落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

被災地で見た風景

2011年05月08日 | 復興支援レポート
震災ボランティアレポートIndex

ぐりが滞在した石巻専修大学は石巻市内でも沿岸部からクルマで20分程度内陸に入った辺りで、津波の被害はなく、一見すると比較的震災の影響が少ない地域である。
大学周辺は旧北上川沿いに田園が広がり、分譲中の真新しい住宅地の合間に新緑の中にタンポポや菜の花が咲き乱れ、ヒバリや浜千鳥などの野鳥が戯れる、見た目にはまことにのどかで美しく心和む風景に囲まれている。
すぐ隣で仮設住宅の建設作業が進められている以外には鳥のさえずりくらいしか物音もなく、常日頃静かで穏やかな環境で、うっかりするとここが被災地だということを忘れてただのアウトドアライフを楽しみに来たかのような錯覚に陥りそうになる(一部にそういう方もおられる)。
しかし、震災直後はこの辺りも水道・ガス・電気などのライフラインが断たれ、住人の方々も大変困窮したという。それらは現在では復旧しているが、路面の破損などはまだほぼ手つかずのままになっており、間違いなくここも被災地であることに変わりはない。

この拠点から実際にぐりが炊出しに訪問したのは雄勝町不動町渡波(リンクはGoogleマップ。実際の被害状況が航空写真で確認できる)の3ヶ所。
雄勝町はリンクのGoogleマップを見ていただければおわかりの通り、被災地の中でもとくに壊滅的な打撃を受けた地域である。入り江に囲まれ、山と海が接近した地形の中で津波のエネルギーが増幅され、20メートルを超える津波が何度も何度もくり返し集落を襲ったという。
ぐりが訪問したクリーンセンターの周辺には、文字通り、比喩でもなんでもなく、一軒たりとも住宅は残されていなかった。すべての構造物が、跡形もなく、これでもかというほど無惨に、まさに徹底的に叩き壊されていた。
その光景は、何度も報道で見て知っていたとはいえ、現実に目にする感興はまったく別物である。悲しいとか寂しいを通り越して言葉を失う。ここで暮らしていた人たちに、なんといって声をかければいいのか、どんなに考えても想像はつかない。
ぐりたちが炊出しを行ったクリーンセンターには町の職員が20人ほど起居し、復旧作業にあたられている。寝床はトラックの荷台に敷いたふとんである。
今いる職員の方々は震災当時役所の3階で仕事をされていて助かったという。2階より下におられた職員のほとんどが津波の犠牲になった。もちろん、九死に一生を得た職員の方々も多くが自宅を失い、親族を亡くされたりしている。

不動町は旧北上川沿いの地域で、床上浸水の被害を受けた住宅密集地。
早くから避難所が自立的に機能していて、ぐりが訪れたのはこの明友館前での炊出しの最後の日だった(近隣の別の場所で炊出しは続行される)。
瓦礫の撤去などもある程度進んでいて、一部には営業している店舗もあるが、壊れた建物の修復などはほとんど行われている様子はない。町の復旧作業はまだまだこれからという段階である。

渡波は読んで字の通り、直接海に面した住宅地。震災で地盤沈下が起こり、毎日満潮時に冠水する地域である。なので住人は2階以上で生活している。どちらを向いても地面も建物も海水に濡れていて、今後気温の上がる季節の衛生状態が懸念される。とくに避難所はどうなるのかが非常に心配である。
この辺りも津波の被害が悲惨で、根こそぎ失われた住宅跡が目立つ。その場に残された建物も1階部分が破壊されていたり、至る所に瓦礫が山と積まれたまま、破壊されたクルマもそこらじゅうに放置されている。
それは見ているだけで悲しく、言葉もなく、ただ黙って涙するしかない光景だった。こんなにたくさんの「我が家」が、思い出の町が、大切なものが、こんなにめちゃくちゃに壊されてしまって、人はそれに対してなすすべは何もない。
それでも地域の方々は明るく優しく穏やかで、炊出しに訪れるボランティアの方が励まされた。東北の人は我慢強いとよくいうけれど、ほんとうにその気質が彼ら自身を支えているのかもしれない。

この他に、ボランティア活動のスケジュール外に日和山公園トヤケ森山から被災地の光景を見学した。
活動は7時半からなので、それぞれ5時半に拠点を出て早朝の見学だった。日和山公園は港に近く、最も被害の激しく復旧の遅れている地域を間近に確認できる地点。トヤケ森山は拠点のすぐ裏の山で、石巻市の全体が見渡せる。
北上川と旧北上川がくねくねと田園を横切り、なだらかな山々に囲まれた石巻の町は絵のように美しいところで、こんなに綺麗なところがこんなにむちゃくちゃに破壊されてしまったことがほんとうに悲しい。
古くから漁港として栄えた伝統的な町並みが見る影もなく壊れ、汚れたままになっているさまには、初めて訪問したぐりにとっても胸のつぶれる思いがした。
少しでも早く住人の方々の生活に平穏が取り戻せるように、ひとりでも多くの人の支援を願っている。

東北の被災地はおそらく全体がまだこうした状況にあるものと思われる。
ぐりもできるだけ早く機会をつくって、またボランティアに行きたいと考えている。
このブログが、何かしたいと思っている人の少しでも役に立てばと思う。


石巻の朝陽。

被災地にほんとに必要なもの

2011年05月08日 | 復興支援レポート
震災ボランティアレポートIndex

今いちばん必要なのはまず「人」。主に清掃作業に携わる人手が圧倒的に足りない。
ぐりは基本的にボランティアの拠点にいて毎日ひたすら料理と格闘してたけど、炊出しの配布に3度ほど同行させてもらった。
訪れたのは雄勝町不動町渡波(リンクはGoogleマップ。実際の被害状況が航空写真で確認できる)。
雄勝は拠点からクルマで1時間、不動町と渡波は20分前後だが、移動の道中でも各地域の惨憺たる被害状況を確認できる。地域によって微妙なバラつきは多少あるものの、全体を見ると復旧作業はまだまだ全然である。
長く滞在しているボランティアや現地住人の方の中には「だいぶかたづいた」「ライフラインも復旧した」という声も一部あるが、それはあくまでもごくごく一部分である。地域の方、自治体の方、関係各社の方々、自衛隊や消防や警察の方々、これまで活動して来たボランティアの方々の活躍ももちろんすばらしいし、これまでの復旧には多大な貢献があったのは紛れもない事実である。
それでもまだまだ、客観的に見るとまるっきりなにもかたづいていない、復興どころか人が住める状況になっていないということは、人的支援が圧倒的に行き届いていないということである。
瓦礫をどけて泥をかき出し、市民生活が可能なレベルまで街を綺麗にするための清掃作業に参加するボランティア、これがいちばん足りない。

ふたつめに足りないもの。「クルマ」。
ボランティアを拠点から活動地域まで運ぶ公共交通手段がまだ復旧していないので、ぐりが参加した団体では寄付されたマイクロバスやハイエースで人を運んでいた。
炊出しや支援物資の配布にもクルマは必要だが、なんにせよ台数が足りない。荷物を運ぶ軽トラックも足りない。
今も全国から心ある方々が自動車を提供してくれているのだが、数が十分でないのでボランティア同士でクルマの取り合いなんてことも日常的にちょくちょく起こり得る。
燃料の供給にも限りがある。

みっつめ。「ボランティア環境」。
ぐりが参加したNGOは災害支援に慣れているということもあり、ボランティア活動のためのルールやシステムがかなり成熟していて、誰でもやる気と責任感さえあれば参加できる初心者向けのパッケージになっていたが、それでも気候的に苛酷な地域で野営しながら、トイレ以外の水や食糧などの生活を自己完結でというと誰だって二の足を踏みたくもなる。
だが実際にいってみると、GWの時期ということもあり、ボランティアのために炊出しに来てくれる他団体があったり、シャワーブースをボランティア用に設置してくれる人がいたり、被災者のために活動するボランティアを支える後方支援の力がとても励みになった。
こういう支援の形はまだあまり知られていないかもしれないが、こうしたボランティア支援がもっと盛んになって、ボランティアの環境が良くなれば、ボランティアの動員ももっと増えるはずだと思う。
Softbankがボランティアに無料で携帯電話を配布したように(いうまでもないがボランティアに携帯電話は必需品)、他の企業でもできるボランティア支援も考えてもらいたいと思う。
ぐりが個人的にあるといいなと思ったのは「ボランティア向けの交通サービス(なんだかんだいって東北は遠い。交通費が高くて来たくても来れない人も多い)」、「ボランティア向け携帯電話サービス(通話料のバックアップ、ボランティア拠点での充電サイト設置など)」、「臨時の電力供給(乾電池が異常にたくさんいるので、これが大量のゴミになる。ちなみにぐりは9日間で単3を20個消費した)」、「ボランティアのための医療サービス(体力的にも無理をしがちで、また滞在環境が苛酷、食生活も貧しくなりトイレも不完全なので何かと体調を崩しがちだが、現地で医療施設が十分でない)」など。
支援物資は行き届いてるし、うちはもうできることはだいたいやっちゃったし・・・なんて思っている企業の方々に、いまいちど再考をお願いしたい。

ボランティアが用意するもの

2011年05月08日 | 復興支援レポート
*用意するもの:テント泊なので要はアウトドア用品。
水(目安は1日1リットル)・食糧(滞在日数分)
食器
医薬品(風邪薬・鎮痛剤・胃腸薬・消毒薬・絆創膏・目薬・湿布など)
懐中電灯・ラジオ
電池
携帯電話電池式充電器
ゴミ袋
工具一式
ウェットティッシュなど衛生用品
タオル・洗面用具
テント・テントマット・寝袋・毛布
雨具
健康保険証

*服装:被災地でのボランティア活動に要求される装備。
防寒対策(冬用下着・使い捨てカイロ・湯たんぽなど)
汚れても構わない動きやすい服を重ね着(寒暖の差が大変厳しいため)
安全長靴(ガラスや釘など危険物が散乱している場所での活動に必須)
軍手・ゴム手袋・革手袋(危険物を扱うため必須)
バンダナ・タオル
防塵マスク
ヘルメット・ヘッドランプ
防水ヤッケ(泥清掃作業に必須)
ゴーグル
シャベルなどの大きな道具は現地で貸与される。

宮城県石巻市のボランティア環境

2011年05月08日 | 復興支援レポート
*滞在環境について
今回の滞在場所は石巻専修大学の敷地内のテントサイト。
GWの宮城県の気候は東京でいうと3月中旬くらいだが寒暖の差が激しく、昼間の日差しは刺すような鋭さがあるものの、夜はかなり冷える。日によっては体感温度で2~3℃まで下がることもあり、はっきりいって真冬並みである。
ぐりは寒さ暑さには丈夫な方だが、これは本当にきつかった。防寒対策不足もあり毎日寒くて満足に眠れなかった。要するに東北の春の寒さをナメていた。ちょうど一年前に福島に行ったときにそれほど寒いと思わなかった経験があったからだが、あのときはちゃんとホテルに泊まっていたからで、外で寝なければこの寒さはわからない。完璧にぬかっていた。
石巻は海沿いの町でありかつ専修大は旧北上川沿いで、石巻でもより強風が日常的に吹く地域である。この風がまじキツい。冷たい。要するに寒いです。

*ボランティアのルール
専修大は石巻市の災害ボランティアの拠点となっていて、社協の窓口も開設されている。敷地の隣には仮設住宅が建設されていたり、自衛隊の臨時駐屯地も設置されている。
敷地内には個人・団体も含め数百人規模のボランティアが起居していて、自ら被災して自宅を失った社協スタッフも混じっている。
ここで災害対策本部(以下災対)などから寄せられたニーズを社協が集約し、登録されたボランティアに割りふる。市内のどこでどんな支援がどれだけ必要かを社協が把握し、各ボランティアの任務をそれぞれのキャパシティに応じコーディネートするわけである。
ただし、専修大の敷地はあくまでも借り物なので、滞在・使用にはもちろんルールがある。
ゴミはすべて持ち帰ること。歯磨きのときも唾を地面に吐いてはいけない。敷地を汚さない。植木やフェンスなどの設備を壊さない。
いつ大学関係者がみているかわからないので、常に借りた設備を使わせていただいているという意識を忘れない。でなければ、どんなことがきっかけでこの拠点を出なくてはならなくなるかわからない。

*トイレ・お風呂・水
トイレは仮設トイレ。ボランティアが交替で清掃することになっているので意外に清潔。洋式も和式もある。
ただし照明がないので、夜間はヘッドランプか懐中電灯必携。ぐりは日常的に暗闇でトイレをするので最初は持っていかなかったのだが、一度ペーパーの切れたトイレに入ってしまってからは持っていくようになった。
お風呂は設置されていないが、これは各地のボランティア拠点によって条件が違うらしい。石巻の場合は、1週間~10日に一度くらい、長期滞在ボランティア向けの入浴サービスがあるが、一週間程度の短期ボランティアはあてにできない。
GW期間中にはボランティアのためにシャワーブースを持って来てくれたボランティアがいたり、自衛隊が設営した被災者向けの入浴サービスにこっそり入りにいったりしている人もいたが、ぐりは結局期間中は風呂なしで通した。限りのある共用のお風呂なら、ほんとうにお風呂を必要としている人に入ってほしかったし、ぐりはボランティアが終わって家に帰れば好きなだけお風呂に入れる。そうじゃない人のためのお風呂に、ぐりが入るべきじゃないと思ったので。
水は給水車が日に何度かボランティア活動のための用水を供給している。炊出しや清掃用具の洗浄などはこの水が使われる。もちろん飲むこともできる。

ぐり的震災ボランティアの日々

2011年05月08日 | 復興支援レポート
*ボランティアの一日
7時半:朝礼。点呼と諸注意があり、ラジオ体操(爆)をする。
そのあとは分科会。
ぐりが参加したNGOの災害ボランティアにはクリーン(清掃)・キッチン(炊出し)・デリバリー(炊出しと物資の配布)・ストア(物資の整理・配布・テントサイトの整理)・お風呂(入浴サービスの支援)・避難所ケア(避難所への住み込みお手伝い)などのセクションがあり、朝礼のあとはセクションごとにわかれて分科会というミーティングが行われる。

8時半:作業開始。
ぐりが所属したキッチン班は午前中は仕込みと炊飯、調理と炊出し準備に分かれて作業。
仕込みは翌日以降の炊出しの仕込みで、主に野菜の切り出し作業。炊飯は前日から浸水しておいたごはんを炊くこと。調理は当日の昼食の加熱調理。炊出し準備は食器などの配布備品の用意。

11時以降:デリバリーチームが順次料理をとりにくるので、出来上がった料理と備品を渡す。
12時:大学の近隣住民の方々への炊出し。これはキッチンで直接配布。
13~14時:休憩

午後:夕食の準備。夕食は昼食より少ない。翌日用のお米を洗って浸水させておく。
15時以降:デリバリーチームが夕食配布のための料理を取りにくる。
18時:作業終了。

18時~:自由時間。ちなみに飲酒は一切禁止。酒類の持ち込みも禁止。喫煙は所定の場所でのみOK。
21時:消灯。

*キッチンチームの仕事
キッチンの任務は炊出しで提供する料理をつくること。炊出しは毎日休みなし、昼食と夕食。日によって提供する地域と量が異なる。具体的な提供地域・量は団体を通じて社協から依頼される。食数はトータル700~1200食弱/一日。
メニューは大抵ごはんと煮物汁物系のおかず一品、和え物漬け物系の副食一品。たまに麺類などもつくるが、これはキッチンで直接配布する近隣住民向けのメニューに限る。石巻市はかなり広く、遠い配布場所になると車で1時間ほどもかかるので、時間が多少かかっても無理なく美味しく食べられるものしか提供できないという事情がある。
屋外での作業であり、かつつくる食数も多いため、炒め物や蒸し物、揚げ物、オーブン料理もできない。ただし、材料は心のこもった支援物資なので、質のいい野菜類には恵まれている。実際に食べていただいた被災者の方々には「おいしい」という高評価をいただいていた。まあつくってるのはプロですからね(キッチン班のメンバーはぐり以外のほとんどが調理師など飲食業の実務経験者)。
直接被災者に料理を渡すのはデリバリー班の仕事。なのでキッチン班は専修大に設営された屋外キッチンでひたすら料理だけし続けるのが仕事である。とはいえ、それではせっかくつくった料理を食べてくれる被災者の顔が見られないので、交替でデリバリー班のヘルプについていくことができる。ぐりは都合3回ヘルプに行かせてもらった。