落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

さらば、わが愛/覇王別姫

2004年10月04日 | movie
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先日買物をしてたら、店の有線で「パーフィディア」がかかってました。
もうすぐ公開の『2046』で使用されてるからプロモの一環だと思うのですが、同じ王家衛の『欲望の翼』でも流れてたのでふとセンチな気分になってしまいましたことよ。
『2046』ではヨディ(『欲望の翼』で張國榮が演じた)を連想させるキャラクターが画面には登場しないままでストーリーに絡んで来たりもするらしいです。ううう。

さて『覇王別姫』、1993年ってもう11年も前の映画なんですね。カンヌ映画祭パルムドール受賞作品。
たぶん日本でのアジア映画・中国映画の受け止められ方を大きく変えた映画のひとつと云えるんじゃないでしょーか。豪華絢爛な映像、壮大な歴史大河ドラマ、しかも卓越した演技力のスターが主役。それまではアジア映画、香港映画と云うとアクションやコメディ、かと思えば地味で超シリアスな文芸映画と云うイメージが主流だったような気がします。

ただぐりはこの映画、決して好きではありません。ストーリーも良い、題材も好きです。けど演出過多なんだよね。わざとらしい。やり過ぎ。くどいです。
もともとが波瀾万丈なストーリーなのでここまでやると観ていて疲れて来る。もうちょっと淡々と描けんもんなんかい。
でもこれが天下のカンヌで評価されたってんだから、きっとこればこれで正しいのだろう。ぐりの好みが偏屈なだけなんでしょう。
しかし話がデカ過ぎて程蝶衣と段暁樓のふたりの絆、内面的な関係の具体性がいまひとつ伝わりにくく感じるのはぐりだけではないと思う。蝶衣はせつない恋に悩んでると云うよりは偏執的な独占欲で苦しんでるみたいにも見えちゃうし、暁樓も自己満足で蝶衣を庇っているように見える。要するにふたりの間にミョーな距離がある。なんでやー。

ところで張豊毅ってやっぱイイですねえ(笑)。こういう悲恋モノに登場する男性の典型─不器用で鈍感でどうにも男臭いのだが見かけほどは強くない情けないオトコ─役がぴたっとハマってます。芝居以外に何の取り柄もない人だけど、なんだか可愛くて憎めない、って感じが似合ってる。演技が大味とか云われてますが、ぐりはこういう演技も良いんじゃないかと思う。スキル的には問題あるかもしれんけど。
そして鞏俐、撮影当時20代とは思えません。貫禄あり過ぎ(笑)。ぐりはこの女優さん実はあまり好きではナイんですが、この貫禄は流石に凄まじいですよ。他にこれほど迫力のある女優がアジアにいるだろーか。いやいるまい。それは確かだ。

張國榮は今見るとちょっとコワイです。なりきり過ぎてて。鬼気迫ると云うか、ほとんど演技に見えない。
この映画で彼が演じる蝶衣は舞台と現実世界の区別がつかない、人生の全てが舞台と云う人格破綻者、云ってみれば究極の芸術家でもある訳ですが、この映画から10年後に蝶衣と同じ自殺と云う形でこの世を去ったレスリーも、ある意味では、アーティスト張國榮と個人としての張國榮を上手く区別して生きることの出来ない人だったのかもしれません。
だからこそゴシップ好きの香港マスコミにあれほど苦しめられながらもそこを離れることも出来ず(一度カナダに移住したことはある)、そんなナイーブな自分から逃れることも出来なかった。

作中、程蝶衣のセリフはほとんどが吹替えですが(レスリーは北京語ネイティブではない)、ところどころ彼自身の声が使われている箇所もあります。
ぐりはハスキーでか細くて微妙な高さのちょっと蠱惑的なこの声がすごくすごく好きでした。
ヤケ酒に酔って歌ったり、すすり泣きながらおかあさんを呼ぶ声は、今聞くととても悲しく、淋し気に響く。
ふぅ。