毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

泣いていい

2015年03月04日 21時41分38秒 | ふと思うこと


そもそも誰が言い出したんでしょうね。。。。。「男の子は泣いてはいけない」 とか 「強い子は泣かないのよ」 とかって。




相変わらず感覚フォーカスの毎日ですが、その最中に 不意に泣きたくなることがあります。

たしかに 感じ取っている感覚は そのほとんどが不快なものですが、だからといって泣くほどのことでもなし、ほかにこれといった理由も見当たらない。

そういうときは、「ああ、がまんしちゃってたのが出てきたんだねぇ」 と思います。

その感覚をリアルタイムで味わった 幼いときに、こみ上げてきた涙をぐっと飲み込んで こらえてしまったから、きょうまでずーっとそのまま抱え込んでいたんだろうな、って。

そして、何十年後のことになるのか、なにゆえの涙か、とんとわからないまま、改めて 泣きたいだけ泣かせてあげます。




自分の抑え込んでいる涙に氣づいたのは、和歌山に来て 少し経ってからのこと。

仕事がらみで なにやら悔しいことがあって、自室に戻ってからも 心が騒いで落ち着かない。

誰が見ているわけでもないのに 泣くまいとがんばっている自分に氣づいて、抑圧していたのは ほかならぬ自分自身だったと知り、ほんとうは ず~っと溢れんばかりに溜め込んだ涙を解き放ちたくてたまらずにいたのだと 初めてわかったのでした。

こんなムリをしたまま 何十年過ごしてきたんだろう。。。。。




      悲しみも自然な感情だ。 ~ (略) ~

      悲しいときには悲しんでいいんだよ、と言われて育った子供は、おとなになったとき、悲しみは健全だと思える。

      だから、とても早く悲しみから抜け出せる。

      「こらこら、泣いてはいけません」 と言われて育った子供は、おとなになって泣きたいとき、苦しい思いをする。

      ~ (略) ~ だから、悲しみを抑圧する。

      抑圧されつづけた悲しみは、慢性的なうつになる。

      非常に不自然な感情だ。

      人びとは、慢性的なうつのために人殺しをしてきた。

      戦争が勃発し、国が滅んだ。



ニール・ドナルド・ウォルシュ著 「神との対話」 (文庫版③巻より) の一節です。

同じように 抑圧されることで害を引き起こす感情に、怒り・羨望・不安・愛が挙げられていますが、自然な感情の発露を抑えつけるということが どれほどの悪影響をもたらすか、溜め込んだものの全解放を目指す今、日々身をもって 思い知らされて、心から同感です。

今からだに訴えかけてくる感覚は、その昔感じることを拒み、表面はにっこり笑ってなんでもないように取り繕ってきた、その後遺症ともいうべきもの。

よくまあこれだけと思うほど連日、不自然で不快な感覚にさらされ続け、身長154cmそこそこのからだの中に これだけの負が詰め込まれたまま 半世紀もきたのか、と思うと、なにやらそら恐ろしいような氣持ちになります。

そんな苦痛に満ちた危なっかしい爆弾を 一生抱えたままいることなく、今手段を得て 手放してゆけることを、心の底からありがたく思います。




ちなみに、「神との対話」 によれば、抑圧され続けた怒りは憤怒に、羨望は嫉妬に、不安はパニックに、愛は所有欲に、それぞれ変わるのだそうです。

いずれも 犯罪がらみのニュースやドラマでおなじみの感情ばかり。。。。戦いが起こって国が滅びるわけだ、と納得させられます。

いいかげん大人も子どもも、これ以上不自然に感情を抑えることなく のびのび表現できるよう、人前で感情の破綻を見せてはいけないという 私たちの 「社会常識」 を見直すときがきているんじゃないのかな。




深く考えることなく 「男の子が泣いたらあかん」 などと反射的に口に出されるような場面に出会うたび、ひやりとするものを感じます。

世界平和なんていう壮大な目標も、案外ひとりひとりが 自分の抱え込んでいるものに氣づいて手放す、という 地味で地道なところから始まるのかもしれません。























下ろそう

2015年03月04日 07時19分05秒 | ふと思うこと


先日の 「下世話なスピ」 、下世話という表現がちょっとなぁ。。。。という氣がしていたんだけれど。

そのあとにもうひとつ思いついたのが、「氣さくなスピ」 。




・・・・・・・・・・・・う~ん (-_-; )




いや、なにもムリしてこういう言い回しを考える必要もないのですが、どうもこの 「スピ ⇒ スピリチュアル」 という言葉につきまとう (と私には見える) この世離れしたというか、妙に神々しいというか、特殊な世界というか、そんなイメージが、近頃しっくりこなくって。

そこへもってきてたまたま、こんな記事を読んだものだから よけいに。




これらの項目に該当する人たちをあげつらうつもりはないのです。

真摯だからこそ こういうところに入り込んじゃうこともあるわけで、それもまたプロセスのうち。

そもそも私だって 大なり小なり こういうところあったんだし、これからだって いつまたやっちゃわない保証もないのだから(^^ゞ




ただ、自分も通った道だからこそ、「他とは違う 特別な存在でありたい」 っていう自我さんの願いと結びついた 心の世界の探求が、やっぱり違ってたんだなぁ、と 今はしみじみ思えて。

スピリチュアルな世界を やたら神秘の高みに押し上げてしまうと、結局困るのは自分たちなんだ、ってわかってきたのです




きのうふと、そもそも自分って なんでこんな探求に向かうようになったんだろう? って思いついて 過去を振り返ってみたのですが。

23、4歳ぐらいまでは、「五感で掴めるものがすべて」 という世界を 当たり前のように生きていたんですね。

ただ、小学生の頃から 「かもめのジョナサン」 に魅かれてみたり、初めてスピリチュアルに触れたときも まったく抵抗を感じなかったりと、下地はあったようにも思います。

で、初めてそういう世界を語る人と出会ったのですが、その人は 「言葉」 を重視していたので、言葉についての学びを深めることに。

そこで初めて、言葉の及ばない世界というものを意識するようになりました。




言葉ですべては語れない。

五感ですべては掴めない。

むしろ、言葉・五感の及ばない領域ほど、本質に近いのだ、と。




実のところ、何を言われているのやら あのころはさっぱりわからなかったし、わかっていたつもりのことも 今思えばまるっきり見当外れだったのですが、それでいてなぜか すごく大切なことを聞かせてもらっているのだという感じは強くて、わかななければわからないほど もっとわかるようになりたい、もっと知りたい、と ぐいぐい食いついていったんですね。

それから20年以上。




まさに先ほどの記事のように、スピリチュアルの神秘に憧れ、悟ればすごい人になれるんだ、成功者なんだ、と 悟りに執着していたころ、いくら手を伸ばしても届かないように見えたその世界は、はるかな高みに属するものと映っていました。

でも、今はむしろ 根っこのようなものなんだと思っています。

見えないのは確かだけれど、それはどこかあらぬところで 神秘のベールに包まれているのではなく、私たちとひとつながりで 足元から支えてくれているのだと。

その存在を 誰もが感じ取り、自分たちの日常と分かちがたくつながった 身近なものとして受け入れ、共にあることが、今あちこちで起こっているボタンのかけ違いを正してくれるのではないかと思えてならないのです。




家族や友だちと揉めた、とか、勉強や仕事で失敗した、とか、五感の世界でちょくちょく起こるアクシデントに、誰もが 五感を超えた意識をごく自然に取り入れて対応する、というのが、日常的な光景となったら。

「あそこのご夫婦、またケンカしたらしいね、どっちも男性性と女性性のバランスがもうちょっと取れるようになるといいんだろうにねぇ」 とか、「失敗にがっかりしなくていいのよ、そこにどんなメッセージが入ってるか じっくり探してごらんなさい」 なんて言葉が、家庭でも職場でも学校でも道端でも ごくふつうの人たちの間で 当たり前に交わされるようになったら。

そんなのが、ここでよく言わせてもらっている 「漬物のコツと 五感を超えた世界の話が、ふつうに同列で語られる世界」 のイメージなんですね♪




まだ スピリチュアルなんていう分野が 今ほどポピュラーでなかったころ、先駆者として その世界を語り 広めていった人たちは、やはりそれだけの意識や力を兼ね備えたすごい方たちだったのだろうし、尊敬されるのも当然だと思います。

そして、後に続こうとする人たちが 彼らに憧れ、自分もそうなりたい! と切に願ったのも、また自然なこと。

だから、憧れる人が増えるほどに 先駆けの方たちが高みに押し上げられていったのも むべなるかな、ですね。

プロセスの一部として、そういう流れもあり。




でも これからは、逆に いったん押し上げたものを、誰にでも手が届くものとして 再び地に下ろすことが必要なんじゃないかと思うのです。

いつまでも一部の人だけのもののままでは、せっかくここまで広く認められるようになった力をみんなで使って 世界をよくしていくことはできないもの。

そのために、「スピ」 という言葉にまつわる 特殊な世界的イメージを 払拭したくなった、というわけなんです (*^▽^*)ゞ




うーん、身近なスピ、氣軽なスピ、ありふれたスピ。。。。。




( ̄∇ ̄;)




まあいいや、そのうちなんかいいのが浮かぶでしょう☆




これよさそう、っていうのを思いつかれた方は、ぜひ貴秋まで m(__)m