落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

被災地での炊出しとはいかなるものか その2

2011年05月12日 | 復興支援レポート
震災ボランティアレポートIndex

肝心の献立についてまったく言及しておりませんでしたが。

ボランティア期間中はまったく余裕がなくて、メモもとらず写真もほとんど撮らなかった。というか写真は撮っちゃいけないような気がして、撮りたくてもあまり撮れなかったというのが正直なところかもしれない。撮るヒマあったら働けよ自分、みたいな。

炊出しの献立はチームを指導するADの管理栄養士さんが決める。
前後の献立とのバランスや食数、食材の在庫と相談しながら、昼食は2日前に決めて仕込みの段取りをする。前述の通り煮物や汁物が多い。カレーやシチューなどは定番だった。夕食は食数が少なかったので、当日に決まることもあった。量の少ないイレギュラーな食材をやりくりして、提供時にゆでるラーメンやパスタ、古くなったパンを使ってフレンチトーストをつくったこともある。他団体から寄せられたしらすと大根の葉を使ったまぜごはんは大人気だった。
東北の方は甘いもの、味の濃いものを好む傾向もあり、煮豆も大好評だった。避難生活をしている被災者の皆さんの食生活はどうしても生ものが不足する。意外に人気だったのが生野菜を使った副食で、きゅうりのごま和えや大根の浅漬け、キャベツのゆかり和えも喜ばれた。

つくった料理をどこで誰にふるまうかは、団体を通じて社会福祉協議会から依頼される。
ぐりが参加した団体のキッチンで担当していたのは10ヶ所あまりの地域で、日替わりで場所によっては毎日、あるいは週に2~3日、多いところでは150食分、少ないところでは30食分を提供した。なので1日に用意する食数も日によって700~1200弱と前後する。
食数はそれまでの提供状況で増減する。実際に提供してみて、連続して余るようなら減らすし、足りないようなら増やす。曜日や天候によって人の集まりは変化するので、増やしても余ることもあるし、減らしたら逆に足りなくなったこともある。
被災地の状況は日々めまぐるしく変化する。思い通りにいかないこと、予想通りにいかないことも日常茶飯事、というかほとんど当り前である。苦労が報われなくても努力が裏切られても、それはそういうものとしてクールにスルーするのが賢明である。
しかしいずれにせよ、われわれがつくったものを被災地の皆さんは大喜びで食べてくれた。炊出しを楽しみに鍋の前に並んでくれる皆さんの笑顔を見るだけで、毎日の重労働がすべてチャラになったような気分になった。

東京にいると、マナーを知らないボランティアは敬遠されるとか、被災地ではなかなかボランティアを受け入れる余裕がないとかいった報道ばかりが先行しているように感じるが、現地の状況はまったく異なっている。
どこへ行っても出会う人たちはみな私たちに爽やかな笑顔を向けて、「いつもご苦労様」「遠いところから来てくれてありがとう」とあたたかい言葉をかけてくれた。
お礼などいわれるまでもない、むしろ自分のためにこそ何かしたい、と押しかけて来た私たちを快く受け入れてくれたのは被災地の皆さんである。こちらこそお礼をいわなくてはならないのに。
めちゃめちゃに破壊された町で日々をどうにかこうにか暮らしている被災地の人々。それでも笑顔を忘れず、見ず知らずの私たちにも優しく接してくれる。
そんな皆さんにまた会いたい。できることがあったら、何でもしたい。
次はいつどうやって行こうか、毎日考えています。


スペイン語圏のどこぞの国から寄せられたオイルサーディンの山。
支援物資はそもそも炊出し用ではないので、業務用ではなく個人家庭用のパッケージが多い。開封するだけでもひと苦労である。