Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ユリイカ

2009-04-21 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2000年/日本 監督/青山真治
「3時間37分」


<story>九州の田舎町で起こったバスジャック事件に遭遇し、生き残った運転手の沢井と中学生と小学生の兄妹。3人は凄惨な現場を体験し心に深い傷を負う。2年後、事件直後、妻を置いて消息を絶っていた沢井は再びこの町に戻ってきた。同じころ、周辺では通り魔の犯行と思われる連続殺人事件が発生し、次第に疑惑の目が沢井にも向けられるようになる。兄妹が今も二人だけで生活していることを知った沢井は、突然兄妹の家に行き、そこで奇妙な共同生活を始める。心に深い傷を負った人々の、崩壊と再生への旅を描く。
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セピア調の映像、少ない台詞、じっくりと映し出す人々の心象風景、そして総尺3時間37分。これで、飽きない、退屈しないというところが凄い。カットに無駄がないし、カメラがすばらしくいいんですね。私はこれに尽きると思います。

一見して、哲学的、観念的と捉えられそうな小難しい作品の様相です。これは、多分に同名の雑誌の影響もあるかも知れません。しかし、物語の構造としては、大変シンプル。心の傷を癒す物語です。そして、その傷は深ければ深いほどに、癒えるには時間がかかるのだということを本作は我々に示してくれています。映画の尺が長いのは、それだけ「時間をかけなければ傷は癒されない」という本質と全く呼応しているのだと思います。

物語の進行上において「Helpless」の続編にはなっていません。しかし、同じ人物が出てきます。秋彦です。前作以上に、秋彦の存在は重要です。秋彦を演じる斉藤陽一郎は、傷を負う者と傍観者(観客を含めた我々)の橋渡しとしての役割を見事に演じています。沢井は「秋彦くんがいてくれて良かった」と最初は言うのですが、終盤不用意なひと言を放つ彼をバスから放り出してしまいます。あれだけ秋彦が旅に付き合い、3時間37分という時間をかけても、それでもなお両者の溝が埋まることはないのです。しかしながら、エンディングは絶望ではなく、やっと踏み出した一歩であり、ほんの微かな希望です。陳腐と言われても仕方のないくらいのわかりやすいエンディングなのですが、それも3時間37分に渡って追いかけた3人の終着地点だからこそ、見事なラストに変貌していると思います。

「Helpless」でも書きましたが、青山監督は冒頭の描き方が実に巧いと思います。「何かが起こる予感」の表現力です。本作では、真夏の熱を帯びた舗装道路の向こう側からバスが徐々に見え始め、バス停でバスを待つ兄弟、高台から手を振る母、そして運転席からの眺めへと移ってゆく。物語を動かす突破口であるバスジャックが始まらなくとも、すでにスクリーンに引きつけられて仕方がないです。

その後、物語は静かに進み、情緒的な表現はほとんど用いられませんが、そんな中、沢井と妻が別れるホテルのシーンがとても心に響きました。人は人をいたわり、思いやり、見守り合う存在です。しかし、男女に生まれる愛情は、それらとは異質なものであることを示しているような気がするのです。「別れてしまう」という結論において、男女の愛情が人間愛より劣るということでは決してなく、むしろ、より男女間の愛情の特殊さが伝わってくる、という感じでしょうか。

宮崎あおいの透明感がすばらしい。引き続き、続編に当たる「サッド・ヴァケイション」を見ましたが、この梢の透明感はそのままでした。「篤姫」に毒されることはなかったんですね。とてもいい女優だと改めて思わされました。