震災ボランティアレポートIndex
ぐりが滞在した石巻専修大学は石巻市内でも沿岸部からクルマで20分程度内陸に入った辺りで、津波の被害はなく、一見すると比較的震災の影響が少ない地域である。
大学周辺は旧北上川沿いに田園が広がり、分譲中の真新しい住宅地の合間に新緑の中にタンポポや菜の花が咲き乱れ、ヒバリや浜千鳥などの野鳥が戯れる、見た目にはまことにのどかで美しく心和む風景に囲まれている。
すぐ隣で仮設住宅の建設作業が進められている以外には鳥のさえずりくらいしか物音もなく、常日頃静かで穏やかな環境で、うっかりするとここが被災地だということを忘れてただのアウトドアライフを楽しみに来たかのような錯覚に陥りそうになる(一部にそういう方もおられる)。
しかし、震災直後はこの辺りも水道・ガス・電気などのライフラインが断たれ、住人の方々も大変困窮したという。それらは現在では復旧しているが、路面の破損などはまだほぼ手つかずのままになっており、間違いなくここも被災地であることに変わりはない。
この拠点から実際にぐりが炊出しに訪問したのは雄勝町、不動町、渡波(リンクはGoogleマップ。実際の被害状況が航空写真で確認できる)の3ヶ所。
雄勝町はリンクのGoogleマップを見ていただければおわかりの通り、被災地の中でもとくに壊滅的な打撃を受けた地域である。入り江に囲まれ、山と海が接近した地形の中で津波のエネルギーが増幅され、20メートルを超える津波が何度も何度もくり返し集落を襲ったという。
ぐりが訪問したクリーンセンターの周辺には、文字通り、比喩でもなんでもなく、一軒たりとも住宅は残されていなかった。すべての構造物が、跡形もなく、これでもかというほど無惨に、まさに徹底的に叩き壊されていた。
その光景は、何度も報道で見て知っていたとはいえ、現実に目にする感興はまったく別物である。悲しいとか寂しいを通り越して言葉を失う。ここで暮らしていた人たちに、なんといって声をかければいいのか、どんなに考えても想像はつかない。
ぐりたちが炊出しを行ったクリーンセンターには町の職員が20人ほど起居し、復旧作業にあたられている。寝床はトラックの荷台に敷いたふとんである。
今いる職員の方々は震災当時役所の3階で仕事をされていて助かったという。2階より下におられた職員のほとんどが津波の犠牲になった。もちろん、九死に一生を得た職員の方々も多くが自宅を失い、親族を亡くされたりしている。
不動町は旧北上川沿いの地域で、床上浸水の被害を受けた住宅密集地。
早くから避難所が自立的に機能していて、ぐりが訪れたのはこの明友館前での炊出しの最後の日だった(近隣の別の場所で炊出しは続行される)。
瓦礫の撤去などもある程度進んでいて、一部には営業している店舗もあるが、壊れた建物の修復などはほとんど行われている様子はない。町の復旧作業はまだまだこれからという段階である。
渡波は読んで字の通り、直接海に面した住宅地。震災で地盤沈下が起こり、毎日満潮時に冠水する地域である。なので住人は2階以上で生活している。どちらを向いても地面も建物も海水に濡れていて、今後気温の上がる季節の衛生状態が懸念される。とくに避難所はどうなるのかが非常に心配である。
この辺りも津波の被害が悲惨で、根こそぎ失われた住宅跡が目立つ。その場に残された建物も1階部分が破壊されていたり、至る所に瓦礫が山と積まれたまま、破壊されたクルマもそこらじゅうに放置されている。
それは見ているだけで悲しく、言葉もなく、ただ黙って涙するしかない光景だった。こんなにたくさんの「我が家」が、思い出の町が、大切なものが、こんなにめちゃくちゃに壊されてしまって、人はそれに対してなすすべは何もない。
それでも地域の方々は明るく優しく穏やかで、炊出しに訪れるボランティアの方が励まされた。東北の人は我慢強いとよくいうけれど、ほんとうにその気質が彼ら自身を支えているのかもしれない。
この他に、ボランティア活動のスケジュール外に日和山公園とトヤケ森山から被災地の光景を見学した。
活動は7時半からなので、それぞれ5時半に拠点を出て早朝の見学だった。日和山公園は港に近く、最も被害の激しく復旧の遅れている地域を間近に確認できる地点。トヤケ森山は拠点のすぐ裏の山で、石巻市の全体が見渡せる。
北上川と旧北上川がくねくねと田園を横切り、なだらかな山々に囲まれた石巻の町は絵のように美しいところで、こんなに綺麗なところがこんなにむちゃくちゃに破壊されてしまったことがほんとうに悲しい。
古くから漁港として栄えた伝統的な町並みが見る影もなく壊れ、汚れたままになっているさまには、初めて訪問したぐりにとっても胸のつぶれる思いがした。
少しでも早く住人の方々の生活に平穏が取り戻せるように、ひとりでも多くの人の支援を願っている。
東北の被災地はおそらく全体がまだこうした状況にあるものと思われる。
ぐりもできるだけ早く機会をつくって、またボランティアに行きたいと考えている。
このブログが、何かしたいと思っている人の少しでも役に立てばと思う。
石巻の朝陽。
ぐりが滞在した石巻専修大学は石巻市内でも沿岸部からクルマで20分程度内陸に入った辺りで、津波の被害はなく、一見すると比較的震災の影響が少ない地域である。
大学周辺は旧北上川沿いに田園が広がり、分譲中の真新しい住宅地の合間に新緑の中にタンポポや菜の花が咲き乱れ、ヒバリや浜千鳥などの野鳥が戯れる、見た目にはまことにのどかで美しく心和む風景に囲まれている。
すぐ隣で仮設住宅の建設作業が進められている以外には鳥のさえずりくらいしか物音もなく、常日頃静かで穏やかな環境で、うっかりするとここが被災地だということを忘れてただのアウトドアライフを楽しみに来たかのような錯覚に陥りそうになる(一部にそういう方もおられる)。
しかし、震災直後はこの辺りも水道・ガス・電気などのライフラインが断たれ、住人の方々も大変困窮したという。それらは現在では復旧しているが、路面の破損などはまだほぼ手つかずのままになっており、間違いなくここも被災地であることに変わりはない。
この拠点から実際にぐりが炊出しに訪問したのは雄勝町、不動町、渡波(リンクはGoogleマップ。実際の被害状況が航空写真で確認できる)の3ヶ所。
雄勝町はリンクのGoogleマップを見ていただければおわかりの通り、被災地の中でもとくに壊滅的な打撃を受けた地域である。入り江に囲まれ、山と海が接近した地形の中で津波のエネルギーが増幅され、20メートルを超える津波が何度も何度もくり返し集落を襲ったという。
ぐりが訪問したクリーンセンターの周辺には、文字通り、比喩でもなんでもなく、一軒たりとも住宅は残されていなかった。すべての構造物が、跡形もなく、これでもかというほど無惨に、まさに徹底的に叩き壊されていた。
その光景は、何度も報道で見て知っていたとはいえ、現実に目にする感興はまったく別物である。悲しいとか寂しいを通り越して言葉を失う。ここで暮らしていた人たちに、なんといって声をかければいいのか、どんなに考えても想像はつかない。
ぐりたちが炊出しを行ったクリーンセンターには町の職員が20人ほど起居し、復旧作業にあたられている。寝床はトラックの荷台に敷いたふとんである。
今いる職員の方々は震災当時役所の3階で仕事をされていて助かったという。2階より下におられた職員のほとんどが津波の犠牲になった。もちろん、九死に一生を得た職員の方々も多くが自宅を失い、親族を亡くされたりしている。
不動町は旧北上川沿いの地域で、床上浸水の被害を受けた住宅密集地。
早くから避難所が自立的に機能していて、ぐりが訪れたのはこの明友館前での炊出しの最後の日だった(近隣の別の場所で炊出しは続行される)。
瓦礫の撤去などもある程度進んでいて、一部には営業している店舗もあるが、壊れた建物の修復などはほとんど行われている様子はない。町の復旧作業はまだまだこれからという段階である。
渡波は読んで字の通り、直接海に面した住宅地。震災で地盤沈下が起こり、毎日満潮時に冠水する地域である。なので住人は2階以上で生活している。どちらを向いても地面も建物も海水に濡れていて、今後気温の上がる季節の衛生状態が懸念される。とくに避難所はどうなるのかが非常に心配である。
この辺りも津波の被害が悲惨で、根こそぎ失われた住宅跡が目立つ。その場に残された建物も1階部分が破壊されていたり、至る所に瓦礫が山と積まれたまま、破壊されたクルマもそこらじゅうに放置されている。
それは見ているだけで悲しく、言葉もなく、ただ黙って涙するしかない光景だった。こんなにたくさんの「我が家」が、思い出の町が、大切なものが、こんなにめちゃくちゃに壊されてしまって、人はそれに対してなすすべは何もない。
それでも地域の方々は明るく優しく穏やかで、炊出しに訪れるボランティアの方が励まされた。東北の人は我慢強いとよくいうけれど、ほんとうにその気質が彼ら自身を支えているのかもしれない。
この他に、ボランティア活動のスケジュール外に日和山公園とトヤケ森山から被災地の光景を見学した。
活動は7時半からなので、それぞれ5時半に拠点を出て早朝の見学だった。日和山公園は港に近く、最も被害の激しく復旧の遅れている地域を間近に確認できる地点。トヤケ森山は拠点のすぐ裏の山で、石巻市の全体が見渡せる。
北上川と旧北上川がくねくねと田園を横切り、なだらかな山々に囲まれた石巻の町は絵のように美しいところで、こんなに綺麗なところがこんなにむちゃくちゃに破壊されてしまったことがほんとうに悲しい。
古くから漁港として栄えた伝統的な町並みが見る影もなく壊れ、汚れたままになっているさまには、初めて訪問したぐりにとっても胸のつぶれる思いがした。
少しでも早く住人の方々の生活に平穏が取り戻せるように、ひとりでも多くの人の支援を願っている。
東北の被災地はおそらく全体がまだこうした状況にあるものと思われる。
ぐりもできるだけ早く機会をつくって、またボランティアに行きたいと考えている。
このブログが、何かしたいと思っている人の少しでも役に立てばと思う。
石巻の朝陽。