毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

日々是アドリブ♪

2015年12月10日 09時30分52秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きのうの午前、調べ物に夢中になっていて、はっと氣づけば 11時過ぎ。

しまったぁぁぁ、1時前にお出かけなのに、でもまだやることいっぱい残ってるのに~




さんさんと降り注ぐ太陽も 澄み渡る青空も、翌日にはかなりの確率で曇天決定らしいので、きょうのうちにいろいろと済ませておきたかったのです。

以前なら、そこでやおら すべての所要時間を計り、どれを諦めるか決める、悩み多い作業の始まり。

でも今は、以前にはなかった大切なことを知っている。




世界に私が合わせるんじゃない、私が世界を創ってる ということ。

時間も あってないようなもの、思い方ひとつで 伸びも縮みもする ということ。




心に 「今の一番」 を問うと、すぐさまからだが動き出します。

そのまま 洗濯、掃除と くるくるこなしつつ、並行して 食事と外出の支度。

一息ついたところで時計を見ると、12時20分、あとまだひとつ どうしてもやっておきたかったことが残ってる。

窓の外の日ざしを感じながら、ずっと散歩に行きたくてしょうがなかったのです。

外出か散歩、どちらかをあきらめるか?

決心がつかないまま、とにかく望みのままに 戸締りをして 表に出ます。




外は 期待通りの氣持ちよさ、背筋を伸ばし 大股で いつものコースをどんどん歩きます。

川面に映る 光のきらめき、真っ赤なツタやハゼの葉、青空を背景に くっきり浮かぶ 山の稜線。

三分の二ほど来たところで、心が告げます、もう十分満足したと。




引き返すと、ちょうど頃合の時間に帰宅、よしこれで。。。と思ったら、とっくに終わっているはずの洗濯が、まだ終わっていません。

しまった、水道の栓の開きが不十分で、予定より時間がかかってる

外出は少々遅刻になりますが、やむを得ず。

栓を全開、あとは洗濯機に任せて 身支度を済ませ、荷物を車に。

脱水時間を半分にカット、どうしてもきょう中に乾かしたいものだけ持って出て、戸締り。

干し終えるや飛び出し、車スタート。




外出先は 町の公民館、地元小中学生の代表の 人権作文発表会があるのです。

お隣小学校の2年生ひとりだけ聞き損っちゃったけれど、ごめんね、2年生だから まだまだ機会あるよね。

あとは全員、しっかり聞かせてもらいました。

講評と 講師の方の講演は 申し訳ないけれど失礼して、館内の図書館で 翌日の読み聞かせ用の本を借り、買い物を済ませて 即帰宅、まだまだしたいことたくさんあるからね☆




前もっての計画は、過去のデータをもとに組むもの、実際どうなるか、そのときその瞬間どうしたくなるかなんて、その場になってみなければ わかりません。

心のまま 素直に動いてみると、前もっての計画では考えられないような量をこなすことができ、やむなくカットしたものも 悔いが残らないことがわかります。

計画し 計算し、息せき切って ばたばたすると、かえって多くのものを取り逃がすらしいと 知りました。




“人生とは、なにかを計画している途中で起こってしまう、別のこと”

星野道夫さんの本で知った この言葉に、心から同感です。

いのちは 瞬間瞬間 ゼロから立ち上がるもの、計画から逸れるのも、いのちある証。




いのちに導かれるままに進む暮らしは、日々是アドリブ なのです (*^-^*)





















IF YOU WANT IT

2015年12月08日 17時05分54秒 | ふと思うこと


ツイッター見てて 氣がつきました。

きょうは、ジョン ・ レノンの命日なんですね。




ビートルズには あまり関心がなかったのです。

ティーンのころ 好きだったのは、クラシックに映画音楽にイージーリスニング、ロックやフォークはほとんど知らなかった。




そんな私でも、ジョン ・ レノンの死には、衝撃を受けました。




私の中では、ジョン ・ レノンと マイケル ・ ジャクソンが いつもダブって思い出されます。

多くの人にもてはやされるって、うらやましがられることかもしれないけれど、ものすごい負荷がかかることでもあるような氣がします。

華やかな外見の陰で、大変な思いをしたことも 多々あったんだろうな、と。




大勢の目に触れる立場を活かし、音楽を通じて 自身の思いを 精一杯伝えようとした。

愛を、平和を、訴えかけた。




そして。。。。若くして、悲しまれる死を遂げた。




スピリチュアルなどと呼ばれる世界でも、その実力と 魅力ある人柄を活かして、五感を超える世界の認知度を高めてくれた、素晴らしい先達たちがおられます。

そういう人たちが、尊敬や憧れを 一身に集めるのは、当然といえば当然のこと。

ただ、これからは また少し違う流れも必要なんじゃないかな、という氣もします。




一部の方たちがもてはやされるだけのままでは、いつまでも 特別な人だけが実現できる 特殊な世界、という見方が続くことになってしまう。

せっかくそういう方々の努力で 裾野を広げてもらったのだから、多くの人が その意識を踏襲し、当たり前の日常に下ろしてくることができたなら。

スピリチュアルは 特異でも奇異でもない、ごく普通の生活の根っこを支える ひとつの視点でしかない、でも それを思い出すことで、平凡な暮らしが 大きく輝きを増すのだ、と知る人が増えることこそ、先陣切って 時には大変な思いをしながらもがんばってくれた方々に報いることになるんじゃないかな。。。。と思うのです。




おしまいに・・・・ジョン ・ レノンを偲んで、この曲を。




            WAR IS OVER

            IF YOU WANT IT




           “IF YOU WANT IT”


そう信じます、私も。






















寄り添う

2015年12月06日 23時35分35秒 | 自然


きょうは 冬季の町内一斉清掃の日、朝8時から行ってきました。

国道に沿って 受け持ち区域の外れまで ご近所のおばさんとおしゃべりしながら歩く中で、ふと道のあちこちに落ちているどんぐりの話に。

この道は しょっちゅう散歩していますが、足元の木の実にいろいろな種類が混じっていることに、これまでまったく氣づいていませんでした (^_^;)

「もうちょっと先のほうに落ちとる黒くて小さいのが椎の実やよ」 とおばさん。

飼っているワンちゃんの好物で、よく食べているそうです。




鯉の滝登りというのはよく知られていますが、うなぎも水を伝って登っていくってご存知ですか?

私はつい半月ほど前までは まったく知りませんでした。

これを教えてくれたのは、地元のおじさまたち。

学校開放週間の授業参観でお会いしたとき、たまたまそんな話になって。




この集落内は、わが家の前も含め あちこちに側溝が通っていて、今は石や金属のフタがしてありますが、昔はむき出しのまま、山から染み出したり 棚田から落とした水が流れていたようで、そこにうなぎも泳いでいたというのです。

うなぎは鯉と違い、ほんのわずかな水があれば そこから伝い登りができるそうで、上の棚田によく上がっているのが見られたとのこと。

数は少なくなったけど、今でもときおり見かけるのですって。




これを聞かせてくださったお二人のうちのお一人は 釣り名人として知られているようで、エサも持たずに川に行き、その場で捕まえた沢ガニやら小魚やらをエサにして うなぎなどを釣られるのだとか。

もうお一人は、学校の少し上のご自宅で 農を営み、ご自身の棚田の一部を提供しての 小学生たちの稲作の師匠でもあり、また狩猟免許もお持ちで、まさに自然と渾然一体とお見受けする暮らしぶり。

以前 顔見知りの三人の女の子のお母さんに 「私 鹿の解体できるんですよ」 と言われ、地元育ちでなく よそから移ってこられた方が なぜ!? と驚いたら、このおじさまが ご主人とお酒を飲みに来られるとき、酒の肴にと 仕留めた鹿を そのままの姿で どんと軽トラに積んで持ってこられ、それを 指示に従ってバラしながら 調理するうちに覚えたのだと。

鹿一頭丸ごと・・・・・・って、なんとワイルドな酒盛り ( ̄∇ ̄;)

「大草原の小さな家」 や 「小鹿物語」 の世界が 突如目の前に繰り広げられたような驚きです

このお母さんもすごい。。。。普段はおっとりとたおやかな方なのに、鹿丸ごとの持込みにもたじろがず、解体技術を身につけてしまうとは。

私なら 持ち場放棄してるな




この土地の日常は、当たり前に自然に寄り添っています。

地元の人と話をしていても、なにげない会話に はっと耳をそばだてるような言葉が挟まれることが多い。

筍の季節、イノシシも狙って掘りに来るので競争だという話になって、「シシと半分分けやぁ」 と豪快に笑っておられたおじさん。

たっぷり生った栗の実の、けっこうな数が まだイガが青いうちに落ちてしまうのを見て、思わず 「もったいないですね」 と言ったら、「まあこうやって 木のほうで 数を調整しとるんやろけどの」 と教えてくれたおばさん。




そんな自然の香りを豊かに含む言葉に触れるたび、この土地が ますます好きになります (^^)





















実証済み

2015年12月05日 06時34分26秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


雲が退けば 太陽が顔を出すように、自分でないものを除ければ ほんとうの自分が現れる。。。はず。

そう、“はず” だったのです、最初は。

仮説ということですね。




で、仮説が正しいかどうかは 自分で試さにゃ~わからん ということで、いろいろとやってみたわけです。

そうしたら、いつの間にか 未知の領域に 足を踏み入れておりました。



自分を変えなきゃ、意識を変えなきゃ、と 長いこと思っていましたが、本来の自分が 多少なりとも表に出てくると、進んで変えようと思わなくても、勝手に変わってゆくようです。

ネガと同じように、ポジも 向こうから起きてくるものだと 初めて知りました。

かつて、望んだわけでもないのに 不快な記憶や妄想が しょっちゅう勝手に立ち上るのを、これが私なんだ、どうしようもないんだ、と 半ば諦めていました。

ネガティブなのがデフォルトと思い込み、同じことがポジティブ面でも起こるとは 夢にも思っていなかった。

今では、ネガからポジへの切り替えなんぞ 画策することもなく、明るく楽観的なイメージが これまた勝手に 次々と湧き上がってきます。

反比例して、否定的な思いの出現が 大きく減りました \(^o^)/




目の前に、ど~んと障害物が立ちはだかる、以前ならそれだけでもうテンションガタ落ち、私ってこうなんだ、いつもうまくいかないんだ、と 涙ながらに 投げやりな自己憐憫に浸るのが常でしたが、今は そんなのすっ飛ばして、さて これをどうやってクリアしよう? と こうくるのです☆

しかも、ここを突破することで またひと回り大きくなれるんだ、とのワクワクのオマケつき♪

ことさら 引き寄せだ、陽転思考だとがんばってもいないのに、どうでしょう、この変わりっぷり




さらに現在、幸せな思いは 幸せな現実を呼び寄せることを体験中でもあり




仮説、実証されたと思っております (*^▽^*)v






















速いと知れ

2015年12月04日 07時25分41秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


「思考をプラスに保って」 「否定的な考えは陽転を」 「ポジもネガも 選択の可能性は半々、好きなほうを選べるのです」

少し前まで こういう言葉に出会うたびに思ったものです。




ほんと その通りだよね、それはわかる、

ただね。。。。

そうしたくてもできないから困ってるんだよ!




思考を 「変えよう」 とすれば、それはイバラの道。

でも、“ほんとうの自分が ほんとうでないものに遮られているだけ” と氣づいたら、状況ががらりと変わることを知りました(^^)




肯定的で、楽しくて、精氣に溢れ、希望に満ち満ちているのが、本来の私たち。

それを見えなくしているものを 心の目で じっくり見つめれば、動かしがたい障害かどうかは じきにわかります☆




変えようとしなくていい、ただ無心に観察すればいいだけ♪




私は、観察をジャマする言葉を止めるために からだの感覚に集中するのが役に立ったけれど、そこは人それぞれ、瞑想してもいいし、好きなことに没頭してもいい、いきなり大きな変化を狙わなくても いつもの自分を ほんの少しポジに傾けるだけでもいい。

あるいは、反作用を頼みに 思い切ってネガに突っ走るというのも、ハードな道ではあるけれど、あり。




具体的な手立ては 人の数だけありそうだけれど、「変える」 必要はないから、ほんとうの自分に氣づくだけでいいから。




映画 「マトリックス」 の モーフィアスのせりふ、


       速く動こうと思うな

       速いと知れ


って そういうことだったんだ、と

いま お腹の底から 納得です (^_-)-☆






















不定形

2015年12月02日 21時29分34秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


五感の世界では、自分を 自分でないものから分け出し 線引きすることで、個が保たれます。

人は、そうやって 自分を自分と認識しているわけですが、ここに不安が忍び込むと、いささか厄介なことに (^_^;)

なにはさておき まず身を護らねば。。。。と、この自他の境目を 鎧として強化し、がっちり身を固めます。

これで とりあえずの安心は得られますが、不安自体が後付けですから、安心すらも 所詮は幻、迷いの霧が晴れることはありません。

しかも、その鎧が 限界としても機能してしまうという 面倒なオマケつき

安全なのはここまで、そこから先は 踏み込まないほうがいい。。。。かたくなにそう決め込むことで、自身の可能性を閉ざしてしまいます。




内側をよぉく見つめて、不安や恐れが実在するわけではないことに得心がいけば、ガードを解いて 鎧を手放すことができます

すると今度は、これまで限界と思い込んでいたところを踏み越えてゆくのが がぜん面白くなってきます




ちっちゃな子どもの心に返って、もっと先まで、行けるところまでどこまでも、あの道の先に あの丘の向こうに どんな景色があるのか 見てみたい、と夢中になる

そのときは、限界なんてそもそもないんだ、自分が勝手に決めていただけなんだ、と氣づいたことすら どこかに飛んでしまうようです




自分とは これこれこういうものだ、なんて、前もって決めなくていい♪

すべては 絶えず変化しているのだから、いつだって 今 ここから 好きなように立ち上げればいい♪

未知の世界に魅かれたら、ずんずん踏み込んでみればいい、なにか起きたら起きたで そのときのこと




あらかじめ なにも決めない不定形だからこそ、この世は冒険に満ち満ちて 面白いんだと、いまさらながら氣づいた貴秋です (*^▽^*)ゞ

























師走ワクワク♪

2015年12月01日 19時10分25秒 | 日々の楽しみ


きょうから12月。

さっそくテンプレートをクリスマス仕様にしてみました♪

。。。。といっても、まだ秋色の残る ぽかぽか陽氣の日中は、およそクリスマスという雰囲氣ではなかったけれどね (^_^;)

まあ、楽しければ なんでもありということで☆




またちょっと忙しくなっています。

これまでも 内観で忙しかったことは 多々あるけれど、今のこれは 五感の世界にものを生み出す作業。

しかも、慣れ親しんだ家仕事とはまた別の、新しい引き出しを試されるチャレンジ。

とっても大変で、とっても面白い、かつてない体験なのです




根っこの部分がひとしきり落ち着いた今、見て 聞いて 触れることのできるもの作りの楽しさは、なんともいえないものがあります。

例年なら 師走の慌しさに騒ぎ始める心も、この12月は 年末であることを忘れそうな勢い

こんなワクワクする機会を与えられたことに、ただただ感謝の毎日です




クリスマスの雰囲氣は まだあまり感じないけれど、とりわけビッグなクリスマスプレゼントを 一足早く もらっているのかもしれません。

見えない部分を整えれば 見える世界にも反映する・・・・そんな仮説が実現したこともまた うれしくて仕方がない、今の貴秋です (*^^*)