『日本兵捕虜は何をしゃべったか』山本武利著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4166602144&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
ウクライナから63年ぶりに帰郷した元日本兵のニュースが先月話題になったが、彼がなぜ今まで帰国できなかったか、またなぜ今さら帰国したのか、そして多くを語らないままウクライナへと再び去ったのはなぜなのか、詳しい事情にはどこのメディアも触れなかった。旧ソ連軍に拘束されながらも半世紀ぶりに帰国し、日本の家族の元へ戻れた蜂谷弥三郎氏と上野石之助氏とでは、一体どんな事情が違っていたのか。
メディア側にしてみればプライバシーの問題でもあり微妙な外交問題に抵触するリスクもあっていわずもがなの部分ではあったのだろうが、一般国民はそれで彼の存在を忘れてしまっていいものだろうか。
ぐりはそうは思わなかったので、この機会に本書を手に取ってみた。
以前、連合軍の軍事資料として保管されていた旧日本兵の手紙や日記を遺族に返還する過程を番組化・書籍化した『最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』(重松清/渡辺考著)を読んだことがあるが、『日本兵捕虜は何をしゃべったか』はおそらくこの企画のきっかけになった本だろう。
タイトルでは日本兵捕虜の証言について書かれた本のようにみえるが、実際の内容では、第二次世界大戦における日本軍の情報管理の甘さと、連合軍(主にアメリカ軍)の情報戦の周到さについて、非常にひろく体系的に書いてある。アメリカ軍は太平洋戦争が始まった直後から通訳将校を大量に養成し、前線に転がっている日本軍兵士の遺体や撤退時に放棄された荷物から、機密文書から地図からメモから手紙から日記から文字の書かれたものをありったけ全部回収して解読しまくり、そこから得た情報によって戦略を組み、プロパガンダを構築していたのだ。捕虜の尋問においても、文書解読から得られた日本人の心理分析が功を奏した。そしてそれらから洩れた情報によって、開戦翌年には既に日本軍の動きは手に取るように連合軍側に把握されていた。こうしたことに日本軍幹部はまったくいっさい気づかなかった。なぜ気づかなかったのかについてもちゃんと書かれてます。
めんどうなことはキライなのでその他細かいことには触れないが、下記に一文を引用する。ここに本書の全てが要約されている。
日本軍の指導者たちは、人間性の本質についての認識が甘かった。その甘さが(日系)二世のナショナリズムに対してだけであればまだよかったのだが‥‥‥。それよりもなによりも、かれらは人間が本性上、いくら教育しても、強制してもなかなか自殺できる存在ではないことを知らない、あるいは知ろうとしないペーパーテストに優秀なだけの参謀だった。だから、自らの足もとから高度な軍事機密が敵側にとうとうと流出していることに、なんら対応策がとれなかったのである。(112p)
そうした歴史的事実よりもなお、60数年前、前線で戦い、敗北した日本人たちのなまなましいほどの人間くささ─今を生きている我々とどこも変わらない─をたっぷりと味わわせてくれる貴重な本です。ここから現代の日本人が学ぶべきものも満載。とりあえず今の日本人が持っているセンチメンタルな「戦争」のイメージが見事に根底から覆ります。もう気持ちいいくらい。我々が知っている「戦争」がどれほど不完全でどれだけインチキか、すごくよくわかります。
引用したとおり文章はいささかマズいし(爆)著者の政治的思想にはどーも賛同しかねますが、それほど量のある本ではないので是非一読の価値アリです。ぐりはとくに『男たちの大和』とか観て泣いてる人、『国家の品格』とか読んで靖国神社に喜んで参拝してる人に読んでほしい。
ひとつ気になるのは、本文に登場する捕虜の個人名・文書資料の著者である兵士の個人名が全部モロ出しである点。仮名とはどこにも断っていないのでおそらく元資料のママと思われ。
大丈夫なの?これ?
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ウクライナから63年ぶりに帰郷した元日本兵のニュースが先月話題になったが、彼がなぜ今まで帰国できなかったか、またなぜ今さら帰国したのか、そして多くを語らないままウクライナへと再び去ったのはなぜなのか、詳しい事情にはどこのメディアも触れなかった。旧ソ連軍に拘束されながらも半世紀ぶりに帰国し、日本の家族の元へ戻れた蜂谷弥三郎氏と上野石之助氏とでは、一体どんな事情が違っていたのか。
メディア側にしてみればプライバシーの問題でもあり微妙な外交問題に抵触するリスクもあっていわずもがなの部分ではあったのだろうが、一般国民はそれで彼の存在を忘れてしまっていいものだろうか。
ぐりはそうは思わなかったので、この機会に本書を手に取ってみた。
以前、連合軍の軍事資料として保管されていた旧日本兵の手紙や日記を遺族に返還する過程を番組化・書籍化した『最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』(重松清/渡辺考著)を読んだことがあるが、『日本兵捕虜は何をしゃべったか』はおそらくこの企画のきっかけになった本だろう。
タイトルでは日本兵捕虜の証言について書かれた本のようにみえるが、実際の内容では、第二次世界大戦における日本軍の情報管理の甘さと、連合軍(主にアメリカ軍)の情報戦の周到さについて、非常にひろく体系的に書いてある。アメリカ軍は太平洋戦争が始まった直後から通訳将校を大量に養成し、前線に転がっている日本軍兵士の遺体や撤退時に放棄された荷物から、機密文書から地図からメモから手紙から日記から文字の書かれたものをありったけ全部回収して解読しまくり、そこから得た情報によって戦略を組み、プロパガンダを構築していたのだ。捕虜の尋問においても、文書解読から得られた日本人の心理分析が功を奏した。そしてそれらから洩れた情報によって、開戦翌年には既に日本軍の動きは手に取るように連合軍側に把握されていた。こうしたことに日本軍幹部はまったくいっさい気づかなかった。なぜ気づかなかったのかについてもちゃんと書かれてます。
めんどうなことはキライなのでその他細かいことには触れないが、下記に一文を引用する。ここに本書の全てが要約されている。
日本軍の指導者たちは、人間性の本質についての認識が甘かった。その甘さが(日系)二世のナショナリズムに対してだけであればまだよかったのだが‥‥‥。それよりもなによりも、かれらは人間が本性上、いくら教育しても、強制してもなかなか自殺できる存在ではないことを知らない、あるいは知ろうとしないペーパーテストに優秀なだけの参謀だった。だから、自らの足もとから高度な軍事機密が敵側にとうとうと流出していることに、なんら対応策がとれなかったのである。(112p)
そうした歴史的事実よりもなお、60数年前、前線で戦い、敗北した日本人たちのなまなましいほどの人間くささ─今を生きている我々とどこも変わらない─をたっぷりと味わわせてくれる貴重な本です。ここから現代の日本人が学ぶべきものも満載。とりあえず今の日本人が持っているセンチメンタルな「戦争」のイメージが見事に根底から覆ります。もう気持ちいいくらい。我々が知っている「戦争」がどれほど不完全でどれだけインチキか、すごくよくわかります。
引用したとおり文章はいささかマズいし(爆)著者の政治的思想にはどーも賛同しかねますが、それほど量のある本ではないので是非一読の価値アリです。ぐりはとくに『男たちの大和』とか観て泣いてる人、『国家の品格』とか読んで靖国神社に喜んで参拝してる人に読んでほしい。
ひとつ気になるのは、本文に登場する捕虜の個人名・文書資料の著者である兵士の個人名が全部モロ出しである点。仮名とはどこにも断っていないのでおそらく元資料のママと思われ。
大丈夫なの?これ?
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