ぐりは生まれてこのかたホームシックというものにかかったことがない。
小さいころ、よその家に預けられて家族がそばにいなくても「寂しい」「家に帰りたい」などとは決していわない、なかなか扱いやすい子だったという。いっしょに泊まった妹が家を恋しがって泣くのを淡々とあやしながら、「この子はなぜこんなことで泣くんだろう」と不思議に思っていたのを覚えている。
通学や進学で家を離れたときも同様で、用がない限り実家には寄りつかなかったし、社会人になってからはますます帰らなくなった。たまに帰っても懐かしさのようなものも感じない。東京の家でさえ、旅行なんかで長期に留守にしていても「帰りたい」とはなぜか一度も思ったことがない。むしろ遠くにいけばいっただけ、帰りたくないと思ってしまう。
たぶん、心のどこかが欠けてるんだろうと思う。そのせいでとくに不自由はしていないので困ってはいないけど。
だから、震災や原発事故で避難生活を強いられ、故郷を遠く離れている人の気持ちは、残念ながらよくわからない。最初は不便だろうなとは思うけど、人間は慣れる生き物だし、どこだって住めば都だと思ってしまう。
その一方で、2年も通って東北の人に触れるにつれ、彼の地の方々の郷土愛には心打たれることがとても多い。
東北に暮らす人たちの多くはそれぞれの町を心から愛している。地元の自然や文化やコミュニティのあたたかさと美しさに誇りをもち、彼らの町がどんなに豊かで素晴らしい土地か、どんなに自分がわが町を愛しているか、熱心に語っては「ずっとここにいたい」「ここで暮らしたい」と口々にいう。
ぐりには感じたことのない感情だから、単純に羨ましいと思う。素敵なことだと思う。
ぐりには、一生をここで暮らしたいと彼らほど熱望する土地をもっていない。心の底から、ここが自分のための場所だと信じた経験がない。
共感できなくても、理解できなくても、それほどふるさとを愛する人が家を追われることのつらさは想像はできる。
住み慣れた家を追われた福島の人たち。帰りたくても帰れない人たち。
たとえ避難指定が解除になっても、漁業や農業で生計をたてていた人たちが、現実にもとの場所でもとの暮らしを取り戻せるのはいったいどれほど先のことか。その道の遠さが悲しい。いつか戻れるときが来て、長い間留守にしたふるさとをゼロから建て直すという選択ができる人が、いったいどれくらいいるだろうか。
それを思うと、悲しいとか切ないとか苦しいとか寂しいとか、そういう言葉では表せない、えもいわれぬ感情に襲われる。
でもそこで思考停止に陥りたくない。何かはできるはずだと思いたい。なぜなら、この災害はまだ終わってないから。終わったというにはあまりにも、この土地の人たちが負わされた運命が重すぎるから。
浪江町請戸地区の民家跡に咲く水仙。
小さいころ、よその家に預けられて家族がそばにいなくても「寂しい」「家に帰りたい」などとは決していわない、なかなか扱いやすい子だったという。いっしょに泊まった妹が家を恋しがって泣くのを淡々とあやしながら、「この子はなぜこんなことで泣くんだろう」と不思議に思っていたのを覚えている。
通学や進学で家を離れたときも同様で、用がない限り実家には寄りつかなかったし、社会人になってからはますます帰らなくなった。たまに帰っても懐かしさのようなものも感じない。東京の家でさえ、旅行なんかで長期に留守にしていても「帰りたい」とはなぜか一度も思ったことがない。むしろ遠くにいけばいっただけ、帰りたくないと思ってしまう。
たぶん、心のどこかが欠けてるんだろうと思う。そのせいでとくに不自由はしていないので困ってはいないけど。
だから、震災や原発事故で避難生活を強いられ、故郷を遠く離れている人の気持ちは、残念ながらよくわからない。最初は不便だろうなとは思うけど、人間は慣れる生き物だし、どこだって住めば都だと思ってしまう。
その一方で、2年も通って東北の人に触れるにつれ、彼の地の方々の郷土愛には心打たれることがとても多い。
東北に暮らす人たちの多くはそれぞれの町を心から愛している。地元の自然や文化やコミュニティのあたたかさと美しさに誇りをもち、彼らの町がどんなに豊かで素晴らしい土地か、どんなに自分がわが町を愛しているか、熱心に語っては「ずっとここにいたい」「ここで暮らしたい」と口々にいう。
ぐりには感じたことのない感情だから、単純に羨ましいと思う。素敵なことだと思う。
ぐりには、一生をここで暮らしたいと彼らほど熱望する土地をもっていない。心の底から、ここが自分のための場所だと信じた経験がない。
共感できなくても、理解できなくても、それほどふるさとを愛する人が家を追われることのつらさは想像はできる。
住み慣れた家を追われた福島の人たち。帰りたくても帰れない人たち。
たとえ避難指定が解除になっても、漁業や農業で生計をたてていた人たちが、現実にもとの場所でもとの暮らしを取り戻せるのはいったいどれほど先のことか。その道の遠さが悲しい。いつか戻れるときが来て、長い間留守にしたふるさとをゼロから建て直すという選択ができる人が、いったいどれくらいいるだろうか。
それを思うと、悲しいとか切ないとか苦しいとか寂しいとか、そういう言葉では表せない、えもいわれぬ感情に襲われる。
でもそこで思考停止に陥りたくない。何かはできるはずだと思いたい。なぜなら、この災害はまだ終わってないから。終わったというにはあまりにも、この土地の人たちが負わされた運命が重すぎるから。
浪江町請戸地区の民家跡に咲く水仙。