『小さいおうち』
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昭和10年、18歳で上京し山の手の中流家庭で女中として働きはじめたタキ(黒木華)は、主人の平井(片岡孝太郎)と妻・時子(松たか子)、長男・恭一(秋山聡・市川福太郎)との平穏な生活のなかで、自分の家庭をもつことより一生この家族に仕えて暮らすことを夢みるようになるのだが、中国との戦争が長引き太平洋戦争が勃発すると、平井家にも時代の波が押し寄せる。
中島京子の直木賞受賞作品を山田洋次が映画化。
戦時下の庶民の生活のなかのささやかな幸福を描いたアニメ作品『この世界の片隅に』が大ヒットしておりますが。
この作品もモチーフはほぼ同じですね。舞台が地方都市ではなく首都東京の山の手、登場人物たちが庶民というよりプチブルなので多少の立場のズレはあるけど、選挙権もなく政治的な意見をもつことも許されなかった時代の家庭人としての女性という意味ではざっくり近いとはいえる。
彼女たちにとって、見たこともない植民地や前線で起きていた現実は、ろくに触れることもできなかった新聞やラジオのそのまた向こうの遠い出来事であり、それよりも、街の賑わいや日々の食卓や密かな恋模様といったごくなんでもない日常の彩りの方がずっとずっとたいせつで、それが実際にいったいどんな犠牲を伴っていたかなど想像の端にものぼることなどなかっただろう。能天気だろうが現実逃避だろうが、それが彼女たちにとって目に見えて手に取れる方の“現実”だった。
もちろん、戦時中でも事実を知る人はいたし、終戦後に知って考えが変わった人もいただろう。だがこの映画を観ていると、どれほど残酷な事実であれ、受けとめ方なんか人それぞれなのかもしれないという当たり前のことに思い至る。その一点に気づいた瞬間の薄ら寒さと、映画に描かれた時子たちの優雅で文化的な生活描写のギャップがまた恐ろしい。
物語は老年のタキ(倍賞千恵子)が、大甥の健史(妻夫木聡)の勧めで書いた自叙伝によって、青春時代を回想する形で進行する。
ふたりの会話の端々に世代間の戦争観の違いが触れられるのだが、映画の中にはそのどちらが“事実”として有効であるかといった明確なジャッジはない。もちろん実際にはどちらも時代の一側面として事実に違いないのだが、おそらくは、あえてそうした政治的視点を排除し、あくまでもタキや平井家の人々の個人的な物語に表現を集約しようと腐心した形跡があるのが、観ていて妙にひっかかってしょうがなかった。
政治的視点にとどまらず、タキの時子への感情や、時子と平井の部下・板倉(吉岡秀隆)との間の生々しい愛欲など、そこにあって然るべき人間のややこしい情念さえも誤魔化されているように見えて、観ていて、作品本来のテーマがどの辺りなのかをもうひとつつかみかねてしまった。
観た通り・観える通りなのだとして、昭和初期のプチブルの可愛いおうちの素敵なままごとごっこをわざわざこんな豪華キャストで力一杯つくりたい意味が、ちょっと理解できなかった。申し訳ないけど。
とはいえ時代は時代なので、どんだけ能天気だろうが平井家にもタキにも過酷な敗戦による不幸は等しく襲ってくる。
そんな不幸のなかでもそれぞれにまもりたい幸せがあったということがいいたいところまではわかったんだけど、そこに到る世界観があまりにもファンタジックすぎるのは大丈夫なのか?と不安になってしまう。きちんとしたいい映画に観えるだけに。
きっと観て腹をたてた人もいただろうね。個人的には腹がたつというほどのこともないけど、ちょこちょこイライラはしたかなあ。
原作と色々と違う部分があるとのことなので、機会があったら原作も読んでみようと思います。
観ていて聞き覚えのある地名が突然出てきて驚き。どうも映画の舞台が近所だったみたいです(原作とは異なる)。
確かに山の手は山の手だし、戦前はいわゆる洋風のお屋敷街もあったというし、戦争末期には空襲で丸焼けにもなった地域だけど、まあ今はなんの面影もカケラもなんにもないです。なにしろきれいさっぱり丸焼けですからね。昔々のたわいもない思い出話のそのまた単なる背景。
それが戦争。それに尽きます。はい。
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昭和10年、18歳で上京し山の手の中流家庭で女中として働きはじめたタキ(黒木華)は、主人の平井(片岡孝太郎)と妻・時子(松たか子)、長男・恭一(秋山聡・市川福太郎)との平穏な生活のなかで、自分の家庭をもつことより一生この家族に仕えて暮らすことを夢みるようになるのだが、中国との戦争が長引き太平洋戦争が勃発すると、平井家にも時代の波が押し寄せる。
中島京子の直木賞受賞作品を山田洋次が映画化。
戦時下の庶民の生活のなかのささやかな幸福を描いたアニメ作品『この世界の片隅に』が大ヒットしておりますが。
この作品もモチーフはほぼ同じですね。舞台が地方都市ではなく首都東京の山の手、登場人物たちが庶民というよりプチブルなので多少の立場のズレはあるけど、選挙権もなく政治的な意見をもつことも許されなかった時代の家庭人としての女性という意味ではざっくり近いとはいえる。
彼女たちにとって、見たこともない植民地や前線で起きていた現実は、ろくに触れることもできなかった新聞やラジオのそのまた向こうの遠い出来事であり、それよりも、街の賑わいや日々の食卓や密かな恋模様といったごくなんでもない日常の彩りの方がずっとずっとたいせつで、それが実際にいったいどんな犠牲を伴っていたかなど想像の端にものぼることなどなかっただろう。能天気だろうが現実逃避だろうが、それが彼女たちにとって目に見えて手に取れる方の“現実”だった。
もちろん、戦時中でも事実を知る人はいたし、終戦後に知って考えが変わった人もいただろう。だがこの映画を観ていると、どれほど残酷な事実であれ、受けとめ方なんか人それぞれなのかもしれないという当たり前のことに思い至る。その一点に気づいた瞬間の薄ら寒さと、映画に描かれた時子たちの優雅で文化的な生活描写のギャップがまた恐ろしい。
物語は老年のタキ(倍賞千恵子)が、大甥の健史(妻夫木聡)の勧めで書いた自叙伝によって、青春時代を回想する形で進行する。
ふたりの会話の端々に世代間の戦争観の違いが触れられるのだが、映画の中にはそのどちらが“事実”として有効であるかといった明確なジャッジはない。もちろん実際にはどちらも時代の一側面として事実に違いないのだが、おそらくは、あえてそうした政治的視点を排除し、あくまでもタキや平井家の人々の個人的な物語に表現を集約しようと腐心した形跡があるのが、観ていて妙にひっかかってしょうがなかった。
政治的視点にとどまらず、タキの時子への感情や、時子と平井の部下・板倉(吉岡秀隆)との間の生々しい愛欲など、そこにあって然るべき人間のややこしい情念さえも誤魔化されているように見えて、観ていて、作品本来のテーマがどの辺りなのかをもうひとつつかみかねてしまった。
観た通り・観える通りなのだとして、昭和初期のプチブルの可愛いおうちの素敵なままごとごっこをわざわざこんな豪華キャストで力一杯つくりたい意味が、ちょっと理解できなかった。申し訳ないけど。
とはいえ時代は時代なので、どんだけ能天気だろうが平井家にもタキにも過酷な敗戦による不幸は等しく襲ってくる。
そんな不幸のなかでもそれぞれにまもりたい幸せがあったということがいいたいところまではわかったんだけど、そこに到る世界観があまりにもファンタジックすぎるのは大丈夫なのか?と不安になってしまう。きちんとしたいい映画に観えるだけに。
きっと観て腹をたてた人もいただろうね。個人的には腹がたつというほどのこともないけど、ちょこちょこイライラはしたかなあ。
原作と色々と違う部分があるとのことなので、機会があったら原作も読んでみようと思います。
観ていて聞き覚えのある地名が突然出てきて驚き。どうも映画の舞台が近所だったみたいです(原作とは異なる)。
確かに山の手は山の手だし、戦前はいわゆる洋風のお屋敷街もあったというし、戦争末期には空襲で丸焼けにもなった地域だけど、まあ今はなんの面影もカケラもなんにもないです。なにしろきれいさっぱり丸焼けですからね。昔々のたわいもない思い出話のそのまた単なる背景。
それが戦争。それに尽きます。はい。
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