毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

尊厳を取り戻す旅

2021年07月19日 19時29分13秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
初めて 「尊厳」 という言葉に氣を留めたのは、友人の古書の買い付けを手伝ったとき。

いまは素人でもアプリを使って売れそうな古書を見つけることができるのだそうで、その友人はブックオフなどで仕入れたものをネットを通じて販売して副収入を得ていましたが、唯一苦手なジャンルが料理本 ・ 手芸本ということで、貴秋にお声がかかったのです。

最初はどれが売れそうなのかてんで見当がつきませんでしたが、少しずつコツがわかって だんだん面白くなってくると共に、古書発掘のどこに魅力があるのかに氣づきました。

誰かがいらなくなって手放した本は、中古品ということで値打ちが下がってしまう。

でも、ほんとうに欲しいと思う人と引き合わせることができれば、価値は再び上がる。

喉から手が出るほど欲しいのに 絶版になっていたりしてなかなか見つけられない本だったら、買い手にとっては宝石のようなもの。

いまは叩き売り状態の本だって、必要としてくれる人と出会えれば 再び輝きを取り戻すことができる、その橋渡しをするのが楽しいんだ。

残念ながら価値を認めてもらえなかった本の尊厳を取り戻し、今度こそ幸せにと送り出す手伝いができるのがうれしいんだ。




思えば、家事でも 打ち捨てられていた道具を磨きたてて復活させるなんていうのは、とりわけ好きな分野です。

実家には それはそれはたくさんの物がぎっちり押し込まれて 出入りもままならないほどの部屋や物置がいくつもありましたから、発掘の喜びもひとしおでした (笑)。

また料理のリメイクや 古布利用の服のお直し、古紙だの空き箱だのを生かしてのクラフト製作なんかも大好き。

母の古Tシャツの切れ端を紅茶染めして繕った父愛用のパジャマや、大量に溜め込まれていた厚紙だの包装紙だのを組み合わせて作ったファイルなどは、新品以上の愛着があって 見るたびに頬が緩みます。

こういう喜びも、ただ物を作る楽しさだけでなく、捨てられかけていたものの値打ちを再び取り戻してやるところにあったのかと 合点がいきました。

なぜかはわかりませんが、貴秋は 見捨てられていたものが再び輝きを取り戻すさまを見るのが、とても好きなようです。




そしていま もっとも復活してほしいのが、人としての尊厳。

本来の自分にはないはずの要素を体験するために刷り込まれたバグは、役目が終れば手放されて 真の自分に返る喜びを一段と引き立てるはずが、なぜかいつまでも持ち越され、多くの人を苦しめています。

もともと自分のものではないネガティブな観念が 潜在意識に残り続けているせいで、自分に自信が持てず 本来の能力を発揮できないまま セルフイメージを落としてしまい、苦しい生活を強いられている人が どれほどいることか。

でも、魂が望んだ否定的体験は 一度体験すれば十分、その一度だけ 目を背けずにしっかり味わえば、それでおしまい。

見逃したままずっと持ち越しになっているバグは、 同じような否定的シチュエーションを繰り返し用意して 「自分はここにいるよ」 と氣づかせようとしてくれていますから、ひとつ手放すごとに エネルギーが軽くなっていきます。

ほんとうの自分を取り戻せば世界が変わる、再び輝き出した人でいっぱいの世界を 一日も早く見てみたい、心からそう思います。




20年前のきょう ・ 2001年7月19日は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で 貴秋が南紀に向かった日。

最近 過去を振り返る氣はほとんど起きませんが、ありったけの勇氣を振り絞ったあの日は、自身の尊厳を取り戻す旅の第一歩だったんだなぁと思うと、やはり感慨深いものがあります。

辛いことも苦しいこともいっぱいあったけれど、それだけの甲斐はまちがいなくあったよと、あの日の自分に教えてやりたい氣持ちです。