毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

カオスと癒し

2016年02月17日 12時38分38秒 | 紡ぐ暮らし


やっちゃった~、というべきか。。。。

柄付き粘着ローラーのロール紙の替えを探しに うっかり階段下の物入れをのぞいたのが運のツキ、あまりのカオスぶりに 思わず整理整頓する羽目に




まあ、毎日の掃き掃除拭き掃除以外の特別な掃除は、私の場合 だいたいこんなふうに もののはずみ的に始まります。

探し物で 普段開けない戸棚をのぞいたら ひどく散らかっていた、とか、落し物がたまたま転がり込んだ棚の下が ほこりまみれだった、とか (^_^;)

こういうのは “神のお告げ” と称して、できる限り素直に従うことにしています。

ご神託に忠実であった報いを受けるのは 年末や来客のとき、大掃除の負担が ぐっと少なくて済みます




この物入れには、亡き母の氣配が いまだ濃厚に漂っていました。

第二次世界大戦の真っ只中、東京の下町で ローティーンからハイティーンへとさしかかる 多感な年頃を過ごした母。

物資の乏しかった時代の苦労の記憶に もともと根深く抱えていた不安が重なり、「いつかは役に立つ」 と なんでもかんでも取っておくクセの強かったこと。

そこに 晩年発症した認知症の兆しが拍車をかけ、その結果が家中の物入れや戸棚のカオスとして出現し、母が旅立った後の4年がかりで わっせわっせ整理してきたわけですが、残る数ヶ所のひとつが この階段下。

溢れかえるこまごまゴチャゴチャしたものを けんめいに箱や袋に仕分けしようとした痕跡、表書きの 「掃除機フィルター替え」 などの几帳面な文字と、あやふやな記憶のせいか 同じものがいくつも重なって出てくる混乱ぶりの対比に、母の不安や懸命さが偲ばれて、なんともいえない氣持ちに。

不用品を捨て 残ったものの置き場を決めて 仕舞いなおしながら、そんな彼女の思いを なだめ癒す氣分でした。

考えてみれば、心が癒されるプロセスだって、不要となったわだかまりや思い込みを手放し、混沌としていた負の感情の整理をつけることで 実現するのですものね。




予定外の奮闘で、午前の予定は 大幅な変更を余儀なくされましたが、まあいいか、午後は存分にのびのびと楽しみましょう。




このブログ、長らく写真を載せられずにきましたが、また写真復活できるかもしれません。

思いがけず、デジカメを頂いてしまったのです。

以前使っていたカメラも 友人からのもらい物で、長いこと大切にしてきましたが、PCに読み込ませるためのケーブルとソフトCDを 母の葬儀の混乱で失くしてしまい、しまいっ放しでいるうちに レンズにキズでもついたのか 妙な影が写り込むようになってしまいました。

今回頂いたカメラは 前のものよりさらに軽くてコンパクト、散歩のお供にもってこいです♪

残念ながら 私のパソくんには データカードを差し込むところが付いてないので、家に帰って カードリーダーを取ってこないと 画像を読み込ませられませんが、うまくいけば あさってぐらいには 奈良や熊野の風景をお届けできるかも♪




というわけで、午後の予定の筆頭は カメラを携えてのお散歩で決まりー \(^o^)/