毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

幸せな季節

2015年03月12日 18時18分10秒 | 紡ぐ暮らし


奈良から戻って以来、右腕を少々傷めてしまいました(^_^;)

実家で朝起きたときに 腕の付け根の外側に妙な違和感とかすかな痛みがあったのですが、たいしたことはなかろうと のんきに構えていました。

が、帰りの車で長時間ハンドルを握りっぱなしでいるうちに、少しずつ痛みが増してきて、翌朝からは思うように動かせなくなり、今はひたすら左手に主役を務めてもらいつつ 回復を待つ日々です。

ただ痛いだけじゃなく、痛みを感じた後すぐ ふっと力が抜けたようになるので、重いものなど 危なくて持てません。

きのう ・ きょうのブログも、ほとんど左手の中指1本で ゆっくり打っています

。。。。。って、左手1本指で 3000字以上も打ってたんかーーーい




しかし、利き手が自由に使えないのは不便ですね。

それも、日ごとに春めいてきて、あれもこれもやりたいと意欲的になっているこのときに。。。

もうひとつネックウォーマー編みたいし、まだストーブ使ってるうちに レモンジャムも煮ておきたいし、畑のお世話も 家周りの草取りもしたいのに~ (T_T)

と ここで焦っても仕方ない、これも何か意味あってのことなのでしょう、心を落ち着けて できることをして楽しみましょう




日常のちょっとしたアクシデントも 感情の揺れも 決してなくなったわけではないのに、悲観的にならずにいられるのは、何が起きても手立てはある、たとえ面倒なことになっても 必ず切り抜けられる、という信頼感があるから。

どうやら 本来の自分というのは、何があっても大丈夫、いやむしろ そもそもこの世界に悪いことなんてないんだよ、っていうような おおらかな人らしいのですね♪

やたらあたふたビクビクそわそわする後付けのクセが薄れたことで、もともとの地金が 少しずつ顔をのぞかせ始めているのでしょうか




まあこれはこれでよし、多少腕が痛くったって、したいことができなくたって、空は青いし、お日さまはあったかいし、ウグイスの声はきれいだし、梅も美しく咲いているし、ご飯もお茶も美味しいし、まだまだ幸せなことはいっぱいあるのだから

ただ 今ここにみなぎる 春のエネルギーに浸っているだけで、すべて収まるところに収まり、万事うまく運ばれてゆくのだ、と安心していられる、幸せな季節です


























取り替える

2015年03月12日 13時05分03秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きのうの読み聞かせの話にちょこっと補足・・・・・って ちょこっとで済むのか自分? あの記事なんて 恐怖の3000字超えだったんだぞ とセルフ突っ込みしてみる(笑)




ほんとあれは、記憶が解けるにつれて あれよあれよという間に 4年前と今が重なり合い、つくづく不思議な氣分でした。

子どもたちの飛行機に関する冗談発言がなければ、あの2011年3月10日の読み聞かせを思い出すことはなかったもの。

あの頃の自分が、前向きでいようとしながら 心の奥には かなりの不安を抱えていたことも、今振り返ったからこそ見えたんでしょうね。

変わったねぇ、4年間がんばったねぇ、って、当時の自分をねぎらってやりたい氣持ちです(^^)




それはともかく、4年前も今も 同じようにやりたかったのは、子どもたちに 五感を超えた世界もあるんだよ、と知ってもらうこと。

授業参観に行かせてもらったり、あと 学校評議員も務めさせていただいているので 評議員会に出たりしたときに、いつもかすかな違和感を覚えるのが、すべてが言葉の世界の中だけで展開し、結論付けられてしまうことなんですね

答えの選択肢が あらかじめ限られた範囲で用意され、それ以外の回答をしにくくなってしまっているケースも多い。

「行き」 の道のりの間は、それでも自分をごまかして、与えられた答えの範囲内でやっていけると思い込ませていられました。

でも、「かえる」 道のりに向きを変えて久しい今、もうそんなことでは乗り切れなくなっています。

これからも 想定外と言われることが ますます起こってくるであろう世の中で 大人になろうとしている子どもたちに、古いアイテムを手放させ、もっとほんとうに役に立つものと取り替えてあげたい氣持ちでいっぱいなのです。




何よりもまず、彼らがほんとうの自分の氣持ちを知り、生まれながらに携えてきた自分の道を 生き生きと歩いてゆけるよう、切に願います。

私自身、これまでは 自分を変えることで手一杯だったけれど、これからは 自分が得たもの・体験したことを 外に発してゆくことも、自分の道の一部のようです。

子どもの頃、自分を理解してくれる人と ほとんどといっていいぐらい巡り合えず、どうせわかってはもらえないと まわりに心を閉ざし、自分が何をしているのか このブログに書いているようなことを話すこともなく、引きこもりのような状態で ずっとやってきました。

でも、自分の中で これでよかったんだという確信が徐々に大きくなり、また 理解されなかったという痛みも手放せるようになった今、以前のようにひとり抱え込んだままためらうのではなく、時として あえて五感を超えた視点から言葉を発することも恐れない自分へと 変わってきたようです。

特に、まだ頭も心も柔らかい子どもたちに 新たな視点をひとつ加えてもらうことは、必要ならしかるべきときに発芽し、彼らの歩みを助ける手立てとなってくれるだろうと楽しみなので、折に触れて これまで以上に積極的に踏み込んでいくかと思います




いくらうまくいかないとわかっていても 毎度お馴染みの古い反応から離れられないのは、もっといい生き方が見えないから。

ならば、それをちらとでも体験した者の情報が ひとつでも多く出揃うことは 悪いことではなかろうと(^_-)

このところ ブログ更新がやたら楽しくて仕方ない貴秋です
























ちょっと不思議なこと

2015年03月11日 23時56分57秒 | 子どもたちと


きょうの午後は、5、6年生のみの読み聞かせ。

ほんとうなら先日6日のはずが、5、6年は他の予定があって外出しており、今年度最後ということもあってか、きょう別枠で時間をとっていただけることになったのです。

二学年総勢9名を リーダーと二人で担当するので、ひとり当たりの持ち時間は 20分強。

図書館で4冊絵本を借りていたので、うち2冊の組み合わせを前もって選んでおいたのですが、なぜかけさになって、読むのは1冊だけにして 残った時間で その物語に絡めて ちょっとした話をしたくなり、急きょプランを変更。




で、その選んだ1冊、エミリー・アーノルド・マッカリー作・絵 「つなのうえのミレット」 。

主人公のミレットは、今から百年ほど前、世界中の旅芸人が集まってくるパリで 評判の宿屋を営む マダム・ガトーの娘。

絵の感じではローティーンからミドルティーンぐらいでしょうか、シーツ洗いや床磨き、芋の皮剥きの腕前は大人顔負けで、旅芸人たちの語る この町や旅の道中での出来事に耳を傾けるのが何よりの楽しみというミレット。

ある日、そんなミレットの宿に、引退した綱渡り師のベリーニがやってきます。




え~っと。。。。。

こういう絵本なんかも、結末まで言及するときは 「ネタバレ注意」 としておくものなのかな?

ブログの慣例やマナーはよくわからないのですが、いちおうおしまいまで筋をお話しすることになりますので、お読みになりたくない方は ごめんなさい、ここまでになさってください m(__)m











*             *             *             *












ミレットは、滞在中のベリーニが 毎日のように宿の中庭で綱渡りをするのを目撃し、自分もやってみたくてたまらなくなります。

ベリーニには弟子入りを断られますが、すっかり綱渡りに魅せられたミレットは、とうとうこっそり独習を始め、わずか1週間で見事にマスター。

ミレットの才能と熱意に感銘を受けたベリーニは、ついに師匠になることを承諾、彼の厳しい指導の下、ミレットは ただ落ちずに綱を渡るだけでなく、綱の上で おじぎをしたり 走ったり 横たわったり 宙返りをできるまでの腕前になります。




そんなある晩、たまたま宿に泊まり合わせた興行師によって語られる、ベリーニの過去の栄光。

彼は 「神業のベリーニ」 と呼ばれるほどの高名な綱渡り師で、ナイアガラの滝の前をわずか10分で渡りながら 途中でオムレツを焼いてみせ、両足にかごを結びつけたままアルプス山脈を渡り、バルセロナの闘牛場の上で大砲を打ち鳴らし、ナポリでは目隠しをしたまま 炎の燃え盛る綱を渡るほどの、鉄の心臓の持ち主だったというのです。

すっかり感動したミレットは、自分も同じようなことがしたい、いっしょに連れて行って欲しいと頼みますが、そこで思いがけないことを打ち明けられます。

ベリーニは 綱の上で恐怖心を覚えるようになり、自信をなくして 綱渡りができなくなっていたのでした。

ベリーニの恐怖が ミレットの心にも暗い影を落とし、ベリーニはついに 恐れと向き合い 克服する覚悟を決めます。

くだんの興行師に協力してもらい、翌夕町の広場で綱渡りに挑むベリーニ。

しかし、一歩踏み出すと やはりというか そこで凍り付いてしまいます。




はじかれたように 綱の張られた建物に飛び込み、天窓から屋根へ出るミレット。

両手をベリーニに向かって差し伸べ、喜びで胸を一杯にしながら 綱に足を踏み出すミレットと、それを見てほほえみ、ミレットに向かって歩き出すベリーニ、ミレットをベリーニの可愛い弟子として観客に紹介しながら 早くも二人の世界ツアーをひそかに計画する興行師(笑)。

ベリーニの教えどおり 綱を渡りきることだけに集中しながら、ミレットは夢を叶え、ベリーニは恐れの克服に見事成功したのでした。

壁に貼られた二人の大きな興行ポスターを ひとりの女の子が眺めている絵で、物語は終わります。




このお話の後に、私が言いたかったことは ふたつ。

ひとつは、ミレットのように 心揺さぶられて たとえ止められてもどうしてもせずにいられないほど魅了される何かを見つけたときは、どうか大切にしてほしいということ。

もうひとつは、ベリーニのように 恐れを抱いたり 自信をなくすようなことがあっても、簡単にあきらめないでほしいということ。

つまり、自身の天命・ビジョンに出会ったとき、そしてそれを育ててゆくときの心構えみたいなものですね。




続いてリーダーの読み聞かせが終わった後、その内容からの連想で 誰かが空を飛ぶことについて冗談めかした発言をしたとき、とっさにひらめいて こう言ったのです。


   「まだ飛行機なんてものがなかったころ 空を飛びたいと思った人たちなんて、まさにさっきの話の通りだよ。

    まわりにキチガイ扱いされても どうしてもあきらめることができなかった。

    そういう一見正氣と見えないような人たちがいたからこそ、今の私たちは 当たり前のように飛行機に乗れるんだよ」




その言葉が 「大空をかける巨人」 という子供向けの本の内容を踏まえたものであることは、言った直後からわかっていました。

そして、家に戻ってから思い出したのです。

4年前の4~6年生の やはり学年最後の読み聞かせのときに、6年生へのはなむけのメッセージを意識しつつ まさにこの 「大空をかける巨人」 から一篇を読んだことを。

そのときのことを書いたブログは こちら

で ふと氣づけば、きょうの5、6年生9名のうち6名までが、4年前のあの4~6年生の弟や妹たち。

さらに、あの読み聞かせの翌日が ちょうど2011年の3月11日、きょうから遡ること4年の あの東北大震災の日だったのです。

あのブログに書いた 「震災の数日後に声をかけてくれた5年生の女の子」 の妹は、今年度のたった二人の6年生のひとりとして、23日に卒業式を迎えます。




だからどうしたと言われれば、どうということもない話なのですが、なにやら不思議な感じを覚えて ちょっと書いてみたくなりました(^^ゞ




ちなみに、今回過去ログを読み返して思い出した あの4年前のメッセージに込めた思いは、今よりずっと切羽詰って 何とか伝わって欲しいと懸命だったような氣がします。

今でも真剣さはいっしょ、でも 悲壮感が伴わないのは、私の心にゆとりが出てきたおかげでしょうか。

世の中にどんな変化が起きようとも 必ずいい方に向かえる、子どもたちも 必要なときがあれば きっとこのメッセージを生かして 幸せになってくれる、今は苦もなく そんな未来を描ける私であるようです(^^)























帰る場所

2015年03月11日 08時34分43秒 | 奈良・実家・家族


ブログの更新が止まっちゃいましたが。。。。

6日から9日まで、実家に行っていました。

6日が父の誕生日で、弟から鍋の材料持参で行くからと誘われていたのですが、6日午後には 今年度最後のお隣小学校の読み聞かせもあってどうしようかと。

で、結局ひらめきで 前日に行くと決め、読み聞かせ終了後に急いで飛び出して 奈良までひた走り、夕飯にギリギリで間に合いました(笑)

いつもながら ひらめき正解、今回は短い滞在だったけど、楽しかった~




前夜に 身の回りのものの支度といっしょに、急いでプレゼントの用意

プレゼントはネックウォーマー、去年から買ってあった毛糸で 1月末ぐらいから編み始めていたものです。

もともと父のために編んでいたものなのですが、ほんとうは2月のなるべく早いうちに完成させて送るつもりだったんですね。

たまたま手芸店の店先で展示してあるのを見つけて、ふむふむ これなら編み図がなくても作れるわ、などと思い込み、毛糸だけ買ってきたんですが、甘かった

編み物は慣れているつもりだったけど、思えばここ数年はかぎ針編みばかり、棒針使うのなんて 10年以上ぶりでは?

案の定というか、輪編みでガーター編みは編めないと氣づいてから、急きょ図書館で本を借りてきて 編み方を見直さなければならなくなり、さらに心配なので 別糸でいったん試し編みをすることに。

そこから 何度も編み直しをしたり 中断したりの連続で、ようやっと あとゴム編み止めをすれば完成というところまでこぎつけたものを、大急ぎで仕上げて、カードを添えて包装。

編み図代数百円をけちった愚かさを後悔したこともあったけれど(笑)、完成してみれば いいタイミングで手渡しプレゼントできたし、その後 家でも出先でも愛用してくれている様子も見せてもらえたし、また 棒針編みについても 思い出したことや新しく学んだことで 知識は増えるわ、もっと編みたくなるわ、で、いいことづくめ♪

意味なく起こってることってないんだなぁ、と改めて感服させられたことでした(^^)




暮らしの場、精神修養道場(笑)、ヒーリングサロン、図書館兼カフェ、などと さまざまな喜びをもたらしてくれるわが家ですが、ときには離れたところで暮らしてみるのも 外からの引きの視点を養うことになって いいものです。

また 父の家事手伝いも、今回はお天氣がぱっとしなくて 洗濯の類はほとんどできませんでしたが、いささかのメニューの作り置きと掃除、それに父が買ってきていた中華鍋の使用前の手入れができたのは よかったよかった

中華鍋・・・・って、この家 調理はオール電化なんだけど、カセットコンロを使ってでもの意氣込みの父、どうやらテレビで感銘を受けた 「あおり」 がやってみたいらしいと見た(笑)

撮り溜めた 「チューボーですよ」 から 回鍋肉の回をいっしょに再見、意欲が湧いたらしい様子に、次に行ったときの晩ご飯が今から楽しみな貴秋です




以前 向かいの高齢者支援ハウスにお住まいのおじさんに、ちょっと実家に行ってきますとご挨拶したとき、「ええわだよ、帰る家あって。わしは家族おらんさか」 と言われて、あ、と思ったことがありました。

それまで実家をそういう目で見たことはなかったけれど、あまりにも自然で身近なありようゆえに、なくなって初めてその重みやありがたさがわかる類の存在なのかもしれない、と。

あのときのおじさんとのやり取りは、その大切さを 失う前に氣づかせてくれた、重要な会話だったのかもしれません。

「帰る」 という表現が適当かどうか 迷ったこともありましたが、今はとにかく 「よく来たな」 と喜び迎えてくれる人がいる幸せを大事にし 感謝して、細かい理屈は抜きで、帰る場所があるありがたさを 素直にかみしめようと思います。




次に帰るのは 母の命日あたりかな~?





















泣いていい

2015年03月04日 21時41分38秒 | ふと思うこと


そもそも誰が言い出したんでしょうね。。。。。「男の子は泣いてはいけない」 とか 「強い子は泣かないのよ」 とかって。




相変わらず感覚フォーカスの毎日ですが、その最中に 不意に泣きたくなることがあります。

たしかに 感じ取っている感覚は そのほとんどが不快なものですが、だからといって泣くほどのことでもなし、ほかにこれといった理由も見当たらない。

そういうときは、「ああ、がまんしちゃってたのが出てきたんだねぇ」 と思います。

その感覚をリアルタイムで味わった 幼いときに、こみ上げてきた涙をぐっと飲み込んで こらえてしまったから、きょうまでずーっとそのまま抱え込んでいたんだろうな、って。

そして、何十年後のことになるのか、なにゆえの涙か、とんとわからないまま、改めて 泣きたいだけ泣かせてあげます。




自分の抑え込んでいる涙に氣づいたのは、和歌山に来て 少し経ってからのこと。

仕事がらみで なにやら悔しいことがあって、自室に戻ってからも 心が騒いで落ち着かない。

誰が見ているわけでもないのに 泣くまいとがんばっている自分に氣づいて、抑圧していたのは ほかならぬ自分自身だったと知り、ほんとうは ず~っと溢れんばかりに溜め込んだ涙を解き放ちたくてたまらずにいたのだと 初めてわかったのでした。

こんなムリをしたまま 何十年過ごしてきたんだろう。。。。。




      悲しみも自然な感情だ。 ~ (略) ~

      悲しいときには悲しんでいいんだよ、と言われて育った子供は、おとなになったとき、悲しみは健全だと思える。

      だから、とても早く悲しみから抜け出せる。

      「こらこら、泣いてはいけません」 と言われて育った子供は、おとなになって泣きたいとき、苦しい思いをする。

      ~ (略) ~ だから、悲しみを抑圧する。

      抑圧されつづけた悲しみは、慢性的なうつになる。

      非常に不自然な感情だ。

      人びとは、慢性的なうつのために人殺しをしてきた。

      戦争が勃発し、国が滅んだ。



ニール・ドナルド・ウォルシュ著 「神との対話」 (文庫版③巻より) の一節です。

同じように 抑圧されることで害を引き起こす感情に、怒り・羨望・不安・愛が挙げられていますが、自然な感情の発露を抑えつけるということが どれほどの悪影響をもたらすか、溜め込んだものの全解放を目指す今、日々身をもって 思い知らされて、心から同感です。

今からだに訴えかけてくる感覚は、その昔感じることを拒み、表面はにっこり笑ってなんでもないように取り繕ってきた、その後遺症ともいうべきもの。

よくまあこれだけと思うほど連日、不自然で不快な感覚にさらされ続け、身長154cmそこそこのからだの中に これだけの負が詰め込まれたまま 半世紀もきたのか、と思うと、なにやらそら恐ろしいような氣持ちになります。

そんな苦痛に満ちた危なっかしい爆弾を 一生抱えたままいることなく、今手段を得て 手放してゆけることを、心の底からありがたく思います。




ちなみに、「神との対話」 によれば、抑圧され続けた怒りは憤怒に、羨望は嫉妬に、不安はパニックに、愛は所有欲に、それぞれ変わるのだそうです。

いずれも 犯罪がらみのニュースやドラマでおなじみの感情ばかり。。。。戦いが起こって国が滅びるわけだ、と納得させられます。

いいかげん大人も子どもも、これ以上不自然に感情を抑えることなく のびのび表現できるよう、人前で感情の破綻を見せてはいけないという 私たちの 「社会常識」 を見直すときがきているんじゃないのかな。




深く考えることなく 「男の子が泣いたらあかん」 などと反射的に口に出されるような場面に出会うたび、ひやりとするものを感じます。

世界平和なんていう壮大な目標も、案外ひとりひとりが 自分の抱え込んでいるものに氣づいて手放す、という 地味で地道なところから始まるのかもしれません。























下ろそう

2015年03月04日 07時19分05秒 | ふと思うこと


先日の 「下世話なスピ」 、下世話という表現がちょっとなぁ。。。。という氣がしていたんだけれど。

そのあとにもうひとつ思いついたのが、「氣さくなスピ」 。




・・・・・・・・・・・・う~ん (-_-; )




いや、なにもムリしてこういう言い回しを考える必要もないのですが、どうもこの 「スピ ⇒ スピリチュアル」 という言葉につきまとう (と私には見える) この世離れしたというか、妙に神々しいというか、特殊な世界というか、そんなイメージが、近頃しっくりこなくって。

そこへもってきてたまたま、こんな記事を読んだものだから よけいに。




これらの項目に該当する人たちをあげつらうつもりはないのです。

真摯だからこそ こういうところに入り込んじゃうこともあるわけで、それもまたプロセスのうち。

そもそも私だって 大なり小なり こういうところあったんだし、これからだって いつまたやっちゃわない保証もないのだから(^^ゞ




ただ、自分も通った道だからこそ、「他とは違う 特別な存在でありたい」 っていう自我さんの願いと結びついた 心の世界の探求が、やっぱり違ってたんだなぁ、と 今はしみじみ思えて。

スピリチュアルな世界を やたら神秘の高みに押し上げてしまうと、結局困るのは自分たちなんだ、ってわかってきたのです




きのうふと、そもそも自分って なんでこんな探求に向かうようになったんだろう? って思いついて 過去を振り返ってみたのですが。

23、4歳ぐらいまでは、「五感で掴めるものがすべて」 という世界を 当たり前のように生きていたんですね。

ただ、小学生の頃から 「かもめのジョナサン」 に魅かれてみたり、初めてスピリチュアルに触れたときも まったく抵抗を感じなかったりと、下地はあったようにも思います。

で、初めてそういう世界を語る人と出会ったのですが、その人は 「言葉」 を重視していたので、言葉についての学びを深めることに。

そこで初めて、言葉の及ばない世界というものを意識するようになりました。




言葉ですべては語れない。

五感ですべては掴めない。

むしろ、言葉・五感の及ばない領域ほど、本質に近いのだ、と。




実のところ、何を言われているのやら あのころはさっぱりわからなかったし、わかっていたつもりのことも 今思えばまるっきり見当外れだったのですが、それでいてなぜか すごく大切なことを聞かせてもらっているのだという感じは強くて、わかななければわからないほど もっとわかるようになりたい、もっと知りたい、と ぐいぐい食いついていったんですね。

それから20年以上。




まさに先ほどの記事のように、スピリチュアルの神秘に憧れ、悟ればすごい人になれるんだ、成功者なんだ、と 悟りに執着していたころ、いくら手を伸ばしても届かないように見えたその世界は、はるかな高みに属するものと映っていました。

でも、今はむしろ 根っこのようなものなんだと思っています。

見えないのは確かだけれど、それはどこかあらぬところで 神秘のベールに包まれているのではなく、私たちとひとつながりで 足元から支えてくれているのだと。

その存在を 誰もが感じ取り、自分たちの日常と分かちがたくつながった 身近なものとして受け入れ、共にあることが、今あちこちで起こっているボタンのかけ違いを正してくれるのではないかと思えてならないのです。




家族や友だちと揉めた、とか、勉強や仕事で失敗した、とか、五感の世界でちょくちょく起こるアクシデントに、誰もが 五感を超えた意識をごく自然に取り入れて対応する、というのが、日常的な光景となったら。

「あそこのご夫婦、またケンカしたらしいね、どっちも男性性と女性性のバランスがもうちょっと取れるようになるといいんだろうにねぇ」 とか、「失敗にがっかりしなくていいのよ、そこにどんなメッセージが入ってるか じっくり探してごらんなさい」 なんて言葉が、家庭でも職場でも学校でも道端でも ごくふつうの人たちの間で 当たり前に交わされるようになったら。

そんなのが、ここでよく言わせてもらっている 「漬物のコツと 五感を超えた世界の話が、ふつうに同列で語られる世界」 のイメージなんですね♪




まだ スピリチュアルなんていう分野が 今ほどポピュラーでなかったころ、先駆者として その世界を語り 広めていった人たちは、やはりそれだけの意識や力を兼ね備えたすごい方たちだったのだろうし、尊敬されるのも当然だと思います。

そして、後に続こうとする人たちが 彼らに憧れ、自分もそうなりたい! と切に願ったのも、また自然なこと。

だから、憧れる人が増えるほどに 先駆けの方たちが高みに押し上げられていったのも むべなるかな、ですね。

プロセスの一部として、そういう流れもあり。




でも これからは、逆に いったん押し上げたものを、誰にでも手が届くものとして 再び地に下ろすことが必要なんじゃないかと思うのです。

いつまでも一部の人だけのもののままでは、せっかくここまで広く認められるようになった力をみんなで使って 世界をよくしていくことはできないもの。

そのために、「スピ」 という言葉にまつわる 特殊な世界的イメージを 払拭したくなった、というわけなんです (*^▽^*)ゞ




うーん、身近なスピ、氣軽なスピ、ありふれたスピ。。。。。




( ̄∇ ̄;)




まあいいや、そのうちなんかいいのが浮かぶでしょう☆




これよさそう、っていうのを思いつかれた方は、ぜひ貴秋まで m(__)m
























来てくれてありがとう♪

2015年03月03日 11時32分25秒 | 紡ぐ暮らし


ルッコラは、ぴりりとしたマスタード風の辛味と ゴマの風味をもつ アブラナ科のハーブです。

ルッコラとはイタリア語の名前だそうで、英名はロケット、和名はキバナスズシロ。

去年の5月、白浜から戻ってしばらく経った頃、ふと種を買ってあったのを思い出して播きました。

少ししたら ぞろりと可愛い芽が出て、夏中楽しませてもらいましたが、9月からまた白浜暮らしになり、次に戻る頃にはもう終わっているだろうと思っていたのですが。

帰ったら、3株が残ってすくすくと育ち、うち1株はかなりの大株に。

おかげでこの冬も 美味しい葉っぱを堪能させてもらいました(^^)




ルッコラのゴマの香りは、熱を通すと消えてしまうので、サラダに入れるか、トッピングにするかします。

大株の葉なら 5~6枚も使えば、中サイズのサラダボウル1杯分のサラダになるので、ほぼ毎日のように使わせてもらっています。

ポン酢とオイルを混ぜてドレッシング代わりにしていたときは、玉ねぎのスライスと合わせることが多かったのですが、今は ルッコラだけを 弟一家の信州土産の玉ねぎドレッシングをかけていただいています♪

粗みじんの玉ねぎがたっぷり入った濃厚なドレッシングと ぴりっとやや苦味のあるルッコラがよく合って、飽きることがありません




サラダ以外では、たらこスパゲッティや ペペロンチーノのトッピングによく使います。

たらこスパとの相性抜群なのは 以前から知っていましたが、最近 ルッコラペペロンチーノにもハマって☆

さっと洗ってしっかり水切りしたルッコラの 柔らかい葉の部分は手でちぎってザルに上げておき、軸はざくざくっと切って、茹で上がったスパゲッティにオイルを絡めるときに混ぜ込みます。

このとき、味付けの塩に 昆布茶少々をプラスすると、一段と美味♪

器に盛って、ちぎった葉をたっぷり乗せて出来上がりです

これと、カボチャのチーズ焼きか カボチャサラダとの組み合わせが 最近のお氣に入りメニュー




ルッコラのほかにも、使い終わった根っこを植えておいた青ねぎや、昨夏 青ジソといっしょに刈られてしまった種採り用枝のこぼれ種から生えたパセリが、元氣に冬を越して、食卓を彩ってくれています。

たとえささやかでも、見てくれが悪くても、自分の手がけた食材が乗る食卓は 何よりの喜び

わが家に来てくれてありがとう♪

楽しませてくれてありがとう♪

私の一部になってくれてありがとう♪
























選ぶ?選ばない?

2015年03月02日 14時36分39秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


映画やドラマを見るとき、それが作り物だとわかった上で 一時的に浸り込みますよね☆

どれほど魅力的な世界であっても、画面の外には 製作スタッフがずらりと並び、機材などが置かれた別世界があることが、分別ある大人なら わかっています。

たった今 お芝居で 恐ろしい罪を犯した人が、「カット!」 の掛け声とともに 素の俳優さんに戻って にっこり笑顔を見せるであろうことも。

でももし、演じている人たちから見て セットの外側の世界が 突如消えてしまったとしたら。

芝居の中の世界しか存在しなくなったとしたら。




なんだか 「世にも奇妙な物語」 みたいですが(笑)、実のところ 私はほとんど半世紀 そんな “奇妙な” 世界にい続けたんですね ( ̄ー ̄;)ゞ

今自分のまわりにある世界 たったひとつしか知らず、そこで何が起ころうと 逃れる術はないもの、その中でどうにかするしかないものとして生きてきました。

それを 「閉じ込められている」 と感じるようになったのは、ごく最近のこと。

「閉じ込められている」 と見えるようになったのは、その外に別の世界があることに氣づいたからにほかなりません。

長い間、「渦の内外」 という例えでお話してきた観念が 実感に変わり始めた証、ということでしょうか。




新しい世界は 創ろうと思って創ったわけではないのです。

からだの感覚を通して、“実はホンモノじゃなかったもの” が消えていったあとに、いつの間にかあったんです w( ̄o ̄)w

その結果、錠前破り (違うって) とか 楽しい工作とかが 自然とできちゃう自分になっていたわけですね♪




新しい 「世界」 と言ったけれど、正しくは 新しい 「視点」 ですね。

あまりにもリアルな形や色・手触りがあるから どうしても現実世界として認識しがちだけれど、実は目に映るものへの考えや解釈を生きているだけなのだから。




複数の視点を持つようになると、氣に入ったほうを自由に選べるとわかるから、氣に病むことがぐんと減って 氣持ちが軽くなります

また、これまで二者択一だと思い込んでいたところに、もっとたくさんの選択肢が現れることも。

そして、自分で好きなように決めて、結果をよぉく味わいなさい、と。

失敗したな~と思ったら、選びなおせばいい。




選べるっていうのは、いくらでも好きに創れるし、やりなおしもきくっていうこと。

だから 選ばない選択肢だって、通常は 悪だとか 正しくないとかって嫌われるけれど、実は必要な存在なんですね。

ちゃんと意味あって生まれているんですね。

だから、忌み嫌う必要はなくて、ただ選ばなければいい。

フォーカスを外せばいい。




選ばないというのは、避けるのとは (ぱっと見似ているようでも) まったく違うんですね。

避けるというのは、好ましくないものを恐れて、極力見ないようにしている姿。

そうやって逃げようとするから、かえって相手は大きくなり、ずっと恐れ続けることになる。

選ばないというのは、見極めたうえで 意識を外すこと。

選ばれなくなった対象は、ただ消えていくだけで、それ以上のごたごたは起こりません。




焦点を結ばなくなった世界は、ないのも同じ。

私の場合、意識して外したものもあれば、いつの間にか外れていたものもありますが、どちらにせよ すっきりすることに変わりはなく。

まあ 今のところは、これはどうする? 選ぶ? 選ばない? っていうのが 次々上がってくるんで、楽ではありませんが (笑)

長いこと 好まないものを敵視して戦ってきたけれど、戦うから いつまでも存在し続けていたわけで、自分の世界に取り込まければよかっただけのこと(^^ゞ

たまたまちらりと目に映る ? や なものがあっても、それは 窓の外を通り過ぎる 一瞬の景色、わざわざ氣に留めない限り 自分の世界の一部になることはありません。




そうやって、自分の世界を変えられるものなんですね。

さんざん口にしておきながら、実際なってみて、へぇ こういうことだったのかって 感心したり 驚いたりしています。

毛虫が さなぎを経て 蝶になるときって こんな感じなのかな?

今はまだ、出たと思うとまた次の世界に閉じ込められて。。。。の連続だし、この先どうなるかも よくはわからないけれど、それでも ここからがいよいよほんとうの人生なんだ、と思うと、ちょっとドキドキ、そして かなり楽しみ~、な氣分です

























春に乗せて

2015年03月01日 17時49分45秒 | ふと思うこと


きょうから3月。

春ですよ~、ということで、テンプレートを菜の花にしてみました♪

実際は 大雨の幕開けだけれど、これも浄化の雨、静謐な冬から ものみな目覚める春へ、次の日ざしで思いっきりバーンと飛び出せるように、今は古いものをきれいさっぱり洗い流していただこう (^^)




お腹の底から湧き上がるエネルギーは、季節の勢いか、しがらみから次々解放されて軽くなった心のせいか。

きのうも、特大の思い込みをひとつ見つけて手放しました。

丸一日がかりで へとへとになったけど、それだけのことはあったね

せっかくの晴空の下 どよ~んとした一日を過ごす羽目になりましたが、おかげできょうは、この大降りの中でも 元氣はつらつ \(^o^)/




季節の移り変わりに心を打たれる、自然の美しさに心奪われる、っていうのは、自分の内側の自然と外側の自然が 共振共鳴しているありさまなのかな、と思います。

世界が輝いて見えるのは、自分の内側のエネルギーの通りがいいから。

不安に胸を塞がれたままでは、どんな美しい景色だって 楽しく眺めることはできません。




内側を感じていて、不安にかられてひやりとしたり コツンと抵抗につき当たったりしたとき、私は そこに 「取り残されたかけらがある」 と思うことにしています。

以前は 「取り残された小さな子」 とイメージしていたけれど、それだと分離感が増すので、ちょっと変えてみました。

幼かった私が どうすればいいのかわからない事態に直面したとき、いつか成長した自分が解決しに戻ってくるのを待って、自身の一部をかけらとしてそこに留め置くことにしたのだと。

そして今、持ち越しになっていた否定的な感情に行き当たるたびに、今度こそ 目を背けず向き合い 感覚をよぉく味わうことで、取り残されたかけらを回収し、再びひとつの完全体を目指して進む毎日。

残るかけらが減ってゆくほどに、季節も暮らしも より楽しく感じられるようになっていく、と。




表面的に 大きな違いがあるわけではないのですね。

季節も暮らしも いつものように淡々と巡ってゆくだけ。

ただ、こちらの感じ方、受け止め方が違う。

何をするかに関係なく、穏やかな満ち足りた時間が どんどん長くなってゆく。




幸せになるのに、たくさんの物も 大きな刺激もいらないのだと思います。

自分の内側を雑然と塞いでいたものが減るだけで、生きている自分と世界へのいとおしさが なんとなく増してゆく。

特別な技術も設備も費用もなくてできる、ささやかな、でも確実な、平和の実現。




萌え立つ春のエネルギーに乗せて、身の回りの さりげなく小さな幸せの種を 大きく大きく育ててみよう。。。。ふとそんなふうに思いました