毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「アナと雪の女王」 ~ 「Let it go」によせて ・ その4

2014年06月21日 12時50分54秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


この「Let it go」を最初に聴いたのは 松たか子さんの吹き替え版動画でだったんですが、次に 原語に沿った訳詞を念頭に置きながら イディナ・メンゼルさんの英語バージョンを聴いたとき、面白いことに氣がついたんですね。

それまでは 映像のエルサの喜びに溢れた様子ばかりが目についていたんだけれど、よくよく見ると、そこに ただ幸せ~っていうだけでもなさそうな表情や仕草が交じってるぞ、って☆

憂いに満ちた表情で ひとり暗い雪山を歩くエルサ、それが「Don't let them in, don't let them see」のあたりから、目を上げてぐっと大きく見開いたり、こぶしをぎゅっと握り締めたり、何かを払いのけるように 手をさっと振ったりといった動きが加わり、やがて 片手に残った手袋をにらむように見つめてから ぱっと空に投げ上げる、そのあとで初めて表情がふわっと明るくなる。

そこからは うってかわって活き活きした笑顔を見せるエルサですが、その合間合間に やはり「好戦的」とでもいいたいような表情や動きが見受けられ、極めつけが 髪飾り(ティアラ?)をぽ~んと投げ飛ばすシーン。

ここを初めて吹き替え版で見たとき、「花咲く氷の結晶のように 輝いていたい もう決めたの」という歌詞と 空をにらみつけるようなエルサの表情がいささかそぐわない感じで「え?」と思ったのを覚えています。

あと、おしまいの「The cold never bothered me anyway!」と歌いながら 勢いよくドアを閉める、ここのエルサを「どや顔」と評しておられたブロガーさんがおられて 思わず笑ってしまったんだけど、たしかに言い得て妙というか ただHappyでにっこりっていうのとは どこか違う印象があるんですよね。

こういったエルサの様子と 歌詞の内容を重ね合わせて、ふと思い当たるところがあったのです。




「その2」で書いたように このシーンのエルサと似た氣持ちを つい最近体験した私ですが、最初に「そっか、ムリにガマンせず 今の自分らしく もっと怒ってもなにしてもいいんだ」と氣づいたとき まずむらむらと湧き上がってきたのは、なにかに腹を立てているような 反抗的な氣持ちでした。

もっと早くこんなふうになれたらよかったのに・・・これからは存分に思いのまま生きてやる、もう二度とあんな苦しい思いに引き戻されたりしない、誰にも邪魔なんかさせるものか!みたいな。

あの瞬間の私は、被害者の心理になっていたんだと思います。

自分がもっと早くこんな氣持ちを味わえなかったのは、無理やり抑え込まれ、自由に感じたり行動したりする力を奪われたからだ、という口惜しさがあった。

そして、次の瞬間「あ、私まだ怒りの中にいる」と氣づいて 被害者の立場を手放せたのは、これまでの内観の積み重ねのおかげですね。

被害者のドラマがどのようなもので いかに自分を毒し 縛っているか、さんざん思い知らされてきたし、それを手放さない限り その先には行けないことも 身に沁みていたから。

で、恨みつらみに貼りつきそうになる心を「えいっ」と引っぺがした直後、今度こそほんとうに解き放たれて ふわ~っと軽くなり、春風が吹き込んだような心持ちに。

ここで初めて、喜びに満たされて ありのままの自分を受け入れられたんだと思います。




以前も書いたと思うけれど、新しいスタートを切る原動力としては、「見返してやる」みたいなネガティブベースのエネルギーも 有効なんですね。

ただ、どこかの時点で 自分が被害者の立場を選んでいることに氣づいて 脱け出さないと、いずれは 否定的な力が自分の身に返ってきてしまう。

エルサはきっと もともと真っ直ぐな暖かい心の持ち主で、私ほど恨みつらみをどっさり溜め込んでいなかったのでしょう、だから ネガベースでも そのネガに絡め取られることなく 自分を肯定できた。

といって、怒りや反発する氣持ちがまったくなかったわけでもないのでしょう。

そもそも「解き放つ」といっても、この場合 自分を受け入れてくれなかった世界に背を向けることで手にした解放だから、ほんとうの意味での自由には まだ至っていないわけで、それが エルサの背後でバタンと閉じられたドアに象徴されている。

真の解放は まだ先の話で、ここから一波乱も二波乱もあるのでしょう。。。って、私 肝心の映画見てないんで、ここから先のストーリー知らないんです~

まあ、そうでなければ ここでお話終わっちゃうから、当然といえば当然の設定なんだけど(笑)




で、改めて自分の心の動きを振り返ってみると、これって 反抗期の子どもの心理なんですね。

そうわかると この歳で?おいおいって感じだけれど、考えてみれば、幼い子どもの身で 周囲の抑圧にあらがうことも不可能なら、感情を抑え込んだまま生きるのがどれだけ大変なことかも わかりようがなかったんだもの、ここまで引きずってきちゃったのも しょうがないよね。

素直に受け止めれば それ以上害になることのない感情も、無理に抑え込んでしまうと 大きなひずみを生む、これはもう 身をもって十分体験したから、遅まきながら そろそろ次に行っていいよ、っていうことなのかもしれない。

そして そこからさらに思うのだけれど、私だけでなく 今 世の中全体が、自らを抑えたり縛ったりしてきた不自然さに目覚め、つかえを外して解放されようという流れに乗っているのかもしれません。

だからこそ この「アナと雪の女王」という映画や主題歌「Let it go」が 世界的に支持されて大ヒットしたのであり、また この映画が多くの人の目に触れることで、ますますその流れが加速してゆく、そんな相乗効果があるのかもね(^^)





そういえば、このお話って アナとエルサのWヒロイン姉妹の物語なのに、アナにまつわるストーリーってほとんど知らないし、4回にもわたったブログの中でも アナについては まったくといっていいほど触れてない Σ( ̄□ ̄;)


いつかこの映画を見ることがあったら、そのときにまたここで書かせてもらうことになるのかもしれませんね♪


とりあえず、「Let it go」にまつわるお話は これで終わりかな。。。


長文をお読み下さって ありがとうございます