落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

鍵のかかった箱

2017年11月13日 | book
『Black Box』 伊藤詩織著

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説明不要かと思いますが念のため。
2017年5月、週刊新潮に「被害者女性が告発!警視庁刑事部長が握り潰した安倍総理ベッタリ記者の準強姦逮捕状」というスクープ記事が掲載された。
告発したのはいわずもがなフリージャーナリストの伊藤詩織氏、されたのはTBSワシントン元支局長の山口敬之氏だが、現職総理の提灯記者の性暴力犯罪を官邸がもみ消すというこれほどの大スキャンダルを、不思議なことにほとんどのメディアがろくに後追いしなかった。
本書はその被害者自身が事件の経緯を自らの生い立ちから語るというノンフィクションになっている。

誤解を恐れずにいえば、詩織さんと山口氏の間に起きたことは、それほど珍しい話ではないと思う。
既に現場を離れて何年もたつが、マスコミ畑で働いていた20年の間、ありとあらゆる局面でセクハラと称する性暴力を見聞きし、体験もしてきた。そのことを誰もたいして問題にしていなかったし、当初は私自身も、いずれ他のみんなと同じようにその醜悪な暴力を「あって当たり前のもの」として見過ごせるようになるのだろうと、どこかで勝手に思いこんでいた(結果的には一向にそうならないうちに業界を去ることになった)。それほど、職場での性暴力は日常化していた。
性的な言葉をオフィスで浴びせられるのがジョークなら、男女関係を過剰に詮索されたり身体に直接触られたりなどといった行為も「場を和ませるコミュニケーション」の一端とみなされた。仕事上のポジションや取引を理由に性関係を強要されるケースは身近に頻繁に耳にするほどでもなかったが、露骨にほのめかす程度のことは却ってざらだったから、極端な場合ではそういうことがあってもおかしくない空気はそこいらじゅうに満ち溢れていた。
睡眠導入剤や精神安定剤も含めたドラッグが流行していた時期もあったし、業界内で性暴力を目的に使用されることがあったとしても、やはり驚くほどのことではないと思う。

なので個人的には、新潮のスクープが大手メディアに黙殺されたのもむべなるかなと感じていた。
正しい正しくないではない。大手メディアのほとんどが民間企業であり株主がいてスポンサーがいる。そしてあくまでも憶測だが、どこの大手メディアにも、この事件と同じような案件が過去に大なり小なりあったはずである。名の通ったメディア関連企業なら、どの会社に何件そっくり同じことがあってもまったくおかしくないから。
だからこそ山口氏はこれほど卑劣な犯罪行為を平気で犯したうえに、いまもジャーナリストとしてメディアで堂々と活動していられるのだ。こんなこと誰も問題になんかしやしないことを、彼は存分に熟知していたのだ。

しかし、彼は重大な犯罪行為を犯した以上に、もっと大きな思い違いをしていた。それは詩織さんが、おそらくは彼がそれまでに知っていたどんな人とも違う、特別な人物だったことだ。

実際に発生したレイプ事件のうち、警察に届け出る被害者は全体の4.7%程度(2012年)。理由はさまざまあるが、まず性暴力にさらされた被害者はその場で状況を把握・判断し、冷静に行動する気力を喪失している。なので多くの被害者が事件発生直後に警察や医療機関や支援団体に助けを求めることができない。できたとしても受入れ側に確立された体制がじゅうぶんに整っていないために、有効な証拠が揃わなかったり被害者本人の精神的・肉体的負担の大きさから、被害届の提出にまで至らない。また加害者の8割程度が被害者と面識があるため、報復や風評への恐れから被害者本人が被害を他者に口外することをためらってしまう。
こうして性暴力はやったもん勝ちと泣き寝入りに収束する犯罪となるのだが、詩織さんは決してそれを許さなかった。とにかく嘘をつくことを嫌う彼女は、子どものころからジャーナリストとして働くことを夢みて己の足で世界を駆け回ってきた、筋金入りに意志のかたい人だった。その彼女にとって、山口氏と(官邸と)の間に起こったことは、断じて看過すべきことではなかったのだ。

きっと彼女は、この事件が彼女自身にふりかかった出来事でなかったとしても、いつかジャーナリストとして立ち向かうことができた人ではないかと思う。
いま彼女が闘っているこのたたかいは、有史以来ずっと続いてきた、圧力による性暴力の新しい局面であることに間違いはない。物心ついたときから痴漢(これも本来「性暴力」と表現すべきだと思っている)にあいつづけ、セクハラからストーカーまでさまざまな性被害にさらされていても、SNSでひろがる#MeTooというハッシュタグに反応することもできない私も含めた多くの名もなき被害者にとって、彼女の告発はまさに待ち望んだ天啓だった。断じて泣き寝入りはしない。なかったことになんかしない。オーディエンスの勝手なイメージのなかの「被害者」っぽく振る舞う必要なんかない。起きたことのどこが間違っていたか、いえることは全部いってしまいたい。そのうえで、ジャーナリストとしてきちんと活動も続ける。
そんなことができる人がちゃんと世の中にいることを、彼女は証明して見せてくれた。
そしてその彼女に対する世間の反応すべてが、いまの日本が抱えている圧力と性差別の現実をそのままきれいに示している。問わず語りの空気として社会の底に流れていた巨大な矛盾を、彼女は明確に可視化した。

詩織さんが国際ジャーナリストとして成熟していくにはまだこれから時間もかかるだろう。
だがこの事件の行く末がこの先どうなろうと、彼女には必ず人として大成してもらいたいと思う。
どんな形でもいい。官邸に犯罪の後始末をされて何食わぬ顔をしている人間や、その暴力と差別を矮小化し黙殺するあらゆる人や社会をすべて覆すためにも、彼女が挑んだたたかいに敗北はあってはならないのだ。
そしてその勝利への道のりは、いまちょうど始まったばかりだ。
何かおかしい、間違っていると少しでも感じた人すべての手の中に、そのゴールに通じる鍵は隠されているのだと、私は信じている。

関連レビュー:
『性犯罪被害にあうということ』 小林美佳著
『さよなら渓谷』

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