落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

アンテナの感度

2018年07月08日 | lecture
2018年度 定例研究会「いじめ等に関する第三者機関の役割と課題」
主催:子どもの権利条約総合研究所

震災の復興支援を通じて宮城県石巻市立大川小学校での津波被害の当事者支援をはじめた関係で(過去記事リンク集)、学校事故・事件の第三者機関について具体的に知りたくなり参加してみた。

スピーカーは東京経済大学教授で弁護士の野村武司氏。子どもの権利条約総合研究所副代表。
学校での“重大事態”が発生すると設置される第三者調査委員会だが、野村氏は平成20年以降のこの10年、全国各地の学校の第三者調査委員会に招聘される、いわば重大事態調査のスペシャリストである。

2013年にいじめ防止対策推進法が施行されて今年で5年、教育評論家の武田さち子さんのまとめでは計57件のいじめによる自殺(未遂を含む)が日本の学校で起こっている。この57件すべてではないが、指導死も含めて設置された第三者調査委員会は5年で68件。これは新聞報道に基づく数値だそうで、ここにもれている案件もあるため実際にはどれほどの子どもが犠牲になっているかはわからない。野村氏によれば、第三者調査委員会は学校および教育委員会の要請(遺族からの要望含む)で設置されるが、遺族の意思で非公開とされるケースもあるため、実数までは把握しきれないということである。

法律ができて5年の間にさまざまな問題点が見えてきたが、その根幹は「いじめの定義」。
いじめという現象に定義が求められたのは1986年の中野富士見中事件(詳細)だった。葬式ごっこ事件といえば記憶している人もいるかと思う。当時2年生の鹿川裕史くんが午前中に病院に行って遅れて登校したところ、机の上に別れのメッセージを寄せ書きした色紙と花と遺影が置いてあった。色紙にはあろうことか担任教諭のメッセージも書かれていた。
鹿川くんはその2ヶ月後、自ら命を絶った。鹿川くんは私とちょうど同年齢だった。
関わった児童をはじめ教諭も、必ずしも鹿川くんに明確な悪意を持っていじめに加担したわけではなかったが、結果的に鹿川くんは亡くなってしまった。
ではどうすれば、こうした事態を防ぐことができるのか。

いじめと認定される文部科学省の基準の変遷を掲載した配布資料の一部を引用する。

1986年定義:「いじめ」とは、①自分より弱いものに対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手方が深刻な苦痛を感じているものであって、(関係児童生徒、いじめの内容等)学校としてその事実を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの。

1995年定義:「いじめ」とは、①自分より弱いものに対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手方が深刻な苦痛を感じているものであって、(関係児童生徒、いじめの内容等)学校としてその事実を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。なお、個々の行為がいじめにあたるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられている児童生徒の立場に立って行うこと。

2006年定義:個々の行為がいじめにあたるか田舎の判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられている児童生徒の立場に立って行うこと。
「いじめ」とは、当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

2013年定義:「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的または物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
(下線部分は変更箇所・筆者追加)

こうした改定は、いじめによる重大事態が発生した際に加害者側から発せられた行為の理由、つまりいいわけに基づいて行われてきた。
たとえば「被害者は弱者じゃないから弱いものいじめじゃない」「被害者もやり返しているからいじめではなく喧嘩」「被害者側にいじめられる理由がある、あいつが悪い」「ちょっとやっただけ」「傷つけるつもりなかった」「ふざけただけで悪気はない」「この程度でいじめになるの?」。

そもそもいじめは被害者側と加害者側の間に認知のギャップがあるから重大化する。加害者がいくら「たいしたことじゃない」と思ってやっていても被害者は傷ついている。加害者側がいくら「ふざけてるだけ」と思っていても被害者は傷ついている。加害者が「あいつにだって非はあるんだからこれくらいされて当然」と思っていても、被害者はやはり傷ついている。

いじめなんてやり方は子どもによって学校によって地域によってまた時代によって、ありとあらゆる手段が採用され、常に変化し続ける。だからどんな行為がいじめかという点に着目していては、いつまでたっても「何がいじめか」なんてことは決まらない。基準は尺度であり、尺度は不変でなくてはならない。
だから尺度は、被害者が傷ついているという一貫性に基づいていなくてはならないのだ。
そのことは1995年の定義に「個々の行為がいじめにあたるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられている児童生徒の立場に立って行うこと」と決められている。
ところが、文科省が実施している問題行動調査にいじめの行為が分類されている項目があるため、ここに分類された加害行為がなぜか現場ではいじめ行為の基準として一人歩きしてしまっている現状があり、いまだに被害者側の気持ちに寄りそった判断ができないでいるという。20年以上経って、その部分は一歩も前進していない。

第三者調査委員会は、設置されたらまず資料のリストをつくり(あるかないかを確認する前にリストアップをする)、委員会の目的を確認し、遺族からの聞き取り、資料の精査、アンケート調査、教職員からの聞き取り、児童からの聞き取り、校長・教頭に聞き取りを実施して報告書の作成をして任務完了となる。
聞き取りには当初、学校側は否定的だったが、実施してみるとあったことを話すことで児童や教諭が精神的に解放されたり、起こったことを話しながら冷静に判断できるようになったりといった効果もあるという。
また調査目的がどうしても再発防止に偏りがちだが、そうなると全容解明を求める遺族の意思との乖離が生じることもあるため、よくいわれる「公平中立」ではなく、「第三者性」「公正性」が重視されるべきだという。

いじめを防止する学校づくりの課題としては、学校に平時からいじめを防止するための行動原理を持った対策組織が必要なのだが、学校という職場が忙しいことを理由にそれがほとんど設けられていないという。
行動原理がないから、教諭それぞれが勝手な個人的ポリシーで指導してしまい、それが重大事態に発展してしまう要因のひとつとなることもある。組織的対応ができないから、たとえいじめと思われる事案が発生していても、学校組織の中で情報共有だけで終わってしまい、結局担任教諭ひとりに対応が丸投げになり、そしてやはり重大事態を防ぐことができない構造的欠陥が放置されてしまう。

質疑も含めて3時間の長丁場。
参加者はほとんどが教育問題の専門家や当事者の様子だったが、驚いたのは大多数が「いじめの定義」を「行為」ととらえ、いじめられて傷ついている被害児童の心情を基準として考えていなかったこと。
例に挙げられた物語を以下に付記しておくので、読んだ方はちょっと考えてみてください。

(以下配布資料引用・一部略)

太郎くんの小学校では、毎年運動会の最後の競技として、学年ごとのクラス対抗のリレー競走をおこなってきました。
担任のP先生は、全体の勝ち負けは、リレーだけで決まるわけではなく、リレーも、リレーの順位だけではなく、応援の様子や応援旗も含めて採点されることから、リレーの選手には足の速いいつものメンバーということでなく、立候補で決めることにしました。
太郎くんは、引っ込み思案で、いつもまわりから、もっと積極的にいきなさいといわれていたこともあり、走るのはそんなに速くはありませんでしたが、思い切って、リレーの選手に手を上げました。ふと見ると、手を上げたのは、足の速いいつものメンバーばかりで、しかも11人でした。誰が選手になるかは、くじで決めることになりました。結果は、クラスで走るのが一番速い亮太くんが落選し、太郎くんは選手になりました。その日から、亮太くんは太郎くんに冷たくなりました。
太郎くんは一生懸命に走る練習をしましたが、そんなに急には速く走れません。バトンをうまく受け取れず、落としてしまうこともありました。みんなもきつく当たります。他の子がミスをしてもあまり言わないのに、太郎くんがミスをするとあからさまに文句を言います。運動会の前の日、亮太くんと仲の良い慎二くん、貴之くん、そして智宏くんに囲まれ、「リレーで負けたらおまえのせいだからな」と言われました。
太郎くんは運動会に出るのが怖くなり、眠れませんでした。運動会の朝、おなかが痛く、朝ごはんものどを通りませんでしたが、お母さんに心配かけてはいけないと思い、なるべく顔を見ないよう、また普通に装い、お母さんが作ってくれたお弁当を持って頑張って学校に行きました。運動会が始まり、いよいよリレーになりました。結果は、バトンのミスこそしませんでしたが、太郎くんは3人に抜かれ、最下位。クラスのみんなは悔しくて泣いていました。そして、みんな太郎くんを見ると口々に、「負けたのはお前のせいだ」「なんで立候補なんかしたんだよ」などと不満をぶつけます。太郎くんは、その言葉に涙があふれてきました。

さて、ここで起こったのは「いじめ」だろうか。

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