Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ボルベール

2007-07-22 | 外国映画(は行)
★★★★★ 2006年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドバル
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「男たちよ、ひざまずきなさい」


徹頭徹尾の女性賛歌。そして、見事に男性不在の映画である。本作に出てくる男はみな、女性の手により葬られる。彼らが殺される理由、それは女性への尊厳を欠いているからだ。つまり、「女性に敬意を払わない男どもは死んじゃいなさいっ!」ってこと。全くアルモドバルには参るなあ。ここまでストレートな表現だと、額面通り受け取っていいのだろうか、と思わず勘ぐってしまう。

主演のペネロペ・クルスのナイスバディ、とりわけ「母性」の象徴としての豊かな胸がそこかしこでクローズアップされる。それは、豊かな胸と言うよりも、むしろ「おっぱい!」と叫びたくなるような映像。何しろ、胸の谷間を俯瞰で映すんですから。ペネロペは「つけ尻」も付けさせられたらしく、女性の豊満な肉体を通して、女の逞しさ、強さ、豊潤さを描きたかったのだということがひしひしと伝わる。

そんなアルモドバル監督の期待通り、ペネロペが貫禄の演技。やはり母国スペインを舞台にして、早口のスペイン語でまくしたてる彼女は、ハリウッド映画での雰囲気とはかなり異なる。鮮やかなプリント模様のファッションを着こなし、タンゴの名曲を歌いあげるシーンは、さすが情熱の国スペインの女!って感じ。

さて、ゲイであるアルモドバル監督がなぜこれほど「母性」にこだわるのか、実に興味深い。同じゲイの監督でもフランソワ・オゾン監督なんぞ、常に「女ってずるい!」という視点が作品の根底に流れているんだもん。この辺、彼らの生い立ちに関係しているのかも知れませんね。ただ、ゲイの監督だからこそ、これだけの女性賛歌を真っ当に発信し、見ている方もそのまま素直に受け止めることができるのかも知れない。だって、女性監督だったら自画自賛になるし、男性監督ならマザコンになるでしょ。

最後に。本作には、アルモドバル作品にはよく登場するトランスジェンダーの方々が出演しない。アルモドバル作品の彼女たちはあまりにも愛らしいので、私は楽しみにしていたのだけど、とっても残念。だからとは言わないけど、本作は「キワモノ」としての色合いは少ない。あまりにも真っ当過ぎて、ファンとしては、物足りないくらい。(だから、シネコンで上映できたのかな)

本作で女性賛歌三部作は終了ということらしいけど、アルモドバルにはこのまま女の逞しさ、そして美しさをどんどんアピールする映画を作っていって欲しい一方、彼らしいキモカワイイ映像やキッチュでエロな作品もまだまだ見たい。あんまり巨匠にならないで欲しいなあ。