【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

2022年桜紀行5. 足羽(あすわ)山公園・足羽川(あすわがわ)

2022-04-10 | 折々の花~桜編~

足羽山公園駐車場で車から降りて、真っ先に目に飛び込んできたのが。



「この桜にどうぞ名前を付けてやってください」っと思わずつぶやいたわんちゃんです。
足羽山を散策




 





笠原良作 顕彰碑



第26代 継体天皇こちら






足羽山で出会ったご婦人が「ぜひ、県庁に行かれたらいいですよ、花筏がとてもきれいですから」
お堀があって、石垣があってその奥に近代的ビルが・・・
福井城があったとこ。こちら






結城秀康こちら


そこから足羽川まで歩いて行くことにした







もう一つの福井行
福井へ向かう途中で立ち寄った杉津(すいず)PA


『恋人の聖地』と命名の・・・「ほぉ~~」ハート型のキーがいっぱいかけてあった。

この場所から眺める夕日は、とてもキレイらしい。


元禄2年8月15日。『奥の細道』旅中、敦賀での名月の晩。

月の名所・敦賀を詠んでいます
『名月や 北國日和 定なき』北陸自動車道・杉津(すいず)PA上りには、俳聖芭蕉が敦賀で詠んだ句を刻んだ句碑が立っています。杉津PAは敦賀市内にあります。 この句碑が建てられたのは昭和63年との事ですが、この年は北陸道が全通し、芭蕉翁による「奥の細道」の旅から300年が経過していました。この二つを記念して、芭蕉翁が北陸を通りかかった際に詠んだ一連の句を刻み、北陸道のSAやPA(11ヶ所)に建てたのです。その一つが、この句碑です。 句意は「中秋の名月を期待していたのに、(世間の評判通り)北国の天気は変わりやすくて、残念ながら雨になってしまったよ」。 「奥の細道」の旅で、月の名所として知られた敦賀に芭蕉翁がやってきたのは元禄2年8月14日でした。翌日の中秋の名月を名所・敦賀にて愛でる事を、さぞや楽しみにしていたことでしょう。でも北陸の天気が変わりやすい事を恨むでもなく、淡々と日記風に詠んでいるのが興味深いです。
【おまけ】
敦賀はその昔、朝鮮からの渡来人「都怒我阿羅斯等<つぬがあらしと>」に因んで角鹿<つのが・つぬが>と命名されたという。その後、字のみ改めて敦賀としたといわれている。そこで、古い「角鹿」という地名がこんな秋の月の夜には相応しい感じがする。
元禄2年(1689)旧暦8月中旬(新暦の10月初め頃)に越前(福井)敦賀で詠んだもの。

ランチは

ヨーロッパ軒でソースかつ丼