毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

誰にでも 望む世界を実現する力がある

2021年07月16日 16時44分39秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
前回お話しした 「人間ならではのやり方」 とは、意識のありようから変えていくというもの。

以前からお読みくださっている方は 「やっぱりそれか」 と思われたかもしれませんね (笑)。

そう、つまようじからスーパーコンピューターに至るまで、この世で人間が作ったものは、すべて形なき思いやアイデアから始まっています。

世界情勢だって同じこと、私たちひとりひとりの意識が変容すれば おのずと無理なく変わります。




なにがどうしてそうなったのか ほんとうのところはわかりませんが、とにかくある時から それまで平等だった人々の間に格差が生じ、権力を持つ者と従う者、搾取する側とされる側に別れました。

その状況が何世代にもわたって続くうち、祖先たちは次第に現状に慣れ、それぞれの立場なりに身の処し方を学びました。

戦って勝った者、負けた者、流されるがままになった者、進んで従った者、おのおのの思いは 幼い次の世代にそっくり伝わり、意識の奥底に刷り込まれて 自身の思いとして定着する、そんな伝承が何世代 ・ 何十世代と繰り返されました。

そして現代の私たちは、そもそもの事情を知らないまま いまある格差社会が自然環境などと同様当たり前のものと思い込み、先祖伝来のやり方でそれと向き合い暮らしています。

が、ここには大きな矛盾があります。

天体や四季の巡りのようにほんとうに当たり前のものなら そのまま受け入れるだけですが、私たちの意識のおおもとは 本来すべての命は等しく大切であることを知っており、いまの世情がそれにそぐわないことにも うすうす氣づいています。

なので、なにか問題が起こるたびに 「おかしいけれど仕方がない、自分にはどうしようもない」 と思ってあきらめるか、勝ち目は薄いとわかっていながら戦いを挑むかの二択を迫られるのです。

開かれている道のどれを採っても満足いく解決が得られない、望むイメージははっきりしているのに そこに至る確かな道筋が見えてこない、こういうときは あの “バグ” が邪魔していると思ってまず間違いありません。





で、この “バグ” を解いていくとどうなるかといえば、貴秋には二つのことが起きました。

ひとつは、現状について なにがどうしてこのような事態になっているのかが、貴秋なりにくっきり見えてきたこと。

どのようなからくりで事が動いているかに得心がいけば、自分にいまなにができるか、どう動けばいいかも少しずつわかってきます。

もうひとつは、現状を変えるに当たり、対象が他者から自分に移ったこと。

怒りに任せている間は 相手をどうしてくれようと考えてばかりいたのが、相手とは関係なく いま何を選べば自身の氣分がよくなるかというところに焦点が移ってきたのです。

この二つの変化から、それまで怒りや不安で消耗していたエネルギーを取り戻して心が落ち着き、自分軸で立っている実感が湧き、自分を幸せにするための自分なりのやり方がわかり、さらに自分の幸せがまわりの幸せにつながることもわかって 己の行動に自信が持てるようになり、セルフイメージが格段に上がりました。




私たちは長いこと、先祖から知らず知らずのうちに刷り込まれた情報と 本来の自分が氣づいている真実とのせめぎ合いにより、「自分には真実が見えない、ありのまま自由に生きることができない」 と感じて、セルフイメージを下げざるを得なかったのです。

しかし、本来の自分ではない情報を取り去ると、見える世界はこれまでと同じでも その意味合いががらりと変わります。

そして、自分には望む世界を実現する力があるとの強い思いも湧いてきます。

こうして フォーカスが意に染まない世界から 実現しようとする世界へと、ごく自然に移っていくのです。

こうなればもう戦う必要なんてなく、あとはめいめいが自分の役割を思い出して存分に打ち込めばいい。

そこでは誰にでも必ずその人にしかできないことがあり、不要な人なんてひとりもいないのです。

いま自信を失って引きこもっている人は、ほんとうの自分を忘れ 見失っているだけで、思い出せば 身のうちにおのずと力が湧き、この先どのように生きていけばいいかがわかります。




これが、貴秋が思う 「人間ならではのやり方」 。

自我なんて厄介なものを持っている人間にしかできないやり方、そしてコントラスト効果の喜びをもっとも多く受け取ることのできるやり方です。