毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

メッセージ

2014年06月28日 08時01分10秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


あれはたしか 中学2年生のときのこと。

どういう話の流れだったのか忘れましたが、父が突然 こんな話をしてくれたのです。




1次元の生き物は、直線の世界しか知らないんだ。

だから 直線上で 左右に動くことしかできない。


2次元になると、今度は 直線に奥行きが加わって 面の世界になる。

だから、面の中なら どの方向でも自由に動き回ることができる。

だが、高さというものは知らない。


そこへさらに 高さが加わった 立体の世界が 3次元。

われわれの住む世界だ。


1次元の生物には、2次元の生物の動きが 理解できない。

2次元の生物には、3次元の生物の動きが 理解できない。

自分の認識を外れた 奥行きとか高さとかいうものがわからないから、そこを動くということがどういうことなのか わからないし、それをやってのける相手の動きが ありえないこととしか思えない。

それと同じように われわれも、4次元以上の世界の生物の動きが 理解できないんだ。


たとえば、目の前の相手が突然消えて、次の瞬間離れたところに立ってたりしたら 信じられないだろう。

ありえないと思うだろう。

1次元の生物から見た2次元、2次元の生物から見た3次元というのは、そのようなものだ。

そして、4次元以上の世界が もしあるとしたら、われわれの目にも それは わけのわからない 信じがたい 不思議な世界に見えるはずだ。




あのとき、なぜ父が唐突に 理数系の苦手な娘に そんな話をしたのかわかりません。

ブルーバックスとか よく買って読んでいたから、たまたま自分が感銘を受けたところを 話さずにいられなかっただけなのかもしれないけれども。

今尋ねても、そんな話をしたことすら 覚えていないんじゃないかなぁ




ただ、なぜか あのときの話には インパクトを感じたのです。

今でも こうやって記憶しているぐらいだもの。

後日 友だちと下校する道すがら、なぜか無性に その話をしたくなって とつとつと受け売りしたのを 覚えています。

快く聞いてくれたけれど、彼女も なんでそんな話を聞かされているのか わからなかったんじゃないかな (^_^;)




時を経て 今。

ブログでは「高次の世界」などとしょっちゅう書いていますが、じゃあ 高次だの多次元だのってどんなものか ちゃんとわかっているのかと言われたら、理論的には まるでわかりません

わからないんだけれど。。。でも以前には考えられなかったような 新たな視点がどんどん育っているのも またほんとうのこと。




五感でがっちりつかみ 実証できる 確かな情報しか信じなかった私が、「直感」などというものに 自分をすっかりゆだねて、保証も確信もない わけのわからない世界に ぐんぐん足を踏み入れている。

五感を超えた感覚だの パラレルワールドだの 高次の視点だの 多重露出だの、そんな世界に生きる日がこようとは、あの話を聞かされた中2のころには 思いもよらなかった。

でも・・・・今思うと、あのエピソードもやはり きょうに至る伏線・布石だったんだなぁと なんとなく思うのです。

時間は一直線、人間現世がすべて、死んだらそれでおしまい、と固く信じている父、まさか自分がそんな伏線の担い手になっていようとは 夢にも思うまい(笑)



来ようと思って来たわけでもないけれど、摩訶不思議な流れに乗って 氣がついたら こんなところに来ていました。

なんでこんなところに? と思う氣持ちもあり、うんうん 来たなぁ というようでもあり。

現世視点で、身のまわり数メートルの狭い視野から もうひとりの自分を「?」氣分で眺める自分と、もう少し引きの視点から、「?」状態の自分を あたたかく見守る自分。

あの中2の日に聞いた話を当てはめると、感慨深いものがあります。





今知覚できている世界が すべてではない。。。

そうだね、この先もまた 想像の斜め上を行く どんなことが待ち受けているか わからないね(^^)

あの話、今という時に向けて 数十年前から届いたメッセージなのかもしれません。