『ザ・トゥルー・コスト』
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2000年代から世界中で売られるようになったファッショナブルで安い服=ファストファッション。
労働依存度が高いこの産業にいまや4000万人が従事し、6人にひとりは何らかの形で関わるようになった一方で、2013年、バングラデシュで縫製工場のビルが崩落し1,127人の労働者が命を落とす大惨事を引き起こすなど、労働者の安全がまもられず搾取だけが拡大していく。
ファッション産業が支払おうとしない対価を、ほんとうは誰が払っているのかを描いたドキュメンタリー。
H&M(売上高世界第2位)にZARA(1位)にGAP(3位)にユニクロ(4位)、誰でも一着や二着はもってますよね。ワタシももってます。主に下着ですが。
とにかくこの十何年かで服は爆発的に安くなった。安くなればビンボー人は助かっていいじゃないかという話かもしれないが、問題の根本はそこではない。この作品はアメリカ映画なのでアメリカ視点なのだが、かの国ではパーティーごとに10ドル程度のドレスを買っては捨てるんだそうである。アホみたいな話である。にわかには信じられない。
ところがほんとうらしく、アメリカ人はひとりあたり年間37キロの服を捨てている。服は燃やされずに埋立て地に何年も残るか、リサイクルショップに持ち込まれパッキングされてより貧しい国に輸出される。輸出されたハイチではもう誰も服を新調しなくなり、縫製産業が壊滅した。
それだけ安くするためにリテーラーは徹底的にコストカットする。ブランド側は自前で工場をもたず、国外の工場に安く発注することで利益をしぼりとろうとする。バングラデシュや中国の縫製工場はブランドに搾取され、工場では労働者が搾取される。まともな賃金が支払われないだけではない。バングラデシュのラナ・プラザ崩落事故のわずか数日後に近隣の別の縫製工場で火災がありまた多数の犠牲者を出したのだが、これ以前にもすでに死亡事故が多発していた(ソース)ように、労働環境の安全管理という最低限の保障すらされていない。
労働者の安全ばかりではない。
アパレル産業はいまや石油産業に次ぐ環境汚染産業である。服をつくるのに必要不可欠な水は洗浄と染色で汚染され、そのまま生産国の河川に排出されている。飲み水も農業用水も汚れた地域の人たちはガンに冒され、子どもたちは先天性疾患をもって生まれてくる。
遺伝子組み換えコットン(Btコットン)を栽培し殺虫剤を大量散布する農家の人々もガンで亡くなっていく。Btコットンは殺虫剤になるタンパク質をつくる生物の遺伝子を組み込んであるのだが、このコットンが栽培されるようになってすぐ耐性のある害虫が発現し、生産者はいらなくなるはずの殺虫剤を大量に買う羽目に陥った。遺伝子組み換え作物は種子がとれないように操作され、とれたところで植えれば種子会社に告訴されてしまうので、毎年延々と種子会社から種を買わなくてはならない。
種子と殺虫剤と治療薬は同じ企業がつくって売っている。企業はもうかるばっかりである。その一方で、借金がふくらみ土地を奪われたインドの農家が相次いで自殺に追い込まれている(ソース)。
ほしくなればとにかく買えばいい、飽きたら捨てればいいという地獄のスパイラルのような大量消費社会のつけを払っているのは、ほしいものさえ買えず、働きながら親子いっしょに暮すこともできない他の国の人々である。
劇中のシンポジウムで追求されたH&Mの経営者の態度が象徴的である。適正な生活水準を保てる賃金を支払っているというが、それはいったいいくらなのかと尋ねられ、彼女は具体的な金額を答えることができなかった。しらないのではない。興味がないのだ。どうでもいいのだ。この産業を擁護する人々は「縫製は危険な仕事じゃない。ほかに厳しい産業はいくらもある」という。「確かにこの労働条件はアメリカでは厳しいかもしれない。でもあの国ではもっと厳しい他の仕事だってある」という。そんなの論理でもなんでもない。小学生レベルの言い訳ごときで納得してくれる人間が、世の中のどこにいると思っているのだろうか。
上映後のトークセッションでイギリスで最近施行された現代奴隷法について触れられていたが、この法律は簡単にいえば「イギリスでダメなことを海外でやってイギリスにもちこんじゃダメですよ」というルールなのだが、そんなもの人間としてごく当たり前のことでしかない。なんで国内でやっちゃいけないことを国外でやっていいと思えるのだろう。それはロジックですらない。ギミックでしかない。
一方で、こんなしくみを変えたいと別の方法で服をつくって売る企業も紹介される。ピープルツリーやパタゴニアである。彼らはシステムを変えるだけでなく、その重要性と価値を社会に発信してもいる。法整備をまっていては間に合わないからである。
たくさん販売店をつくる必要はないとピープルツリー代表のサフィアはいう。生産者がつくれるぶんをつくって売ればいいという。シンプルに当然の話なのに、どうしてそれが他の企業にできないのだろう。
ユニクロは労働搾取問題を人権団体に追求され、全サプライヤー公開に踏みきった。公開すれば社会の監視が届きやすくなり、違法な搾取はやりにくくなる。
胸が痛くなるような現実を変えるために、消費者はもっと賢くあらねばならない。劇中、縫製会社で働く23歳のシーマがいう。「服はわたしたちの血でできている。血でできた服なんか誰にも着てほしくない」。二度とラナ・プラザの悲劇を引き起こさないために、川を汚さない服を手にするために、公開された情報にもっと目を向け、レジで、お客様アンケートで、ものがいえる消費者になるべきなのだ。
まずは調査レポートはこのあたりから見られます。
中国国内ユニクロ下請け工場における労働環境調査報告書
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『ゴモラ』
『女工哀歌』
『無用』
『いま ここにある風景』
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2000年代から世界中で売られるようになったファッショナブルで安い服=ファストファッション。
労働依存度が高いこの産業にいまや4000万人が従事し、6人にひとりは何らかの形で関わるようになった一方で、2013年、バングラデシュで縫製工場のビルが崩落し1,127人の労働者が命を落とす大惨事を引き起こすなど、労働者の安全がまもられず搾取だけが拡大していく。
ファッション産業が支払おうとしない対価を、ほんとうは誰が払っているのかを描いたドキュメンタリー。
H&M(売上高世界第2位)にZARA(1位)にGAP(3位)にユニクロ(4位)、誰でも一着や二着はもってますよね。ワタシももってます。主に下着ですが。
とにかくこの十何年かで服は爆発的に安くなった。安くなればビンボー人は助かっていいじゃないかという話かもしれないが、問題の根本はそこではない。この作品はアメリカ映画なのでアメリカ視点なのだが、かの国ではパーティーごとに10ドル程度のドレスを買っては捨てるんだそうである。アホみたいな話である。にわかには信じられない。
ところがほんとうらしく、アメリカ人はひとりあたり年間37キロの服を捨てている。服は燃やされずに埋立て地に何年も残るか、リサイクルショップに持ち込まれパッキングされてより貧しい国に輸出される。輸出されたハイチではもう誰も服を新調しなくなり、縫製産業が壊滅した。
それだけ安くするためにリテーラーは徹底的にコストカットする。ブランド側は自前で工場をもたず、国外の工場に安く発注することで利益をしぼりとろうとする。バングラデシュや中国の縫製工場はブランドに搾取され、工場では労働者が搾取される。まともな賃金が支払われないだけではない。バングラデシュのラナ・プラザ崩落事故のわずか数日後に近隣の別の縫製工場で火災がありまた多数の犠牲者を出したのだが、これ以前にもすでに死亡事故が多発していた(ソース)ように、労働環境の安全管理という最低限の保障すらされていない。
労働者の安全ばかりではない。
アパレル産業はいまや石油産業に次ぐ環境汚染産業である。服をつくるのに必要不可欠な水は洗浄と染色で汚染され、そのまま生産国の河川に排出されている。飲み水も農業用水も汚れた地域の人たちはガンに冒され、子どもたちは先天性疾患をもって生まれてくる。
遺伝子組み換えコットン(Btコットン)を栽培し殺虫剤を大量散布する農家の人々もガンで亡くなっていく。Btコットンは殺虫剤になるタンパク質をつくる生物の遺伝子を組み込んであるのだが、このコットンが栽培されるようになってすぐ耐性のある害虫が発現し、生産者はいらなくなるはずの殺虫剤を大量に買う羽目に陥った。遺伝子組み換え作物は種子がとれないように操作され、とれたところで植えれば種子会社に告訴されてしまうので、毎年延々と種子会社から種を買わなくてはならない。
種子と殺虫剤と治療薬は同じ企業がつくって売っている。企業はもうかるばっかりである。その一方で、借金がふくらみ土地を奪われたインドの農家が相次いで自殺に追い込まれている(ソース)。
ほしくなればとにかく買えばいい、飽きたら捨てればいいという地獄のスパイラルのような大量消費社会のつけを払っているのは、ほしいものさえ買えず、働きながら親子いっしょに暮すこともできない他の国の人々である。
劇中のシンポジウムで追求されたH&Mの経営者の態度が象徴的である。適正な生活水準を保てる賃金を支払っているというが、それはいったいいくらなのかと尋ねられ、彼女は具体的な金額を答えることができなかった。しらないのではない。興味がないのだ。どうでもいいのだ。この産業を擁護する人々は「縫製は危険な仕事じゃない。ほかに厳しい産業はいくらもある」という。「確かにこの労働条件はアメリカでは厳しいかもしれない。でもあの国ではもっと厳しい他の仕事だってある」という。そんなの論理でもなんでもない。小学生レベルの言い訳ごときで納得してくれる人間が、世の中のどこにいると思っているのだろうか。
上映後のトークセッションでイギリスで最近施行された現代奴隷法について触れられていたが、この法律は簡単にいえば「イギリスでダメなことを海外でやってイギリスにもちこんじゃダメですよ」というルールなのだが、そんなもの人間としてごく当たり前のことでしかない。なんで国内でやっちゃいけないことを国外でやっていいと思えるのだろう。それはロジックですらない。ギミックでしかない。
一方で、こんなしくみを変えたいと別の方法で服をつくって売る企業も紹介される。ピープルツリーやパタゴニアである。彼らはシステムを変えるだけでなく、その重要性と価値を社会に発信してもいる。法整備をまっていては間に合わないからである。
たくさん販売店をつくる必要はないとピープルツリー代表のサフィアはいう。生産者がつくれるぶんをつくって売ればいいという。シンプルに当然の話なのに、どうしてそれが他の企業にできないのだろう。
ユニクロは労働搾取問題を人権団体に追求され、全サプライヤー公開に踏みきった。公開すれば社会の監視が届きやすくなり、違法な搾取はやりにくくなる。
胸が痛くなるような現実を変えるために、消費者はもっと賢くあらねばならない。劇中、縫製会社で働く23歳のシーマがいう。「服はわたしたちの血でできている。血でできた服なんか誰にも着てほしくない」。二度とラナ・プラザの悲劇を引き起こさないために、川を汚さない服を手にするために、公開された情報にもっと目を向け、レジで、お客様アンケートで、ものがいえる消費者になるべきなのだ。
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