Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

植えっぱなしのチューリップが

2009-04-09 | 四季の草花と樹木
チューリップって、咲き終わったら葉が枯れるまで待って、
球根をあげて…とか、ほんとはしなきゃならない。

で、一昨年はそれをしたんだけど、
なんと、土間に保管していた球根が見事になんか動物に食べられてた(笑)!
うまいんだろうなあ、きっと。

で、そうやって、保管して植えてもあんまりきれいに咲かないなんて
話を聞いたもんだから、もう適当にほおっておいたわけ。

そしたら、結構花芽が出てる!
この変わり種のチューリップ。
去年はもっと花びらが細かったような…。
スターなんとか、とかそういう種類だったかな~。全く記憶がない。
去年の記事を探したら、載せてない…。
こんな変わった花、なんで撮影してないんだ。

細長いつぼみが今もあちこちに。

こちら、普通の赤いチューリップ。
去年の記事によると、4月10日に咲いている。
結構同じ時期じゃん。

それにしても、一気に花びらが開きすぎ。
チューリップって、もっとつぼみの状態で真っ赤なんじゃ?
もしかしたら、うまい咲かせ方があるのかも知れないなあ。
ちょっと調べてみよう。

アネモネぼちぼち

2009-04-08 | 四季の草花と樹木
10日ほど前からアネモネが咲き始めました。
庭のあちらこちらにぽつぽつ、という感じでしょうか。
濃いピンクのアネモネは、ちょっと他にはない色っぽくて好き。

時間差でおそらく4月いっぱいは咲いてくれると思うのですが、
もう少し量が欲しいところ。
去年の秋に新たに球根を植えるんだったなあ。失敗失敗。


白のアネモネ。今年は少なめ。

赤のアネモネでも、センターに白輪っかがあるものと、ないものがある。

ちょっとした違いだけどね。


で、ブルー。

ちょっと開きすぎ。
ブルーのつぼみ状態って結構可憐で好き。
次回、撮影します。



薪棚がからっぽ

2009-04-07 | 木の家の暮らし
もしかしたら、薪がもたないかも…と言っていたのですが、
暖冬だったせいもあって何とか今年の冬はもちました。
でもまあ、ギリギリってところで、
二列に作った薪棚がガラ~ンとなっています。



で、次の原木が早く切って~っと待ちかまえています。
ダンナ、がんばれ!


こちら、8トントラックで運んできた時。
台を傾けて、ズドーンと言う音と共に原木が庭に落っこちる。
林業の人の降ろし方がうまいです。
がらがら~って、どっかに転がっていったら大変だもんね。
この降ろす作業は何度見ても面白い。

ラッパスイセン満開

2009-04-05 | 四季の草花と樹木
周辺の桜。つぼみは膨らみかけているんですが、やや足踏み状態。

でも、我が家のスイセンは、あちこちで満開です。
ほっておいても、どんどん球根は増えるみたいです。
昨秋、あちこちに球根を適当に分けておいたら
うまく花が咲きました。


JUNO

2009-04-02 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/ジェイソン・ライトマン
「人間讃歌は、ハリウッド大作の反動か」

ジュノはとってもいい子。そして、周りの大人たちもとってもいい人。悪人が誰ひとり出てこない。そして、見終わった後の、ほんわか心が温まるこの感じ。昨年末に見た「ラースと、その彼女」にとてもよく似ている。本作はアカデミー脚本賞を受賞しているし、「ラースと、その彼女」も脚本賞にノミネートされている。この不思議な一致、なんだか偶然に思えないのです。

「ダークナイト」を筆頭に、昨今のハリウッド大作は、悪や虚無を描いているものが多い。本来、ハリウッド大作と言えば、夢や希望を観客に与えるものが本流だったはず。しかし、最近は見終わって何とも言えない虚脱感や寂寥感を覚える作品が多い。その反動なのか、ミニシアター系の「JUNO」や「ラースと、その彼女」はその対極に存在する作品のような気がする。徹底的に人間と人間の絆を前向きに捉えようとする姿勢です。この「前向きさ」というのが、最初から最後まで全くぶれることがない、というのが実に爽快。

妊娠してから、どんどんお腹が大きくなるに連れ、母性が目覚めてしまい…、という湿った展開にはならない。この裏切り方は見事だと思います。ジュノは最後まで自分で決めたことを貫き通す。お腹を痛めた子をさっさと他人に渡してしまう、そこに違和感を感じる人がいるのもわかるけど、私はむしろ、たかだか16歳の女の子が「予期せぬ妊娠」という一大事に対して真正面から取り組むそのタフさがすごく魅力的に思えました。

母性を尊いもの、清いものと崇めることが、逆に産みたくない女性を増やしていることだって、あるんだもの。命という重いテーマを扱いながら、そことは完全に距離を置いて、かつ感動的なストーリーに仕上げていることがすごく斬新。妊婦のくせにホラー映画なんか見たりして、こういう軽々しい感じもやっぱり母性とかそういうところを超えた逞しさなのね。だから、赤ん坊はもちろん、ジュノの存在も含めて、これもまたひとつの生命讃歌じゃないかと思わされました。