8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
先日も書いた通り、今回は活動日程の半分以上、養殖業者のお手伝いをしていた。
朝、いかだ小屋に行ってロープやカゴ(“バンジョウ”と呼ぶ)いっぱいの種牡蠣を運び込み、午前中はロープに種牡蠣を挟み込む作業をする。
種牡蠣は帆立の貝殻にくっついていて、この貝殻ごとロープに挟んでいく。2本縒りあわさったロープを釘に引っ掛けて開き、開いた隙間に貝を挟んで再度縒りあわせる。
昼休みのあとは、ロープに挟んだ種牡蠣を沖のいかだに吊るす。といっても実際に吊るすのは養殖業者のご主人が自分でされるので、ボランティアはロープをそっと海に下ろすだけである。
養殖業者の奥さんとおばあちゃま、ご主人とボランティアのフルメンバー10人前後で、最大で一日100本程度のロープが吊るせる。しかしこれは本来春先には終わっていなくてはならない作業であり、今では種牡蠣自体が大きくなり過ぎていて挟みにくく、作業は思うようには捗らない。
ボランティアのメンバーは大半が毎日入れ替わる。固定のメンバーはほとんどいない。なぜなら現地に滞在しているボランティアの顔ぶれが毎日変わるからで、現地にいる人員をやりくりして複数のタスクをこなしているからである。
毎朝、奥さんは作業の手順を丁寧に説明してくれる。すぐうまくできるボランティアもいれば、いくらやってもうまくならない人もいる。それでも奥さんとおばあちゃまは根気よく指導してくれて、なおかつ、楽しく作業できる雰囲気づくりに一生懸命配慮して下さる。
この地域の養殖業者は皆さん大切ないかだをすべて流され、自宅や船も破損し、多くの方が全財産を失っている。ひどい被害を受けて心身共にお疲れのはずなのに、明るい話題を次々に提供したり、津波が来たときのことを生々しく再現して聞かせてくれたり、きちんきちんと休憩時間を確保して、おやつや飲み物や昼食にまで気を配って下さる。そのうち、どちらがボランティアなのかわからなくなってくるくらいである。
ぐりは4日間このおうちのお手伝いを続けてさすがに作業にも慣れたし、皆さんの本音の部分も少しは垣間見えてきた。
明るく元気な風を装いながらも、その裏でたくさんのことを我慢しておられるのもなんとなくわかってくる。
不安も抱えている。悩みもある。でも前を向くしかないから、必死で自分を奮い立たせている。
そういう姿を見ていると、素人ボランティアなどという甘えが通用しないことや、本気の支援がどれだけ必要とされているかがひしひしと伝わって来た。
ぐりにできることなんか限られているけど、そんなぐりを信頼してくれているのをいったん感じてしまったら、やっぱり、それにはちゃんと応えたいと思う。
なんにもできないかもしれない。だけど、できることはしたい。
この他に前にも書いた土俵(養殖いかだの重り)づくりにも参加して、他の漁師さんたちともいろいろとお話させていただいたが、こちらも含め地元の漁業関係者皆さんの最大のトピックは「婚活」である(爆)。
とりあえず朝、作業に合流するとまず名前より先に「独身?人妻?」と訊かれる。マジで。学生ボランティアには訊いてなかったみたいだけど。当り前か。
壊滅的な打撃を受けた地元の基幹産業である養殖業を、彼らはなんとしても復興したい。そのモチベーションを上げるためにも、若い新しい力がほしい。後継者がほしい。しかし、借金しながらの復興、どれだけの補償をあてにすればいいのかもまだわからない。そういうところに、よそから嫁/婿に来てほしいだなんて、おいそれとはいいにくい。複雑である。
ぶっちゃけ、ぐりは養殖業に転職してもいっかな?とかうっすら思ってますけどね。だって楽しいもん。ははははは。来年以降ボランティアにくるのは難しいけど、繁忙期だけアルバイトに来てもいい?なんて訊いてみたら、奥さんもおばあちゃまも「いつでもどーぞ」なんていってたし(笑)。
複雑な入り江が連なり、波も穏やかなこの海岸周辺では、今も毎日のように津波の犠牲者のご遺体が見つかっている。
全財産を失い、家族も失って将来の先行きが見えないなかで自殺者もあとをたたない。
こういう話がメディアで語られることはない。
全国区ではとっくに終わった「自粛ムード」も、被災地では今もずっと続いている。
そんななかで、皆さん復興のために力一杯踏ん張っている。その姿は美しいし、見ているだけで、涙が出た。
気仙沼市沿岸部。
ここだけでなく市街地も満潮時には水没する。
8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.0)
先日も書いた通り、今回は活動日程の半分以上、養殖業者のお手伝いをしていた。
朝、いかだ小屋に行ってロープやカゴ(“バンジョウ”と呼ぶ)いっぱいの種牡蠣を運び込み、午前中はロープに種牡蠣を挟み込む作業をする。
種牡蠣は帆立の貝殻にくっついていて、この貝殻ごとロープに挟んでいく。2本縒りあわさったロープを釘に引っ掛けて開き、開いた隙間に貝を挟んで再度縒りあわせる。
昼休みのあとは、ロープに挟んだ種牡蠣を沖のいかだに吊るす。といっても実際に吊るすのは養殖業者のご主人が自分でされるので、ボランティアはロープをそっと海に下ろすだけである。
養殖業者の奥さんとおばあちゃま、ご主人とボランティアのフルメンバー10人前後で、最大で一日100本程度のロープが吊るせる。しかしこれは本来春先には終わっていなくてはならない作業であり、今では種牡蠣自体が大きくなり過ぎていて挟みにくく、作業は思うようには捗らない。
ボランティアのメンバーは大半が毎日入れ替わる。固定のメンバーはほとんどいない。なぜなら現地に滞在しているボランティアの顔ぶれが毎日変わるからで、現地にいる人員をやりくりして複数のタスクをこなしているからである。
毎朝、奥さんは作業の手順を丁寧に説明してくれる。すぐうまくできるボランティアもいれば、いくらやってもうまくならない人もいる。それでも奥さんとおばあちゃまは根気よく指導してくれて、なおかつ、楽しく作業できる雰囲気づくりに一生懸命配慮して下さる。
この地域の養殖業者は皆さん大切ないかだをすべて流され、自宅や船も破損し、多くの方が全財産を失っている。ひどい被害を受けて心身共にお疲れのはずなのに、明るい話題を次々に提供したり、津波が来たときのことを生々しく再現して聞かせてくれたり、きちんきちんと休憩時間を確保して、おやつや飲み物や昼食にまで気を配って下さる。そのうち、どちらがボランティアなのかわからなくなってくるくらいである。
ぐりは4日間このおうちのお手伝いを続けてさすがに作業にも慣れたし、皆さんの本音の部分も少しは垣間見えてきた。
明るく元気な風を装いながらも、その裏でたくさんのことを我慢しておられるのもなんとなくわかってくる。
不安も抱えている。悩みもある。でも前を向くしかないから、必死で自分を奮い立たせている。
そういう姿を見ていると、素人ボランティアなどという甘えが通用しないことや、本気の支援がどれだけ必要とされているかがひしひしと伝わって来た。
ぐりにできることなんか限られているけど、そんなぐりを信頼してくれているのをいったん感じてしまったら、やっぱり、それにはちゃんと応えたいと思う。
なんにもできないかもしれない。だけど、できることはしたい。
この他に前にも書いた土俵(養殖いかだの重り)づくりにも参加して、他の漁師さんたちともいろいろとお話させていただいたが、こちらも含め地元の漁業関係者皆さんの最大のトピックは「婚活」である(爆)。
とりあえず朝、作業に合流するとまず名前より先に「独身?人妻?」と訊かれる。マジで。学生ボランティアには訊いてなかったみたいだけど。当り前か。
壊滅的な打撃を受けた地元の基幹産業である養殖業を、彼らはなんとしても復興したい。そのモチベーションを上げるためにも、若い新しい力がほしい。後継者がほしい。しかし、借金しながらの復興、どれだけの補償をあてにすればいいのかもまだわからない。そういうところに、よそから嫁/婿に来てほしいだなんて、おいそれとはいいにくい。複雑である。
ぶっちゃけ、ぐりは養殖業に転職してもいっかな?とかうっすら思ってますけどね。だって楽しいもん。ははははは。来年以降ボランティアにくるのは難しいけど、繁忙期だけアルバイトに来てもいい?なんて訊いてみたら、奥さんもおばあちゃまも「いつでもどーぞ」なんていってたし(笑)。
複雑な入り江が連なり、波も穏やかなこの海岸周辺では、今も毎日のように津波の犠牲者のご遺体が見つかっている。
全財産を失い、家族も失って将来の先行きが見えないなかで自殺者もあとをたたない。
こういう話がメディアで語られることはない。
全国区ではとっくに終わった「自粛ムード」も、被災地では今もずっと続いている。
そんななかで、皆さん復興のために力一杯踏ん張っている。その姿は美しいし、見ているだけで、涙が出た。
気仙沼市沿岸部。
ここだけでなく市街地も満潮時には水没する。
8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.0)
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