落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ブルカの下で

2008年03月02日 | book
『カブールの燕たち』 ヤスミナ・カドラ著 香川由利子訳
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4152087978&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

舞台はタリバン政権下のカブール。主人公はアティクという看守と不治の病にかかった妻ムサラト、ブルジョア階級出身のモフセンとズナイラという二組の夫婦。
まったく関わりのないそれぞれの夫婦が運命のいたずらによってめぐりあう、まあ一種のおとぎ話だね。これは。
しかし。こんなに苛酷なおとぎ話は文学的にアリなのか。いや、ゲージュツだからなんでもアリなんだけど。
いうまでもなくタリバン政権の圧制は常軌を逸してアフガニスタンの国民を苦しめていた。けどイスラム圏の外にまでは、その苛酷さがどれほどのもので具体的に何がどう苛酷なのかは、残念ながらあまり伝わってこない。よしんば伝わったとしても、その現実を生きているアフガニスタンの庶民の気持ちまでは伝わりようがない。
この小説の作者は本職はアルジェリアの軍人で、妻の名前でイスラム原理主義を批判する小説を発表していたが結果的にフランスに亡命することになった。アルジェリア人でさえこうならばアフガニスタン人であればどうなるかは推して知るべくもない。

ぐりはイスラム教がどんな宗教なのかほとんど知らない。
いや、イスラム教に限らず、仏教もキリスト教もヒンズー教もゾロアスター教もどういう宗教なのかはぐりには聞かんでください(誰も聞かないけど)。あたしゃ宗教のことはなんも知らんのです。
そういう人間には、人間にどうして宗教が必要なのかがまずもうひとつよくわからない。理屈として理解できないのではなくて、感覚として共感できないのだ。だから、この小説に書かれるイスラム原理主義の指導者たちが説くような、すべてを捨てて神を信じよという押しつけを簡単に受け入れる人が大勢いるという事実に戸惑ってしまう。そんなのは信仰でも救済でもなくて、単に人間性を否定してるだけじゃんかと思ってしまう。

アティクとムサラトは愛のためにすべてを捨てることで自らを解放するけど、結果的にはそれで何かが解決したり結論が出たりはしない。
彼らの選択に宗教は関係ない。それまであれほどイスラムの戒律にがんじがらめに縛られていた彼らだが、最終的には戒律を捨てて一歩を踏み出す。けど、捨てたからじゃあ次の瞬間からステキなバラ色の人生がスタート♪なんかはしない。
イスラム圏以外の人間は、原理主義の暴力的な圧制が罪もない民衆を苦しめてて、政権をひっくりかえして指導者を交換すればきっと平和でハッピーな新しい国が一丁上がり、なんてな風に思ってたりするかもしれないけど(だから某国政府は某国の戦争を支持したりするのだろう)、問題はもちろんそんなに簡単じゃない。長い長い時間をかけて荒廃した国と人の心に平和を取り戻すには、もっともっと長い長い時間が必要なのだろう。当り前だけど。
それをこの小説は、ふた組の夫婦の出会いと別れを通して描いてるんだろうと思う。

けどコレ、短いしホントはもっと一気にサラッと読むべきなんだろーなー。あれやこれや同時に読んでたらヘンに時間がかかって、もひとつ入り込めなかったなあ。むう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿