【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

いわさきちひろ

2018-12-15 | 絵本
いわさきちひろ:画家で絵本作家
1918年(大正7年)12月15日福井県越前市生まれ 今年生誕100年 
いわさきちひろの絵は、とってもやわらくて、決して主張するタッチや無いねんけど、どっか印象に残る作風・・・子供たちを描いた水彩画、ホンマに癒されます。そんなとこがダイスキなわんちゃんです。
東京と安曇野に「いわさきちひろ美術館」があります。

わんちゃんの周りにも、いわさきちひろファン多いです、色とりどりでお母さんの優しさっというのがイメージされるホンマにそんな絵。
わんちゃん的には東京か長野ッとばっかり思ってました、福井県出身やったんや。
ちひろの生まれた家記念館⇒こちら
お父さまは陸軍築城部建築技師、お母さまは女学校の教師。彼女には二人の妹が居ます。
一家はその後東京に引っ越しますが、ちひろが見当たらない時は地面に描かれた絵をたどっていくと必ず見つかったと言われていました(小さいころから絵がダイスキやったんやなぁ)
小学校入学前に児童雑誌「こどものくに」に描かれた大きな満月と月見草を見て「いつか自分もこんな絵を描きたい」っと、思ったそうです。(自分の未来を予言していそうなカンジ)
しかし、現実はそう甘くはなかったみたい・・・
女学校時代はスキーや登山も楽しみ14歳で洋画家・岡田三郎助の画塾に通い本格的に絵を学び始め、17歳になると洋画展で入選するようになり、当然女学校を卒業後は画家になりっと自分では思っていたそうです。しかし当時は女性の幸せとは結婚することでした。なので、三姉妹の長女であるちひろは養子をとって家を継がなければならない・・・
結局、二十歳の時婿養子を迎え結婚、夫の赴任先である大連へ赴きました、ところがこの結婚はわずか2年で・・・離婚? いえいえ、夫が自殺。
何があったんでしょう?夫婦間のことはうかがい知ることはできないけど、ただ、ちひろは「夫のことは愛することができず、そばに寄ってきても鳥肌が立つ」っと妹たちには話していたそう。
なんか辛いハナシやなぁ・・・そやかて、パートナーを亡くすっちゅうんは寂しかったやろなぁ、ショッキングなこと。
1941年22歳のちひろは夫の遺骨を抱いて一人帰国します。時代が戦争へと進む中、彼女は書道教師として再び中国へ渡ります、しかし戦局が悪化し帰国。1945年5月東京で空襲に遭い、家も大切にしていた絵本も描き溜めた絵も、そして可愛がっていた猫も一瞬にして失ってしまいます。
8月疎開先の松本で終戦を迎えました。
終戦後東京に戻ったちひろは、日本共産党宣伝部芸術学校に入ります。
1947年28歳で『紙芝居・おかあさんのはなし』を描き画家として生きていくことを誓います。
同じころ彼女は一人の男性と出会います。
7歳年下の松本善明「僕は世の中で一番苦しい人たちと一緒に歩いて行こうと決めたんです」と言う言葉に心を打たれ結婚。司法試験合格を目指す夫を経済的に支えました。
さらに1951年には長男も誕生。家事と育児だけやなく、一家を支える大黒柱でもあるちひろの負担は相当なモンやった。結局生後間もない長男を長野県に暮らす両親に預けています。それでも時間を見つけて長野に通い愛する我が子との時間を過ごしたちひろは10ケ月と1歳の赤ん坊をモデル無しでも描き分けることができたそう⇒わずかな成長も見逃さない、それだけ子供の成長した姿を脳裏に焼き付けていた。
子供と過ごす時間は「長さ」ではなく「密度」かもしれない(ホンマやわ)
やっと、夫・善明は司法試験に合格し1952年夫婦は東京上石神井(かみしゃくじい)に居を構える。
この場所が現在の『ちひろ美術館・東京』⇒こちら

弁護士になった夫は1967年に衆議院議員に、ちひろは絵本作家として忙しい毎日を過ごしていた。
そんな時、ベトナム戦争が勃発します。戦争で亡くなっていく子供たちに心を痛めたちひろは1972年『戦火のなかの子どもたち』の制作をスタートしますが、彼女自身が病に倒れてしまいます(心身ともにムリがたたったんやなぁ)
それでも、絵筆を持ち1973年絵本を出版。



翌1974年55歳の若さでこの世を去っています。
『戦火のなかの子どもたち』におさめられている「焔のなかの母と子」は彼女が描いた作品の中でも唯一と言われる怖い顔をした母親が描かれている。
「母さんといっしょに もえていった ちいさなぼうや」
迫り来る焔から子どもを守ろうとする厳しい表情の母親に対して、
腕のなかのあかちゃんはどこまでもあどけない。



『戦火のなかの子どもたち』きっと自身の戦争体験が大きく影響しているのでしょう。
戦争への怒り、平和への願いがこもった一冊、わんちゃんの手元にあります、ぜひぜひ皆さんにも読んで欲しいと思います。
ここで、わんちゃん的には『ちひろ美術館』に行ってみたく考えてます。
♪は~る~まだ浅い~ 信濃路へ~~♪
⇒こちら

なので、行くなら『ちひろ美術館・長野』でしょうか・・・それも春に。
ちなみに8時ちょうどの あずさ2号では現存しません。
8時ちょうどの新宿発は「スーパーあずさ5号」です。

黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』挿絵はちひろさん

部屋の本棚に並んでます。
他にも「いわさきちひろ」の本が並んでます

大切な人を亡くしたとき・・・
哀しみをこえて生きる勇気を与えてくれる”いのちの詩”に、ちひろの絵がつきました。

はじめてのなつやすみ  いわさきちひろ・おはなしえほん~夏~


子どもの心を見つめた画家:いわさきちひろ   別冊太陽 2007年4月

巻頭には
あどけない顔、笑った顔、ぼんやりした顔、考えてる顔。
いわさきちひろが描き続けたのは、
好奇心と夢にあふれた子どもたちの世界。
だれでも、ちひろの絵のような子だったね。

「LINEで福井新聞の抜粋なんかをたまに読むんだけどこんな記事があったのを思い出した」
っと、福井県出身で時々福井新聞をLINEで読んでる友人からの情報
『いわさきちひろのババロア再現』⇒こちら

【おまけ】
1世紀企業:2018年に創業100年を迎えた有名企業             
ニチバン Ж セロハンテープ、ラベル
パイロットコーポレーション Ж ボールペン、万年筆
パナソニック Ж 家電、住宅、電池
ホーチキ Ж 火災報知機、消火システム
象印マホービン Ж 炊飯器、ステンレスボトル
松井証券 Ж 株式の販売
関西ペイント Ж 建築、自動車用塗料
シチズン時計 Ж 腕時計、工作機械
帝人 Ж 繊維、医療機器、フィルム
神戸屋 Ж 菓子パン
2018年12月20日 朝日新聞:朝刊