毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

手放して

2014年08月10日 02時02分01秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


台風11号 近づいているようです。

8日の晩から降る雨が ときおり激しくなり、9日朝から防災放送が何度も飛び交って、町内の一部で避難地域も出始め、一時は これは3年前の大雨・浸水の再来? と いささか不安を覚えたりもしました (^_^;)

夕方、町内全域に避難勧告が出たところで、お年寄りのおられるお宅などは 中学校に避難したようですが、集落内はまだまったく冠水しておらず、河川雨量情報サイトを見ても、熊野川の水位もさほど高くもないので、荷物は玄関に置いたまま 自宅待機。

その後 風雨は断続的に強まってきましたが、川の水かさは ダムの放流量が減ったせいか かえって下がり始め、これはもう この雨風の中を運転する方が怖いや、と 自主判断でそのまま家にいます。





3年前と比べて、ずいぶん変わったなぁ 自分、って思います(^^)

それは、あのときは初めての災害経験だったし、これぐらいの時間にはすでに 停電で真っ暗な中 ひざぐらいまで水が来ていて、さらにどんどん上がりそうだったし、怖かったのは無理もない。

で、お隣の公民館にみなさん集まっておられたのが心強く、いざとなったら役員さんの指示に従って、いっしょに行動すればいい、と、それが氣持ちの支えになっていました。

今回は、電気も点いてるし、水も来てないし、3年前より条件はずっといいのだから 当然といえば当然なんですが、その違いを考慮してなお、最終的には外側の情報に左右されず 自分の感じるところを頼みにできるようになったところに、この3年での変化を感じます。

3年前だったら、ただでも不安をあおるような天候の中、それもこれからますます台風が近づいてくる、というときに、集落の大半のお宅が避難する中 自己判断を通す、なんてこと、とてもじゃないけど 心細くてできなかった。

ここまで内なる羅針盤を信頼できるようになったのは、やはり これまでの自分を左右し、不安を募らせるようなストーリーをささやき続けた 過去の不安の残留が 大きく減ったからだ、という氣がします。

ごく最近、根源にすごく近いところの記憶を見つけ、手放すことができたのですが、それ以来 あまりにも怖れの激減した自分に驚いています。

過去の歪んだ記憶が いかに自分を振り回していたか、今になって大きく納得です。





きのうの昼間は、万が一に備え、床の上のものを高いところに移しながら、この際だとホコリの溜まった畳や床を大掃除。

そのとき、物に対する執着について、ふと思いました。

3年前は ぎりぎり免れたけど、もし今 家の中まで浸水して 持ち物のほとんどがだめになってしまったら、どんなふうに感じるだろう?

それはもう 悲しいだろうなぁ。。。

私にとって、持ち物は ただ物であるだけでなく、暮らしの仲間とも言うべき存在、3年前 よそのお宅の片づけをお手伝いしたときでも あれだけ切なかったのだもの、長年使い込んだ自分の物となれば、どんなにか辛いお別れになるだろうと想像できます。

ただね。

3年前の私は、ただ悲しいだけでなく、もっと物に頼り しがみついていた氣がします。

自分には、物の力がぜひとも必要で、それを奪われるのは 守りがなくなること、と そんなふうに感じていたようです。

怖れることの多い自分を、物で囲んで守る心境だったんですね。

その守りをはぎ取られるのは 命にかかわることのように思い込んで、失うのを怖れ、物に執着していたんだと思います。

でも 今は、テレビや新聞がなくても困らない、真夏に冷たいものを飲み食いしなくても大丈夫、と、それまで 「ないと困るでしょう」 と思い込んでいたものをちょっとずつ外していって、思い込みで必要としていたものがけっこうあったんだなぁ、と知らされる中から、案外なければないで なんとかやっていくだろう、っていう自信のようなものが芽生えてきた氣がします。

そして、「これがなければ」 「こういう状況でなければ」 といった条件が減った分だけ 自由になれた氣もするのです。





もし今、突然持ち物をごっそり失うようなことがあったら、まずショックを受け、頭の中が真っ白になって、耐え難いほどの悲しみがこみ上げてくるでしょう。

でも、うんと悲しんだあとから、これで物を必死に守る苦労から解放されたんだ、どこへでも自由に行って なんでもやれるんだ、という ふわ~っと目の前が開けるような氣持ちも起こってくるんじゃないかな? とも思えるのです。





その昔、ゴミ屋敷騒動を取り上げたニュース番組を見ていて、なんであんな使いもしなさそうなものを大量に 後生大事に抱え込んでいるんだろうと 不思議に思ったことがありましたが、あれは 自分でも得体の知れない怖れから けんめいに身を守っている姿だったんですね。

怖れを手放すとは、自由になること。

新たな可能性に向かって 道が開けること。

かつての怖れのほとんどが幻だったとわかるに従って、生きるということが、前よりずっと楽しく希望に満ちて見えてきた氣がします (*^ー^*)