今行っている職場ですが、実は ちょうど十年前 住み込みで働いていたのと同じところなのです。
成り行きでそうなったのですが、十年も経てば 場所はともかく 働いている人の顔ぶれは大きく変わっているだろうと思いましたが、行ってみると 一部変動はあるものの 大半が知っている方。
ここでも、この十年での自身の変化と ビフォーアフターを、日々まざまざと見せられています。
そして、これだけ立て続けに ビフォーアフターの確認をさせられると、自分の意識どおりの世界が具象化している、すなわち 自分の世界は自分が創っていることを、概念ではなく 事実として認識しないわけにはいきません。
思えば、ここまでの変化を起こすのに やたらと時間がかかったのは、自身の負の要素を なかなか正面切って見つめられなかったためのようです。
なんといっても辛くて不快だったし、さらには 「見つめる」 というのがどういうことか わかっていなかったからでもあります。
頭で理解することが 見つめることなのかと思い込んでいましたが、そうではなかったんですね。
感覚フォーカスを会得してから、進み具合がぐっと早まりました(^^)
今振り返ると、もう少し余分な時間をかけずに済んだかもな、という氣がしますが、だからといって もったいないことをしたとも思わない。
この世の営みは、早ければいいというものでもないですしね。
体験するためにやってきたこの世界なのだから、得た体験も かかった時間も すべてが宝。
・・・・・なんてことが言えるのも、一番大変だったところを通り過ぎた今だからこそですが (*^-^*)ゞ
そして今、自分の積み重ねてきた負を見つめる段階から、役目を終えて去っていった負の 空いたスペースに、新しい喜びの世界を築く段階に入ったと感じています。
楽しくないことがあっても、もうそれをあれこれいじくり回したりはせず、さっさと意識を離して、氣分をちょっぴりいいほうに傾ける、それだけ。
ちょっぴりでいいんです。
それが呼び水となって、どんどん流れを大きくしてくれます。
これも学習の成果の一つ。
ネガ → ポジ って、一見真逆なので、ついつい大きな変化を起こさねばとがんばってしまっていたのですが、その力みがかえって 変化を難しいことのように思い込ませていたと氣づきました
“ほんのちょっぴり いい氣分”、最近の決まり文句です♪
辛い思い、いやな思い、苦い思い、これらをどうにかして消し去り、もっと楽しく もっと安らかに過ごしたい、その一心でここまできましたが、「神との対話」 で神が言われるとおり、どんな負も 見つめれば消えるというのは 確かなようです。
そして、負が役目を果たしたあとは、苦しんだ時間も経験も、そのすべてが 知恵や思い出などの かけがえのない財産に変わります。
新しい世界を築くこの流れ、先に何が待ち受けているのか 見当もつきませんが、不安はありません。
だって、自分が創っているんだもの♪
うまくいかなくても、いくらでもやり直せるもの♪
53回目の誕生日を迎えたきょう、ここを起点に 新たなビフォーアフターが始まります。
そんな節目に、ちょこっとこんなことをしたためてみたくなりました (*^^*)
氣象がおかしかろうと、世界情勢が混乱しようと、私の世界は大丈夫☆
自身の内側の調和を図る、ただそれだけのことで、誰でもこんなふうに言うことができるのです