【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

山背古道

2021-04-26 | 健康ウォーキング

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

湧出宮 一の鳥居


JR奈良線棚倉駅前に、古社、涌出宮があります。 正式名は、和伎座天乃夫岐賣(わきにいますあめのふきめ)神社。 「腋杜(わきのもり)」の中にある神社です。
創建は今より1200年前の称徳天皇天平神護二(766)年、伊勢国五十鈴川の畔より、御祭神としてこの地に勧請したと伝わる。
 天乃夫岐賣命とは天照大神の御魂であるとされる。 大神をこの地に勧請したところ、一夜にして森が湧きだし四町八反余りが神域となったという。湧出宮という謂われである。
 山城の祈雨神十一社の一社、延喜式八十五座の一として朝野の崇敬を受けた。

居籠舎

涌出宮の居籠祭(いごもりまつり) - 木津川市 (kizugawa.lg.jp)⇒こちら
毎朝、農家が運び込んだタケノコが並ぶ棚倉筍卸売市場(京都府木津川市山城町)

春の味覚・タケノコの季節到来 京都・木津川のJA卸売市場で初市こちら

蟹満寺




蟹供養塔


蟹満寺は、普門山と号し、かつては「紙幡寺」「加波多寺」とも言われました。白凰期の末期(690年代)に、秦氏によって建立されたと伝えられています。 『今昔物語集』や『古今著聞集』に出てくる「蟹の恩返し」で有名です。
※蟹の恩返し・・・観音を厚く信仰していたある一人の娘が蟹を助けた。後にその娘が蛇に求婚されて困っていると、蟹が蛇を殺して恩返しをしたという話。
 国宝の釈迦如来坐像(高さ2.403m、重さ2tの金銅製)の造立は奈良時代以前と考えられています。

綺原神社 こちら


参道にかかった榊の勧請縄が印象的です。

綺原神社の境内のかたすみに牛。
菅原道真公を祀る天神社があるからですね。

橘諸兄公旧跡

橘諸兄公旧跡参道
 

橘諸兄は、井堤寺を建立するなど井手を拠点として活躍した奈良時代政治の要人です。
684年に生まれ、740年に45代聖武天皇を井手の玉井頓官にまねき、749年には正一位左大臣になったと伝えられています。 また、「万葉集」の撰者としても知られた文人で、父美努王とともに井手の地を愛し、玉川岸にヤマブキを植えたといわれています。

玉川でやまぶき鑑賞



玉川堤には山吹を詠んだ歌碑がいっぱいあります。こちら
見上げるとモミジの青葉がキレイ

小野小町のお墓にも寄ってみましょう、民家のすぐそばに・・・
小野小町の墓こちら



お昼ごろ


日暈 (ひがさ、にちうん・halo、英語読み: ヘイロー)、虹 のようにも見えることから 白虹 (はっこう、しろにじ)ともいう。太陽 に薄い 雲 がかかった際にその周囲に光の輪が現れる 大気光学現象 のことである。

ここで終点ではないのです、足元の道路に埋め込まれた「山背古道」の道標も招いてくれてました、
山背古道を歩いてて、足元のアスファルトで発見、丸い小さな道標





標高が思ったより高かったみたいです、見晴らしがよかった。

遠くにアレは生駒山?かな?
さすが、筍の産地竹林は見事に整備されてました。
JR山城多賀駅から電車に乗って帰路に。
棚倉の駅近くになってふと、窓の外見ると朝方、満載だった筍は空っぽになってました。
マンホール:井手町

町の花「ヤマブキ」と井桁が描かれている汚水用

山城町


京都府の山城町(やましろちょう)は2007年3月12日に木津町・加茂町と合併し木津川市となった。
町の花「キク」町の木「モミジ」そして
特産品のタケノコとお茶の花が描かれている
中央は合併前の町章で「山」を図案化したもの

道端のお花たち

ニワゼキショウ(庭石菖)アヤメ科


カワヂシャ(川萵苣)オオバコ科


ナヨクサフジ(弱草藤)マメ科


クサノオウ(瘡の王)ケシ科


カキドオシ(垣通し)シソ科


トキワツユクサ(常磐露草)ツユクサ科