毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

またまた解放

2014年08月03日 23時31分02秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


大雨だの地震だの火山噴火だのと なんだか日本のあちこちが騒がしくなっているみたいですね。

ここにいらして下さる方々をはじめ、どなたにも大きな被害がないことをお祈りします。





南紀もきのうから雨。

断続的に強い降りでしたが、けさ5時ごろからいっとき止んで、その間に かねてからの予定通り、町内夏の一斉清掃を 無事終えることができました。

みんなして草を刈り、ゴミを拾って、さっぱりさわやかな氣分で家に戻ったら。





な、なんと・・・・

風呂場前と横の青ジソの群生が、ごっそり刈り取られていました (TдT)

だいぶ大きくなったし、次の晴れ間には 葉を摘み取って シソジュースを仕込むつもりでいたのに。。。。

自治会有志の方々で、電動草刈り機で 裏の土手の草を刈って下さったのは知っていたのですが、風呂場周りの空き地は 私の受け持ちのはずだったし、他の雑草を取り除いて シソだけ残した具合からいっても、栽培しているものとして手をつけずにおいていただけるものと信じて疑わなかったのですが。。。。甘かった 。・゜・(ノД`)・゜・。





しかし、問題はここからでした。

ショックで真っ白になった 次の瞬間、胸の奥から 怒りを通り越して 怨念とでもいうようなおどろおどろしい怒氣が、うわーっとこみ上げてきたのです。

いや、ガ~ンとなるとか 一瞬ムカッとくるとかならわかりますが、いくらなんでも シソを刈り取られたぐらいで この感情はない。

これはもう間違いなく、例のあれだ。

それも半端なく強力、このままでは どんなとんでもない爆発が起こらないとも限りません。

すでに 瞼の裏に 熱いものがじわじわ滲みかけています。

急いで家の中に入り、ささっと着替えて リラックスした体制をとります。

さあ、からだの感覚に集中!





もう何度となく繰り返しているこの作業ですが、今回ちょっと変わっていたのは、ナビする声みたいなのが付いていたこと。

それが神なのか ハイヤーセルフなのか ひと足先を行く分身なのか 自身の少し引きの視点からの声なのか、それはわかりません。

全部かもね♪

とにかく その声に従いながら進めていくことに。





終始言われ続けたのは、とにかく感覚にだけ集中し、涙は好きなだけ流せばいいけれど、そこにいかなるストーリーも付け加えないこと。

フォーカスし始めてすぐ、この怒りが いつものごとく 幼いときの体験からきていることはわかりました。

自分が大切にとっておいた何かを ゴミと間違われたかどうかして捨てられてしまった、とか そんなたぐいのことのようです。

ポイントは、自分にとっては息の根が止まりそうなほどのショックだったのに、相手には理解されず 取り合ってもらえなかった、というところ。

仕方なく、耐えかねてもてあますような痛みを 心の奥に押し込め、保留扱いにしたまま 半世紀近くもそのままになっていた、ということなのでしょう。

きっかけがおおよそわかったところで、その話からは意識を切り離し、泣きたければ存分に泣いて つかえを外すことと、感覚のみに集中するよう言われます。

いつもそうだけれど、とりわけこれだけ感情が激しいときは、感覚にまつわるストーリーの方に ちょっとでも氣持ちを向けると、たちまち激昂して かえってエスカレートさせてしまう危険が大きいから、ということのようです。

ナビに従い、胸の辺りの細胞が波打つような感じとか 中央から空氣が漏れるように力が抜けていく感じとかをひたすら味わっていると、やがてだんだん薄れていきます。





ここで、ふとした思いつきというか、ちょっと想像してみます。

たとえばご近所のどなたかに 青ジソについて 「あれ刈られちゃったの? 育ててたんじゃなかったの?」 などと訊かれた場面を思い描いてみて、その問いにズキリと胸が痛み、「その話しないで~」 みたいな感情が起こってきたら、すかさず再び それに伴う感覚に意識を向けるのです。

つまり、まだ残っている痛みがあるかどうかのチェック、ということらしい。

これを繰り返して、「青ジソ」という言葉に反応しなくなったことを確かめたところで 終了。

さっきのすさまじい怒りや恨みがウソのよう。

たしかに見た瞬間のショックは覚えているし、残念だし ちょっぴり口惜しくもあるけれど、まあ不幸な出来事ということで しょうがないか。。。と、ごくありがちな反応に変わっています。

出来事と そこから湧き上がる感情が どう考えても不釣合いなときは、やはり今この瞬間ではなく 過去の記憶に反応しているようです。

なにかのはずみで子どもが受けるショックというのは、おとなには想像できないほど大きく深いんですね。

その場でありのままに受け止めてもらえないと、このように何年でも何十年でも残って、解消のチャンスを待ち続けるようです。

今回 またひとつ、数十年がかりの痛い思いを手放せたことになるのかな(^^)

こう思えると、ことの始まりの (どなたかわからないけど) シソを刈っちゃった方は、この解放のきっかけをもたらしてくれた 天の使いなのかもね☆





午前中いっぱいかかったけれど、またひとつラクになった心の軽やかなこと。

そんないい氣分で、まだしおれずに残っていた 刈られた青ジソを数本拾ってきて 葉を摘んで、さっと洗って水氣をとり、しょうゆと胡麻油に漬けたのでした。

貴秋、転んでもタダでは起きません