『決定版 日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』 半藤一利著
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今まで一体何度読みかけて挫折したことか。
今回も5〜6回は挫折しかけました。なんとかどーにか初めて読破しましたが。
コレ映画化もされてますね。ぐりは未見ですけども。機会があったら一度観てみたい。おもしろそーだから。監督は岡本喜八。
えーと。“ 運命の八月十五日”とゆーからにはあの日ですね。1945年8月15日のことですわな。
映画ではホントに14日〜15日正午の玉音放送までの24時間に絞って描いてるらしーですけど、本はその前月、7月27日のポツダム宣言から始まっている。その日から15日のあの放送までの、軍部と政府と反乱軍の葛藤が描かれたドキュメント。
まあよう調べたはります。これ初版が出たのは1965年なので、著者はまだ健在だった当事者や関係者に直接取材をしたらしく、信憑性は別としてものすごく臨場感はあるです。細かいし、リアル。取材も大変だったろうし、書くのも出すのも大変だったろう。
そういう意味では大変貴重な本であることは間違いないと思う。
でも正直な話、ぐりがこの本を読みかけては毎度諦めてたのは、どうしてもここに描かれた「敗戦劇」が滑稽としか受け止められなかったからだ。
滑稽だなんていったらお怒りになられる方もおられるやもしれない。
けど滑稽だよ。
著者が思い入れたっぷりに司政者たちや軍人たちのドラマを悲劇的に歌いあげればあげるほど、60年前の夏のドタバタが、ぐりには喜劇としか思えなくなる。同情はする。世の中には時間にしか答えが出せないことがたくさんある。それが歴史だ。彼らには自分たちのしていることが正しいのかどうか判断するすべがまったくなかった。なにしろ日本はそれまで戦争に負けたことがなかったのだ。
ぐりがこのドラマを喜劇だと思うのは、彼らのあがきが空虚だからではない。
多くの日本人にとって、戦争は暴力であり、貧困であり、別れであり、喪失であり、屈辱だった。負ける前から、当時の日本人はみんな、大切な家族と引き裂かれ、学校や職場や家を失い、おなかをすかせて、みじめに朽ちていった。
国民たちが払った凄惨な犠牲と、この本に登場する政府・軍部の間には、いっさいなんの関係もないようにみえるのがおかしいのだ。笑い事じゃないけど笑っちゃうよ。一体どんだけ激しいギャップがあったらそんなことになるんだか。300万人以上の日本人が死んで、戦闘機も軍艦もなんにも残ってないのに、戦争をやめることに悩んだり抵抗したりしなきゃいけない理由がわからない。
国体(Wikipedia)ってなに?意味がわからないわけじゃない。価値がわからないのよ。どうしてそれがそんなに大事なのかがわからない。てかわかりたくない。どーでもいーもん。そんなもののために人が死ななきゃいけない世の中なんか狂ってるよ。
結局戦争をするのは、誰が何人死のうと関係なくとことんまで暴力をふるえる体制なのだ。そんな体制をつくるのは犯罪者や狂人じゃない。国民だ。どこぞの国は今現実にそーだけどね。
日本もこれからまた、そんな体制になっていくんだろーか。
できれば勘弁してほしーですー。
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今まで一体何度読みかけて挫折したことか。
今回も5〜6回は挫折しかけました。なんとかどーにか初めて読破しましたが。
コレ映画化もされてますね。ぐりは未見ですけども。機会があったら一度観てみたい。おもしろそーだから。監督は岡本喜八。
えーと。“ 運命の八月十五日”とゆーからにはあの日ですね。1945年8月15日のことですわな。
映画ではホントに14日〜15日正午の玉音放送までの24時間に絞って描いてるらしーですけど、本はその前月、7月27日のポツダム宣言から始まっている。その日から15日のあの放送までの、軍部と政府と反乱軍の葛藤が描かれたドキュメント。
まあよう調べたはります。これ初版が出たのは1965年なので、著者はまだ健在だった当事者や関係者に直接取材をしたらしく、信憑性は別としてものすごく臨場感はあるです。細かいし、リアル。取材も大変だったろうし、書くのも出すのも大変だったろう。
そういう意味では大変貴重な本であることは間違いないと思う。
でも正直な話、ぐりがこの本を読みかけては毎度諦めてたのは、どうしてもここに描かれた「敗戦劇」が滑稽としか受け止められなかったからだ。
滑稽だなんていったらお怒りになられる方もおられるやもしれない。
けど滑稽だよ。
著者が思い入れたっぷりに司政者たちや軍人たちのドラマを悲劇的に歌いあげればあげるほど、60年前の夏のドタバタが、ぐりには喜劇としか思えなくなる。同情はする。世の中には時間にしか答えが出せないことがたくさんある。それが歴史だ。彼らには自分たちのしていることが正しいのかどうか判断するすべがまったくなかった。なにしろ日本はそれまで戦争に負けたことがなかったのだ。
ぐりがこのドラマを喜劇だと思うのは、彼らのあがきが空虚だからではない。
多くの日本人にとって、戦争は暴力であり、貧困であり、別れであり、喪失であり、屈辱だった。負ける前から、当時の日本人はみんな、大切な家族と引き裂かれ、学校や職場や家を失い、おなかをすかせて、みじめに朽ちていった。
国民たちが払った凄惨な犠牲と、この本に登場する政府・軍部の間には、いっさいなんの関係もないようにみえるのがおかしいのだ。笑い事じゃないけど笑っちゃうよ。一体どんだけ激しいギャップがあったらそんなことになるんだか。300万人以上の日本人が死んで、戦闘機も軍艦もなんにも残ってないのに、戦争をやめることに悩んだり抵抗したりしなきゃいけない理由がわからない。
国体(Wikipedia)ってなに?意味がわからないわけじゃない。価値がわからないのよ。どうしてそれがそんなに大事なのかがわからない。てかわかりたくない。どーでもいーもん。そんなもののために人が死ななきゃいけない世の中なんか狂ってるよ。
結局戦争をするのは、誰が何人死のうと関係なくとことんまで暴力をふるえる体制なのだ。そんな体制をつくるのは犯罪者や狂人じゃない。国民だ。どこぞの国は今現実にそーだけどね。
日本もこれからまた、そんな体制になっていくんだろーか。
できれば勘弁してほしーですー。
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