毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

割り切れないというありよう

2014年06月24日 11時36分49秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


今でこそ 理系は至極苦手、中でも数学は大・大・大っ嫌~い、の貴秋ですが、実は 小学校のある時点までは(小学校なら「算数」ですね)、けっこう好きだった時期もあったのです。

加減乗除のやり方を覚え 計算問題をわっせわっせこなすあたりまでは、むしろ得意だったといってもいいぐらい。

優等生の私、ルールを読み取って それに従い ことを進めていくのは 慣れ親しんだ頭の使い方だったし、その中でうまくやれているうちは どこかほっとするような氣持ちもあって、誰よりも速く大量の問題をこなしていく自分を ひそかに誇るようなところがあったのです。

それが、急にキライになったのは、今でもよく覚えているんですが、割り算で「余りの出る計算」が出てきたときから。

クイズのように あいまいさのない ぴしりと割り切れる たったひとつの答えにたどりつくのが算数でしょう、と思い込んでいて、そこに当てはまらない「余り」なるものが 公然と存在を認められるのが がまんならなかった。

あのころの私には、割り切れないもの・きっちり線引きできないものは、不安材料でしかなかったんですね。

そして、そんな感覚を引きずり、むしろますます強固にしながら、何十年もの年月を過ごしてきたわけです(^_^;)




そんな私が、いつごろからか 方向転換して「かえる」道のりに足を踏み入れた。

もうね、大混乱ですよ。

それまで拠り所にしてきたものを、進んで片っ端から叩き壊していくわけですから (>_<)

自分の足場を 自分で崩す 心もとなさ。

導いてくれる人や本にも 数多く出会ったけれど、始めのうちは なにを言われているのかさえ さっぱりわからなかった。

それでもどうにかこうにかここまで来られたのは、そんな道のりのどこかに 常に心地いい吸引力を感じていて、また 進めば進むほど しんどいけれど 安らぎも喜びも大きくなっていくことを実感できたからでしょう。




「かえる」道のりは、ひたすら これまで握り締めていたルールや線引きに疑問を覚え、それが意味をなさないばかりか むしろ自分を苦しめてきたものであることに氣づいては 手放していく、その繰り返し。

そんな中で、きっちり形をつかめないものに対する不安や落ち着かなさが、いつしか つかみどころのないあいまいさこそが心地よい、という感覚に 置き換わっていったようです。




世界を 頭できっちり把握したつもりになって 初めて安心できる、というのは、今思えば ものすごく疲れることでした。

そもそもあいまいで形のないものに 強引に形をつける、というところに 無理があるのですから。

しかも、どれだけ頑張って正確につかんだつもりでも、ほんとうはできるはずのない「つかむ」ということをした時点で、それはもう本来と大きくズレた有り様になってしまうことを避けられない、実に虚しい行為なんですね。

そんな徒労の連続でしか得られない安心感で 心底安らげるはずもなく・・・・こんな繰り返し、疲れないわけがない (T_T)




あいまいなものを あいまいなものとしてそっとしておく。。。それは、余りの出る計算を とにかくそういうものなんだと認め 受け入れることに通じる感覚。

やたら仕切りたがって力んでいた自分が、やおら深呼吸し 力を抜いて、静かに後方に下がり 腰を下ろした、そんな変化だったんですね。




この世は、互いに矛盾する見方が同時に成立する、理屈では割り切れない世界。

さらに、さまざまな次元、すべての時間が 今・ここに同時に存在する、多層構造の世界。

一度にひとつのものしか見えなかったときは、すべてがすっきりくっきり映し出され、また 過去から未来に流れる「直線時間」というものが存在するように捉えていたけれど、複数の視点を認められるようになった今、世界は多重露出の写真のように混沌と見えます。

しかも、これでさえ あくまでも今の自分に見合った様子で見えているのであって、これがほんとうのありようというわけでもないのでしょう。

これからも 世界の見え方はどんどん変わっていって、ああ、前はあんな大雑把にしか見えていなかったんだ~( ̄∇ ̄*)ゞ って振り返る日が きっとやってくる。

そうとわかった上で、もう 自分勝手な鋳型に 押し込めるはずのないものを押し込もうとやっきになっていた 難儀な(笑)自分がいないことに、どこかほっとしてもいるのです




理屈に理屈を重ねて、どこかにあるはずの安らぎを探し回っていた私。

「理屈」も「どこか」も、いや、そんなものがあると信じ込んでいた自分こそが幻だと氣づいた足元に、ずっと前から 安らぎはあったんだ~、と はたと氣づいて。

まさに「青い鳥」のお話そのものですね(^^)