落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

被災地での炊出しとはいかなるものか

2011年05月10日 | 復興支援レポート
震災ボランティアレポートIndex

8日間炊出しをしておった訳ですが。

今回参加したNGOの災害支援の炊出し要員は5人1チーム、プラス以前から被災地に居残って炊出しを続けている3人の都合8人。うちぐりと学生ボランティアのひとりを除いた全員が、調理師や管理栄養士など飲食業の実務経験をもつプロである。
みんな経験があるから仕事は早いし綺麗だし、何より手際がいい。そして味にもこだわりがある。米をとぐやら炊くやらいうだけで大激論できるくらい。自分で食べるわけでもなく、商売でつくるわけでもないのに。誰かをもてなすことが、人を喜ばせる行為がただただ好きなのだろう。熱いです。

毎日1000人分の食事となると、食材の量もハンパじゃない。
お米は80キロ/1日、肉は20キロ/1日。野菜類もそれぞれ洗って剥いてカットした状態で巨大なゴミバケツに1~2杯ずつ。
それらはすべて支援物資でまかなわれている。協力企業が定期的に食材を納入してくれるほか、キッチンチームからのリクエストも検討してくれる。足りなくなると自衛隊にねだって譲っていただいたりもする(自衛隊も支援物資を配布している)。
この他に、全国の有志の方々が食材を送って来てくれる。多くは生産者や流通業者の方々で、そうして贈られた野菜はどれも新鮮で質が良く、東京のスーパーではまずお目にかかれないくらい素晴らしい品ばかりである。粒ぞろいの大きなジャガイモ、つやつやと黒光りする茄子、シャキシャキに色鮮やかな小松菜。間違いなくボランティアの食事より炊出しの方が贅沢である。
箱をあけると姿を現す堂々とした立派な野菜たちに、腕をふるう方も興奮する。自分では食べられなくても、いい食材を使っておいしいものをつくるのはやはり楽しい。

日本全国のみならず、世界中から寄せられる支援物資は自治体宛に届けられ、そこからボランティアの拠点で行き先が振り分けられる。
拠点にはWFP(国連世界食糧計画)の倉庫があり、食材はすべてここに集約される。この倉庫の担当者はぐりが参加した団体のボランティアなので、日頃から彼と仲良くしておいて、いいものが届いたら脇へどけておいてもらったり、ほしいものは予めリクエストしておいたりする。
なんと段ボール箱1箱分のこごみが届いたこともある。もちろんキッチンチームでキープである(その直後に帰京したので何に使ったかは不明)。どこのどなたかはわからないが、世の中には気前のいい人もいるものである。だってこごみだよ。箱いっぱいのこごみ。集めるのにどんなに苦労しただろう。

食材だけでなく調味料や調理用具、消毒用アルコールや使い捨て手袋、ラップなどの消耗品やガスボンベも、キッチンにあるものすべてが支援物資である。
キッチンチームの活動は、日本中、世界中の善意で成り立っている。
「おいしかったよ」「ありがとう」と被災者の皆さんに声をかけていただくたびに誇らしい気持ちになるのは、そんな無数の善意の人々の代表として感謝されているからである。
何もできないぐりだけど、被災地に行けばできることがあった。それはほんとうに素晴らしい体験だった。
だから、これを読んでいるあなたにもきっと、できることがある。
ひとりでも多くの人が、被災地に向かってくれることを、心から願う。


支援物資の調理器具。
いまいちばん欲しいのは、屋根と壁のあるキッチン。
そろそろ食中毒が真剣に心配な時期。冷蔵庫もない(小型のが一台きり。もちろん足りるわけがない)、吹きっさらしのこんな環境では、いつなんどき大事故が起きても不思議ではない。
日を追うごとに避難所が集約され、炊出しの数は減少傾向にあるが、数週間後には拠点のそばに仮設住宅が完成する。そうなれば炊出しの需要はまた膨らむだろう。
被災者の方々に少しでも食事を楽しんでほしい。せめてごはんくらいおいしいものを食べてほしい。
東京に戻って来ても、そのことばかりが気になる。

ボランティアのキモチ

2011年05月10日 | 復興支援レポート
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今回出会ったボランティアのほとんどが、ボランティアそのものが生まれて初めてという人ばかりだった。
ぐりは災害支援ではないがボランティアは初めてではない。中には災害支援の経験があるという人もいるにはいたが、はっきりいって経験者は完全に少数派である。
そしてそういうボランティア初心者が何週間も被災地に留まり、活動の中心を担っていたりする。仕事はどーなってるのか?無職なんである。中にはグループ(6人単位)のメンバー全員が無職というケースも少なくない。おそらくボランティア拠点の失業率は日本一高いに違いない。
しかし世間で「無職」「フリーター」と呼ばれる若者たちが、ここでは無償で大活躍している。学校を休学してまで被災地に留まる学生までいる。そして彼らはこれまでボランティアなどやったこともない、社会貢献にはもともと関心のなかった人々である。

しかも彼らにヒロイズムは微塵もない。ぐりも含めて、被災地にいるボランティアはみな、自分自身のために活動している。被災者のためではない。
被災地に受け入れていただけたことに感謝し、現地の皆さんに許していただいて、ここでの活動に参加させていただいている。
何を申し合わせなくても、ここに来れば誰もがそんな気持ちになる。
奉仕活動とは、自分自身のためにやらせていただくことでしかないのだと。

ボランティアなんか本人の意欲次第でどうにでもなるもので、裏を返せば資格も経験も重要ではなくて誰にだってできる。
GWが終わって、被災地では深刻な人不足に悩まされている。
ひとりでも多くの人に、被災地に足を運んでほしい。
これからは夜の寒さも和らぐ季節になる。2~3日でいい。時間のある人は是非行ってほしい。
そこでしかわからないこと、できないことが、あなたを待っている。
お願いします。

東京ボランティア・市民活動ネットワーク 災害ボランティアセンター&ボランティア受け入れ状況 最新情報


日和山公園からの眺望。

ぐり的被災地ライフ

2011年05月10日 | 復興支援レポート
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朝は4時起床(爆)。
理由は寒くて寝てられないから(笑)。防寒対策不足のなせるわざだが、原因の半分は夜明け前からあらんかぎりのフルボリュームでさえずるヒバリの鳴き声でもある。
ぐりのテントは石巻専修大学の敷地の端で、生け垣のすぐ脇は分譲予定の住宅建設予定地、つまり原っぱ、そしてヒバリの営巣地なんである。彼らが毎朝、ぐりのテントの真上でわめきたてるお陰、プラス真冬のような寒さで目が覚める。
しかし活動時間までの3時間以上はやることがない。他のボランティアはみんな寝ているので音もたてられないので、ただただシュラフの中でぼやぼやして過ごす。
6時くらいになると起きてくる人もいるので、身支度を整え、健康補助食品などの乾き物で朝食。
7時半、朝礼。ラジオ体操。
以後のスケジュールは前述の通り。

昼間の作業ではぐりは主に仕込み担当。朝イチは当日使う肉類の下処理。肉は傷みが早いので調理当日に下処理をする。
その後は翌日以降に使う野菜を洗って皮を剥いたり切ったり。つーても1000食単位ですんで量もスゴイです。ケースとか10キロとかで数えます。これをチームのメンバーと、ヘルプに来てくれる他チームの皆さんと手分けして処理する。人海戦術。
しかしそれにしても量が量なので、おかげさんでまだぐりの右手は筋肉痛とゆーか、若干シビレてます。他のメンバーも包丁ダコとかつくってました。

料理が出来上がってデリバリーさんが受取りに来る段階でもぐりはまだ絶賛仕込み作業中なので、ちょいちょいできあがったモノを見ずに終わることもある。食べ残しが出なかったりすると最後まで見ずじまい、匂いをうっすら嗅いだだけの献立もある。運が良ければ残り物を翌日の夕食などでいただくこともある。具は煮崩れて原型はとどめていないが、やはり手作りの野菜たっぷりの料理の方が出来合いの保存食よりはおいしい。とはいえガスも支援物資なので、ボランティアは自前のガスコンロで残り物を温め、お湯を沸かしてレトルトを温めたり、インスタント麺をもどしたりして食事をする。
夕食後はチームメンバーのテントでお茶を飲んだりカードゲームをしたり。
21時消灯。朝も早いし、一日中立ちっぱなしの力仕事なので、イヤでもすぐ寝てしまう。

ハードな毎日だったが、期間中は不思議に疲れはあまり感じなかった。
最終日、新しく到着したキッチンチームに作業の引き継ぎをし、チームのみんなで記念撮影をして帰りのバスに乗った途端、全身に疲労感がどっと襲って来た。不思議なものである。
それでも、その瞬間にも既に、絶対にまた被災地に行こうと決心している自分がいる。
被災地に行きさえすれば、自分にできることは全部したいと、自然に心から思える。
現実に、早く行ける機会が来ることを願っている。