落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

泣きたくても泣けない人に

2024年02月11日 | movie

「心の傷を癒すということ 劇場版」(ドラマ版アーカイブ

1995年1月17日未明に発生した阪神淡路大震災で、当時まだあまり認知されていなかった被災者の心のケアに奔走し、多くの人を支えた精神科医・安克昌氏の生涯を描いたNHKのドラマの映画版。
タイトルは同氏の同題の書籍名に依るが、映像は事実を元にしたフィクション作品。

書籍「心の傷を癒すということ」は震災から2週間後から1年ほどの間に安さんが新聞に書いた連載をまとめた本だが、私がそれを手にしたのは安さんが亡くなってからだった。
改訂されたその本には、他で発表されたテキストがたくさん追加されていて、彼がどれだけ多くの人に敬われ、信頼されていたかを窺わせるに足る内容になっていた。

精神科医という専門家の本だから難しいのではという先入観を持つ人もいるかもしれないけれど、ほんとうにやさしく読みやすく、穏やかでゆったりした文体で書かれていて、小学生から大人まで読めるよう配慮されている。
機会があればひとりでも多くの方に読んでいただきたい名著です。

「新増補版 心の傷を癒すということ: 大災害と心のケア」 安克昌著

安和隆(柄本佑)は大阪で在日コリアンの家に生まれた。
厳格な父(石橋凌)は実業家で家庭は裕福、兄(森山直太朗)は成績優秀、和隆本人も家では医者になるよう勧められていたが、漠然と将来の夢もなくジャズピアノを楽しむ以外の関心事をもたなかった和隆は、永野良夫(近藤正臣)という精神科医の著書に出会ったことをきっかけに精神医学の道を選ぶ。

このブログで何度も書いているが、私は在日コリアンだ。
出身地は神戸近郊の地方都市。
だからなのか、セリフの関西弁が胸に沁みるように懐かしく、序盤で和隆くんが己のルーツを知って思い惑うさまに一気に感情移入してしまった。
自分はいったい誰なのか。何者なのか。ここにいていいのか。親が敷いたレールの上をただ歩いているだけでいいのだろうか。

弱虫で優柔不断で寂しがり屋なだけで、どこに身を置けばほんとうに安らげるのかわからない心許なさが、私自身の感情に、いきなりきゅっと繋がってしまったような気がした。

こんなことでくよくよしていても何もどうしようもない。
人は生まれたからには生きねばならない。
それは生きているすべての人間に課されたつとめだ。
でもたまには、立ち止まったり、後ろを向いたり、前を向いたり、脇道にそれたりすることができる。
そうしているうちに、いつか、あるべき場所に辿り着くかもしれない。
着かないかもしれないけど。

和隆くんにとってそれは、災害被災者の心のケアだった。
神戸市内の病院に勤務していた彼は自ら被災しながらも避難所を駆けずり回り、手探りで人々の心に寄り添う活動を始める。
だが人々にとって「精神科」にお世話になるということは世間体を憚られるもので、なかなか心を開いてくれる人はいない。

助けを求める悲鳴が耳に残って、眠れないという女性。
地震ごっこをする子どもたち。
「僕よりつらいめに遭うた人はいっぱいおるし」と強がる少年。

彼らの姿が、私が東北で出会ったたくさんの人たちに重なる。
みんなひどいめに遭ってるから、みんな大変だから我慢しなくちゃ。泣いてないでしっかりしなくちゃと顔を上げて、前を向いて必死に踏ん張っていた彼ら・彼女らの生き方にうたれて、私は繰り返し被災地に向かい続けた(復興支援活動レポート一覧)。
助けたいとか救いたいとかそういうことじゃなくて、そばにいたかった。ただ隣にいて、誰もひとりぼっちじゃない。せめてわかりたい、わかりたいという気持ちを絶対に手放さない人間がここにいると伝えたかった。
もしかしたら和隆くんも、「ここにおるよ」と伝えたくて、被災者に向かい合っていたのかもしれない。違うのかもしれないけど。

紆余曲折を経ながらも和隆くんの活動は徐々に広がり、連載は「心の傷を癒すということ」という本になり、震災の翌年に第18回サントリー学芸賞 社会・風俗部門を受賞した。
精神科に進むことを快く思っていなかった父が亡くなってから、彼がその表彰状を病床に飾って、手にとっては読み上げて喜んでいたことを和隆くんは知る。

安克昌さんは震災の5年後に膵臓癌に斃れ、わずか39歳で世を去った。

偶然だが、安さんが震災当時まとめていた精神科ボランティアのうちの1人が、いまの私の主治医にあたる。
安克昌さんのことは覚えてないみたいだったけど、それが何ともそれらしくて少し笑ってしまった。きっと安さんは、たとえ自らボランティアをとりまとめていても「俺が」「私が」とか「安です」とか前に出てどうこういうような自己顕示には恵まれた人ではなかったのではないだろうか。

なのに映画を観ているうちは、どのシーンも、どのシーンも涙が流れて止まらなかった。
在日に生まれたこと。
両親との確執。
無二の親友との絆。
被災で荒んだ人々の気持ち。

気がついたら、声をあげて泣いていた。

もう何十年か、そんなことはしてなかった。
こんなに声を出して泣いたのはいつぶりか。

そして思った。
泣きたいことがどんなにあっても、大人になれば人は簡単には泣けない。
泣きたいことを押し殺して、押し固めて胸の奥底にしまい込んで、黙って堪えて、忘れたふりをして生きていく。

その蓋を、安さんの映画はいとも容易く開けてしまった。泣きたいときは泣いたっていいんだと。

そのせいで、このレビューを書くのに2週間もかかってしまった。

この作品は現在、能登半島地震の復興支援を目的としてチャリティ・オンライン配信を行っている(3月末日まで)。
このリンクから視聴できる。
https://note.com/kokoroiyasu_mov/n/n000ce318bc24?sub_rt=share_b

リンク先で寄付先も選べるようになっている。
一人でも多くの人の支援が、能登の方々の心の支えになることを願っている。

2020年『第46回放送文化基金賞』優秀賞および演技賞を受賞した『土曜ドラマ 心の傷を癒すということ』の主演・柄本佑さんのスピーチ。


13年前から通い続けている宮城県気仙沼市唐桑町(2023年4月撮影)。もはや第二の故郷です。今年はいつ行こうかな。



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