【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

平城旧跡~いにしえの平城旧跡を散策~2020-10-20

2020-10-25 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク

平城旧跡~いにしえの平城旧跡を散策~
コース:近鉄平城駅⇒佐紀神社⇒大極殿⇒遺構展示館⇒東院庭園⇒平城宮いざない館⇒朱雀門⇒平城旧跡資料館12:30頃解散予定 約7Km. 約一万歩
平城駅前広場で輪になって準備体操(ストレッチ)、出席者点呼、そして出発

佐紀神社



平城旧跡に到着、案内図をパチリ

大極殿




遺跡発掘作業


宮内省復元建物


この時代の事務関係を司った建物
遺構展示館の中こちら





東院庭園 



平城宮跡・東院庭園内にあります隅楼。



誰もが知る平城宮跡ですが、この隅楼の建てられた意図は現在分かっていないそうです。
鮮やかで美しい造形の隅楼の屋根の上に佇む一羽の金色の鳳凰像が、その優美さをより一層際立たせています。

棚田嘉十郎翁像


棚田嘉十郎
平城宮跡の保存に尽力した奈良の植木職人
明治の終わり頃、奈良に棚田嘉十郎という植木職人がいました。
嘉十郎は奈良公園の植木を手入れしながら、観光客から平城宮址の場所を尋ねられると、「法華寺あたりがそうだ」と答えていました。
ところが(※)都跡村(みあとむら)の知人から、都跡村が平城宮の跡だと教えられ現地に行ってみると「大黒の芝」や「十二堂の芝」など宮殿ゆかりの地名が残っているものの、平城宮の跡には田畑が広がり、かつての首都であった平城宮は見る影もありませんでした。
それから、観光客から平城京の場所を聞かれるたびに、なんとかして平城宮の跡をきちんとした形で残していかなければならないと思いました。
そんな時、建築史家である関野貞こちらは北浦定政こちらを研究し、田んぼの中にある小高い芝生の段を発見。
明治40年(1907)「平城京及大内裏考」を奈良新聞に発表。この論文に後押しされ、嘉十郎は私財を投じ、平城宮址保存に残りの生涯を賭けることになります。さっそく跡地の買収にのりだしましたが、すでにそこで生活している農民たちから土地を買い取ることは容易ではありませんでした。さまざまな人の協力を得ながら、平城宮址保存に奔走していましたが、大正10年に彼の信頼していた仲間に裏切られることとなります。実直だった嘉十郎は、身の潔白を示すため割腹自殺をはかり、その生涯を閉じました。その後、彼の支持者によって引き継がれたこの運動は、大正11年に平城宮跡は「史蹟名勝天然紀念物保存法」となり実を結びます。そして、国の史跡として保護されることになりました。
(※)都跡村(みあとむら)は奈良県北西部、生駒郡に属していた村。現在の奈良市尼辻・西ノ京の一帯。奈良時代に都が置かれた平城京の一角だったことから名付けられた。

朱雀門辺り

平城京天平祭2020秋 〜天平花絵巻〜概要こちら

ススキの風景

ススキの向こうに大極殿と青空

ススキの向こうの方に若草山

ススキの向こうの方に生駒山

平城旧跡から西大寺駅の方へ歩きベーカリーカフェでランチして、ちょっと用事を済ませて平城駅まで歩きました。地名が山陵町。御陵がありました。



成務天皇
狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)
マンホール


国際文化観光都市として、観光シンボルである「奈良公園の鹿」と「市章」を中央に配置し、周囲には、平安朝の女流歌人伊勢大輔歌「いにしえの奈良の都の八重桜けふここのへに匂いぬるかな」(歌詩集)によって知られる「八重桜」を図案化しています。これにより、古都奈良のイメージを表現しています。


名古屋市型の規格蓋に市章入り、穴あきで受枠に模様のあるタイプ、雨水管マンホール蓋

道中、お花もちょっと。
ミゾソバ(溝蕎麦)タデ科



可愛いお花、大好きです。葉っぱが牛の顔のようなんで、ウシノヒタイとも。お花が集まってるからコンペイトウバナなどと呼ばれてる。

サクラタデ(桜蓼)タデ科


「ミゾソバの続きに群生してました、撮りたかったのですが植物観察会ではないです、健康ウォーキングなんです、ミゾソバをパパッと撮ったけどサクラタデ撮れなかった心残りやわぁ」っとUさんに話すと、ちょうどその同じ日に植物観察会に参加したUさんが「サクラタデ、お花をちょっとだけもらってきたのでお裾分け」っと。
ずっと以前、ウチの近所の休耕田にサクラタデが群生してたことがあったけど、今は宅地に造成されててアキマセン。「サクラタデ、ホンマにかわいいわぁ。」

キンモクセイ(金木犀、巌桂)モクセイ科



和名の由来は、この樹皮がサイ(犀)の足に似ているため中国で「木犀」と名付けられ、ギンモクセイの白い花色に対して、橙黄色の花を金色に見立ててキンモクセイ(中国名:丹桂)と言う。中国南部原産。日本には江戸時代に雄株が渡来し、これが挿し木で北海道と沖縄以外の日本中に増やされた。栽培北限は、東北南部(太平洋側は宮城、日本海側は秋田)。日本には自然の分布はなく庭などに植えられている。
平城旧跡にはキンモクセイが満開中。良い匂いがしてました。
この日の歩数計は19,561