毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ちょっと不思議なこと

2015年03月11日 23時56分57秒 | 子どもたちと


きょうの午後は、5、6年生のみの読み聞かせ。

ほんとうなら先日6日のはずが、5、6年は他の予定があって外出しており、今年度最後ということもあってか、きょう別枠で時間をとっていただけることになったのです。

二学年総勢9名を リーダーと二人で担当するので、ひとり当たりの持ち時間は 20分強。

図書館で4冊絵本を借りていたので、うち2冊の組み合わせを前もって選んでおいたのですが、なぜかけさになって、読むのは1冊だけにして 残った時間で その物語に絡めて ちょっとした話をしたくなり、急きょプランを変更。




で、その選んだ1冊、エミリー・アーノルド・マッカリー作・絵 「つなのうえのミレット」 。

主人公のミレットは、今から百年ほど前、世界中の旅芸人が集まってくるパリで 評判の宿屋を営む マダム・ガトーの娘。

絵の感じではローティーンからミドルティーンぐらいでしょうか、シーツ洗いや床磨き、芋の皮剥きの腕前は大人顔負けで、旅芸人たちの語る この町や旅の道中での出来事に耳を傾けるのが何よりの楽しみというミレット。

ある日、そんなミレットの宿に、引退した綱渡り師のベリーニがやってきます。




え~っと。。。。。

こういう絵本なんかも、結末まで言及するときは 「ネタバレ注意」 としておくものなのかな?

ブログの慣例やマナーはよくわからないのですが、いちおうおしまいまで筋をお話しすることになりますので、お読みになりたくない方は ごめんなさい、ここまでになさってください m(__)m











*             *             *             *












ミレットは、滞在中のベリーニが 毎日のように宿の中庭で綱渡りをするのを目撃し、自分もやってみたくてたまらなくなります。

ベリーニには弟子入りを断られますが、すっかり綱渡りに魅せられたミレットは、とうとうこっそり独習を始め、わずか1週間で見事にマスター。

ミレットの才能と熱意に感銘を受けたベリーニは、ついに師匠になることを承諾、彼の厳しい指導の下、ミレットは ただ落ちずに綱を渡るだけでなく、綱の上で おじぎをしたり 走ったり 横たわったり 宙返りをできるまでの腕前になります。




そんなある晩、たまたま宿に泊まり合わせた興行師によって語られる、ベリーニの過去の栄光。

彼は 「神業のベリーニ」 と呼ばれるほどの高名な綱渡り師で、ナイアガラの滝の前をわずか10分で渡りながら 途中でオムレツを焼いてみせ、両足にかごを結びつけたままアルプス山脈を渡り、バルセロナの闘牛場の上で大砲を打ち鳴らし、ナポリでは目隠しをしたまま 炎の燃え盛る綱を渡るほどの、鉄の心臓の持ち主だったというのです。

すっかり感動したミレットは、自分も同じようなことがしたい、いっしょに連れて行って欲しいと頼みますが、そこで思いがけないことを打ち明けられます。

ベリーニは 綱の上で恐怖心を覚えるようになり、自信をなくして 綱渡りができなくなっていたのでした。

ベリーニの恐怖が ミレットの心にも暗い影を落とし、ベリーニはついに 恐れと向き合い 克服する覚悟を決めます。

くだんの興行師に協力してもらい、翌夕町の広場で綱渡りに挑むベリーニ。

しかし、一歩踏み出すと やはりというか そこで凍り付いてしまいます。




はじかれたように 綱の張られた建物に飛び込み、天窓から屋根へ出るミレット。

両手をベリーニに向かって差し伸べ、喜びで胸を一杯にしながら 綱に足を踏み出すミレットと、それを見てほほえみ、ミレットに向かって歩き出すベリーニ、ミレットをベリーニの可愛い弟子として観客に紹介しながら 早くも二人の世界ツアーをひそかに計画する興行師(笑)。

ベリーニの教えどおり 綱を渡りきることだけに集中しながら、ミレットは夢を叶え、ベリーニは恐れの克服に見事成功したのでした。

壁に貼られた二人の大きな興行ポスターを ひとりの女の子が眺めている絵で、物語は終わります。




このお話の後に、私が言いたかったことは ふたつ。

ひとつは、ミレットのように 心揺さぶられて たとえ止められてもどうしてもせずにいられないほど魅了される何かを見つけたときは、どうか大切にしてほしいということ。

もうひとつは、ベリーニのように 恐れを抱いたり 自信をなくすようなことがあっても、簡単にあきらめないでほしいということ。

つまり、自身の天命・ビジョンに出会ったとき、そしてそれを育ててゆくときの心構えみたいなものですね。




続いてリーダーの読み聞かせが終わった後、その内容からの連想で 誰かが空を飛ぶことについて冗談めかした発言をしたとき、とっさにひらめいて こう言ったのです。


   「まだ飛行機なんてものがなかったころ 空を飛びたいと思った人たちなんて、まさにさっきの話の通りだよ。

    まわりにキチガイ扱いされても どうしてもあきらめることができなかった。

    そういう一見正氣と見えないような人たちがいたからこそ、今の私たちは 当たり前のように飛行機に乗れるんだよ」




その言葉が 「大空をかける巨人」 という子供向けの本の内容を踏まえたものであることは、言った直後からわかっていました。

そして、家に戻ってから思い出したのです。

4年前の4~6年生の やはり学年最後の読み聞かせのときに、6年生へのはなむけのメッセージを意識しつつ まさにこの 「大空をかける巨人」 から一篇を読んだことを。

そのときのことを書いたブログは こちら

で ふと氣づけば、きょうの5、6年生9名のうち6名までが、4年前のあの4~6年生の弟や妹たち。

さらに、あの読み聞かせの翌日が ちょうど2011年の3月11日、きょうから遡ること4年の あの東北大震災の日だったのです。

あのブログに書いた 「震災の数日後に声をかけてくれた5年生の女の子」 の妹は、今年度のたった二人の6年生のひとりとして、23日に卒業式を迎えます。




だからどうしたと言われれば、どうということもない話なのですが、なにやら不思議な感じを覚えて ちょっと書いてみたくなりました(^^ゞ




ちなみに、今回過去ログを読み返して思い出した あの4年前のメッセージに込めた思いは、今よりずっと切羽詰って 何とか伝わって欲しいと懸命だったような氣がします。

今でも真剣さはいっしょ、でも 悲壮感が伴わないのは、私の心にゆとりが出てきたおかげでしょうか。

世の中にどんな変化が起きようとも 必ずいい方に向かえる、子どもたちも 必要なときがあれば きっとこのメッセージを生かして 幸せになってくれる、今は苦もなく そんな未来を描ける私であるようです(^^)























帰る場所

2015年03月11日 08時34分43秒 | 奈良・実家・家族


ブログの更新が止まっちゃいましたが。。。。

6日から9日まで、実家に行っていました。

6日が父の誕生日で、弟から鍋の材料持参で行くからと誘われていたのですが、6日午後には 今年度最後のお隣小学校の読み聞かせもあってどうしようかと。

で、結局ひらめきで 前日に行くと決め、読み聞かせ終了後に急いで飛び出して 奈良までひた走り、夕飯にギリギリで間に合いました(笑)

いつもながら ひらめき正解、今回は短い滞在だったけど、楽しかった~




前夜に 身の回りのものの支度といっしょに、急いでプレゼントの用意

プレゼントはネックウォーマー、去年から買ってあった毛糸で 1月末ぐらいから編み始めていたものです。

もともと父のために編んでいたものなのですが、ほんとうは2月のなるべく早いうちに完成させて送るつもりだったんですね。

たまたま手芸店の店先で展示してあるのを見つけて、ふむふむ これなら編み図がなくても作れるわ、などと思い込み、毛糸だけ買ってきたんですが、甘かった

編み物は慣れているつもりだったけど、思えばここ数年はかぎ針編みばかり、棒針使うのなんて 10年以上ぶりでは?

案の定というか、輪編みでガーター編みは編めないと氣づいてから、急きょ図書館で本を借りてきて 編み方を見直さなければならなくなり、さらに心配なので 別糸でいったん試し編みをすることに。

そこから 何度も編み直しをしたり 中断したりの連続で、ようやっと あとゴム編み止めをすれば完成というところまでこぎつけたものを、大急ぎで仕上げて、カードを添えて包装。

編み図代数百円をけちった愚かさを後悔したこともあったけれど(笑)、完成してみれば いいタイミングで手渡しプレゼントできたし、その後 家でも出先でも愛用してくれている様子も見せてもらえたし、また 棒針編みについても 思い出したことや新しく学んだことで 知識は増えるわ、もっと編みたくなるわ、で、いいことづくめ♪

意味なく起こってることってないんだなぁ、と改めて感服させられたことでした(^^)




暮らしの場、精神修養道場(笑)、ヒーリングサロン、図書館兼カフェ、などと さまざまな喜びをもたらしてくれるわが家ですが、ときには離れたところで暮らしてみるのも 外からの引きの視点を養うことになって いいものです。

また 父の家事手伝いも、今回はお天氣がぱっとしなくて 洗濯の類はほとんどできませんでしたが、いささかのメニューの作り置きと掃除、それに父が買ってきていた中華鍋の使用前の手入れができたのは よかったよかった

中華鍋・・・・って、この家 調理はオール電化なんだけど、カセットコンロを使ってでもの意氣込みの父、どうやらテレビで感銘を受けた 「あおり」 がやってみたいらしいと見た(笑)

撮り溜めた 「チューボーですよ」 から 回鍋肉の回をいっしょに再見、意欲が湧いたらしい様子に、次に行ったときの晩ご飯が今から楽しみな貴秋です




以前 向かいの高齢者支援ハウスにお住まいのおじさんに、ちょっと実家に行ってきますとご挨拶したとき、「ええわだよ、帰る家あって。わしは家族おらんさか」 と言われて、あ、と思ったことがありました。

それまで実家をそういう目で見たことはなかったけれど、あまりにも自然で身近なありようゆえに、なくなって初めてその重みやありがたさがわかる類の存在なのかもしれない、と。

あのときのおじさんとのやり取りは、その大切さを 失う前に氣づかせてくれた、重要な会話だったのかもしれません。

「帰る」 という表現が適当かどうか 迷ったこともありましたが、今はとにかく 「よく来たな」 と喜び迎えてくれる人がいる幸せを大事にし 感謝して、細かい理屈は抜きで、帰る場所があるありがたさを 素直にかみしめようと思います。




次に帰るのは 母の命日あたりかな~?