもなく(爆)

でも、母も半ば呆れつつも 「いいわよいいわよそれで、まったくあなたたちらしいわ」と思ってくれてたんじゃないかなぁ(^^ゞ



葬儀社の担当さんが 過去に取り扱ったイレギュラースタイルのお通夜や告別式についていろいろと教えてくれ、また、母のただ一人残った妹である叔母からも 身内でやはり無宗教のお式を出したケースがいくつかあったことを教えてもらい、そこに弟たちの創意工夫が加わって、なんとなく形が整ってきました。

時間にして、お通夜はだいたい40分前後、告別式はおおよそ1時間。

この中に、儀式的要素として 献灯、黙祷、献花(これがお焼香の替わり)、拝顔などを要所要所に入れると、宗教抜きでも それに替わる形を創ることが出来ます。

あとは、通常なら読経に当たるところに何を持ってくるか。

わが家はここに、お通夜では父の思い出話と歌、告別式では身内やお友達のスピーチを入れることにしたのです。

思えば、母を送るのに 歌ほどふさわしいものはありません。

そもそも 両親の職場であった某銀行のコーラスサークルでの出逢いが二人の馴れ初め。

私たちが子どもの頃から、家の中にはいつも歌声が響き渡っていました。

台所仕事をしながら 母が歌う。

休みの日などは 父が家事を手伝いながら これまた歌う。

私たちが学校で習った歌などをちょろっと口にしようものなら、たちまち二人の声がかぶさってきて、さらにハモって「家族揃って大合唱」の様相に。

三度のご飯と同じぐらい当たり前に歌があるのが わが家の日常でした。

お通夜では そんな懐かしい歌の数々の中から8曲を選び、父の思い出話を挟みながら 家族みんなで歌うことに。

素人には惜しいほどの美声の持ち主である父と、歌が本職の弟夫妻、そしてそんな両親の影響か 小学生の頃から合唱団所属のほーちゃん、メンバーはバッチリ☆

ありがたいことに この葬儀場には電子ピアノの備えがあり、私はそれをお借りして 即興の伴奏をつけることに。

告別式のスピーチは、埼玉からはるばる駆けつけてくれることになった叔母と、母が親しくさせて頂いていたお友だちの方々が引き受けてくれました。

弟が分刻みで組み上げたタイムスケジュール表も 全行程がきれいに埋まって、これで無事 わが家オリジナルの通夜&告別式を出せる見通しが立ったのです。