久々に マンガ 「One piece」 からのお話を
マンガをご存知ない方には わからない話ばっかりで ごめんなさい m(__)m
「アラバスタ編」 で、海賊モンキー・D・ルフィ率いる 「麦わらの一味」 に加入したての船医 トニートニー・チョッパーが、古参の剣士 ロロノア・ゾロに 一味について尋ねるシーンがあります。
そもそも船長のルフィが あまりにも天真爛漫でマイペース、それにつられて集まったメンバーも どことなく個性的に過ぎ、通常の海賊団とはいささか雰囲氣の違う一味について、ときに苦笑交じりに話すゾロですが、そんな彼が語った 「仲間論」、これが すごくインパクトがあって。
だがよ チームワークってのは本当は何なんだ
助け合って かばいあってりゃ それでいいのか
そういう奴もいるけどな
わりぃがオレには誤魔化してるようにしか思えねえ
それぞれが自分で出来ることを死ぬ気でやって
オレはやったぞ 次はテメエの番だ
出来なきゃぶっ殺す ぐらいの気合があって
初めてチームワークってのは成立するんじゃねえか
そう考えるとよ
仲間っていっても別に一匹狼でもいいんじゃねえのか
オレはそう思うぜ
それまで どちらかといえば、「助け合い かばいあう」 ようなのが仲間だというイメージを持っていた私が、自分の中の羅針盤への信頼が強くなり、自分の答えは自分しか持っていないんだ、と確信し、つき従うリーダーや 受け入れてくれるグループを探すのをやめて、単独行動をとるようになり始めた、ちょうどそのころ このセリフに出会って、ああ! と思ったのです。
その少し前から、この人なら、と信頼し、敬い慕って近づいた人の 思いがけない一面に失望するようなことが、たて続けに起こっていました。
どの人も、すばらしい才能や知恵や力を授かり、立派に使いこなして、大きな影響や恩恵を与えてくれたのですが、せっかくのその力で 相手をひとり立ちさせる代わりに、ご自身の弱さの補いとして傍に置き、離れていかないよう (無自覚なのですが)微妙に力を削いでいるように見受けられて。
初めのうちは、やたらこういう場面に出くわす意味がわからず、なんでいつもこんなことに。。。とがっかりしたり、腹を立てたりしていましたが、あるとき氣がつきました。
まわりの人は 自分の鏡、こうも同じようなことが続いて起こるからには もう間違いない、これはハッキリしたメッセージだ、と。
人をどうこういうことはない、これは 他ならぬ私自身の姿。
私は、自分の持って生まれた力や役割を見いだし、使いこなせるようになりたいと願っているけれど、もしそれができたところで、自分の中の我や弱さがそのままだったら、ほんとうに活かし切ることはできないんだ。
それどころか、ヘタをすれば、かえってマイナスのエネルギーを生みかねない。
なによりもまず、自分の弱点である 依存心や執着心と向き合うのが先だ。
このゾロの 「仲間論」 を知ったのは、ちょうどそんなころだったんですね。
麦わらの一味っていうのは、「悪魔の実」 の能力者もいれば 普通の人間ながら 常人離れした強さの持ち主もいる一方で、臆病だったり 嘘つきだったり 欲深かったりと、人くさい弱点を持つ者もいて、それぞれの長所や強みがチームに貢献することもあれば、弱さが足を引っ張ることもあり、また前述のように個性的な面々ぞろいなので、組織だったまとまりには いまひとつ欠けるところがあります。
メンバー全員が、ひとつのチームとしてグランドラインを航海するに当たり、それぞれ独自の目的や目標を持っているのも、この一味の特徴。
みな、そもそもは 船長のルフィに魅かれて仲間入りしているから、彼の 「海賊王になる」 という野望を応援しているのはもちろんなんですが、それとは別に 個人個人の夢もあって、めいめい腕を磨いたり 知識を高めたりしているのは、チームのためでもあり 自分のためでもある。
この辺が、チームでありながら 一匹狼の集団でもある、個性ある一味を形作っているんですね。
対人関係が苦手で ずっと孤立を選んできたのが、チームを組むことの楽しさ・頼もしさを知り、同時に 馴れ合いもたれ合いになる危なっかしさも知って、まずは自分がしっかりひとり立ちするところから、と思い始めた矢先に出会った、そんな 「仲間」 のありかた。
この距離感というか つかず離れずのさじ加減が、実にほどよく絶妙に思えたのです。
個として立派に通用するひとりひとりが、それぞれの道を進む中で、出会って ひとしきり共に旅をして、時が来れば 自然に別れる。
出会って 別れて、しょっちゅう顔ぶれが入れ替わりながら、それ自体が生き物のように 変幻自在で流動的で、常に新鮮かつ最高の状態を保ち続けるグループ。
そんな出入り自由のグループが そこらじゅうにいくつもあって、どれも生き生きしている。
それぐらいが、個人の自由と 集団の強みの双方を保てる ほどよい頃合いなんじゃないかな、って。
そして、もしほんとうに そんな個人とグループのありかたが実現できるとしたら、ちょうど自分の課題である 依存や執着を 各自が手放せていることが 必須条件だろうな、とも思ったのです。
麦わらの一味に話を戻せば、この面々、欠点や弱みはあっても、甘えはないんですね。
だから、シャボンディ諸島で 思いがけず全員が 別々のところに弾き飛ばされてしまったときも、再集結の約束を交わした2年後まで、それぞれが自分なりに 居場所や課題を見つけて 立派に生き抜き 成長し、約束の日には ひとりも欠けることなく集まって、チームとしてもひと回り大きく頼もしくなっている。
バラしてOK、組めば最強、多少の危うさもかえって人間くさく、甘えではない仲間どうしのよさをたっぷり見せてくれる麦わらの一味、相変わらずいいマンガだなぁって思います (*^ー^*)
前のブログで 「みんなで」 っていう話を書かせてもらったけれど、やたらおててつないでとか 数をたのんでとか そういうことでなく、個が個としてもっとも輝けるありかたとしてのグループ、そんなふうに歩みを共にできれば素晴らしいな、と憧れつつ、そんな仲間の一員に相応しい自分を目指して、きょうも自分磨きを続けます