毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

奥深い

2015年12月29日 06時18分13秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


夕べはちゃんと寝るつもりだったんだけどなぁ。。。。

大掃除と買出しでおおわらわ、帰宅してメールなどチェックするうちに 例によって いつの間にか眠り込んでしまい、目が覚めたら夜中の11時半

まあ仕方ないか、昼間張り切って動いたんだものね♪




わが家はどうにかこうにか格好がついたし、さてきょうからは実家へ移動、例年より一日少ない持ち時間での年越し準備、どうなりますやら




まだほんの数日前のことですが、“純粋な悲しみ” というものを 初めて体験しました。

それまでの私は、悲しみと怒りが いつもセットになっていて、ひたすら悲しいだけなんて境地、ほんとうにあるんだろうか? と疑問だったのですが、そのとき滲んだ涙には、いくら探っても あのおなじみの激しい動悸や圧迫感が まるで感じられなくて。

しんと静まり返った内側、ただ瞼の裏だけが熱くなり、やがてその熱が じぃんと細かい振動のさざ波に変わって すーっと尾を引くように 胸の奥にまで染み渡っていく。

哀切な思いを ただ静かに伝えるだけの ピュアな悲しみというものが ほんとうにあったと知ったときの驚き。




人が作り出した思い込みやわだかまりにも、層があるようです。

まず最初に触れるのは、怒りや不安など 派手々々しくキャッチしやすい感情と その体感。

それをひとつひとつじっくり味わい からだのあちこちに残る記憶を解放してゆくと、やがて次の層が 下から顔をのぞかせる、そんな仕組みになっているみたいです。

その 次の層 が 「悲しみ」 だったんですね。




喜びそのもののような小さな子ども、まだ限りなく神さまに近いままで、どんなことだってうまくいく、やっていける、と信じて疑わなかったのが、人間くさいこの世で 最初に壁に突き当たったときに まずショックと共に感じるのが、この純粋な悲しみなんじゃないかと思います。

それを率直に表現し切れれば そこで終わったのかもしれないけれど、そんな様子を咎められたり 泣くことを許されなかったりすると、素直な氣持ちを押し殺すようになり、その蓄積が やがて怒りや不安を生み出すらしい。

最初の悲しみを きちんと受け止められていたなら、その後の 怒りに振り回された 嵐のような数十年はなくて済んだのかもなぁ・・・・と ため息をつきたくなりましたが、でも そんな難題があったからこそ、それをじっくり解いてゆく喜びも味わえたんだものね(^^)

人の心は つくづく奥深いです。




その外側については、早くも大きな変化 ・ 変動が さまざまに予測されている 2016年。

年越しの支度でバタバタ慌しく、来年の抱負までは まだ氣がまわりませんが、今年、とりわけその終盤に体験したような 充実の時間や、同じように内なる世界を大切にする人との出会いや関わり合いが多い年であればいいなぁ、と ひそかに楽しみにしているところはあります。




新しいカレンダーがめくられるまで あと3日。

2015年のおしまいまで、密度濃い時間を 味わい尽くす氣満々の貴秋です (^^)