落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

東京国際映画祭番外編

2004年10月23日 | movie
『インファナル・アフェアⅡ 無間序曲』
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やっと観て来ました。
面白かった。ぐりはこの前作を観てなくて、先にレンタルでチェックしてから観るべきじゃないかと思ってたんだけど、観た人によれば「全然この1本で楽しめる」とのことだったので結局観ずに行きました。
うん、楽しめました。

えーとコレは完全に「オトナの男のプライドの戦い」の話ですね。バリバリぐりお好みの世界です(笑)。たぶん日本の巷ではプロモで来日した若者・陳冠希(エディソン・チェン)と余文樂 (ショーン・ユー)が主役みたいに認識されて?驍ニ思うんだけど、実際には呉鎮宇(ン・ジャンユー)や黄秋生(アンソニー・ウォン)、曾志偉(エリック・ツァン)と云ったおっさん連中が主役で、若者はあくまで前作とのツナギ、ストーリー上どーしても必要な?ォっかけアイテムみたいな扱いです。
ストーリーも超シブイっす。ガンアクションもない(拳銃が抜かれれば必ず相手は死ぬのでアクションシーンと云うより処刑シーンと云った方が妥当である)、カースタントもない、セクシャルな要素も笑えるシーンも一切ない、ひたすら黒社会(マフィア)の権力争いとそれを阻止せんとする警察との攻防、オトコたちの熱くそして時に厳しい絆のみが描かれた物語。精神論です。精神論だけの長く曲がりくねったハードボイルド映画。すげーな。
しかし曾志偉の妻で潜入捜査官マリーを演じた劉嘉玲(カリーナ・ラウ)は相変わらずええオンナですわ。爽やかに色っぽくて気が強くてそして健気。ええなぁ。

ぐりは実はこう云う黒社会モノは大して好きではない。暴力シーンが苦手だから。
今回だって純粋にフー様(爆)目当てです。いやぁ胡軍(フー・ジュン)かっこええよ。画面に映るたんびにぐりはココロの中で黄色い声で絶叫しとりました(笑)。役柄のせいか『藍宇』より若々しいと云うか年相応な雰囲気でしたね。そして意外にも香港明星と一緒の画面に映ってても全く違和感を感じませんでした。もっと浮いちゃうんじゃないかと思ったんだけど。
声が吹替えだったのは惜しい。しかもなんかキメキメなアニメ声だしさぁ。確かに胡軍は良い声だけど、せっかくだからもっと似てる声でやって欲しかったよ。っつうか香港映画で北京語の台詞ってやっぱどーしてもダメなんかなぁ。大陸出身のエリート警視役なら別に北京語でも良いよーな気がするんだけど。

まぁ胡軍もかっこよかったですが映画として大変面白い作品でした。観て良かったです。ハイ。

B.A. ZERO DEGREE

2004年10月22日 | movie
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映画『ブエノスアイレス』にまつわるメイキング映像とインタビュー、ロケ地再訪ドキュメントをまとめた短編『ブエノスアイレス摂氏零度』日本語字幕版、観ました。前にこの台湾版(広東語/中国語・英語字幕)は観てたんだけど、今回日本語で観てかなりいろいろとスッキリしました。
と云うのは、王家衛の映像世界は過分に感覚的・情緒的なので、一時停止して外国語字幕を解読しながら観てると全体のトーンとかリズムが全然分かんなくなっちゃうんだよね。まぁどの映像作品もそうだろうとは思うけど。

『ブエノスアイレス』が撮影されたのは1996年から97年、中国への返還を目前にして一種の同性愛映画ブームが香港映画界に起きた頃。なぜ同性愛なのか?共産圏では同性愛は犯罪にあたるため、返還後はそうした表現への規制が厳しくなるかもしれない、それなら今のうちにやっちゃおうと云う発想であるらしい。現実には今のところそんな規制はないみたいだけど(しかしつくっても内陸での上映許可は下りない)、結局映画作家にとってみればそれだけ同性愛って心惹かれるテーマだってことですね。出来れば撮ってみたい、撮れるうちに撮りたい、みたいな。
結果的にはこの時期につくられた同志片の中でも『ブエノスアイレス』は出色の傑作となった訳だけど、ココでこの作品について語りだすと止まらなくなるのでこのへんで止めときますです。

この『摂氏零度』がつくられたのは・・・2000年頃かな?正確にはちょっと分かんないけどどっかの国際映画祭で上映されたらしいよー、と云う噂を小耳に挟んで、それ観たい!すっごい観たい!!とずっと切望しておりました。なにしろ本編用に撮影したフィルムは約70時間ぶん超、本編に使用されたのはそのうちのほんの2%程度と云うのを一般公開時に聞いてたからです。そのカケラでも使われてんなら観たいよお。因みに本編の尺は90分。結構短いです。
しかしこの短編が日本で公開されることは無く(何かのイベントでは上映したかもしれない)、DVDもビデオも長らく発売されませんでした。
それがいきなりリリースされたのは去年のこと。理由は簡単、一方の主役である巨星・張國榮(レスリー・チャン)の死去によって彼の出演作がバカ売れし旧作ソフトのリリースラッシュが始まったから。流石中国人商魂逞しいです。イヤ、褒めてんだけどね。ホントに。今回の日本版だって『2046』に併せた発売だしね。

『摂氏零度』に実際にレスリーが登場するのは前半のみ。それもリアルタイムなオフショットや未使用映像の中だけで、追撮のインタビュー部分には出て来ません。と云うのも本編撮影時にもレスリーは前半しか参加してないからで(例によってロケが長期化したため)、出演したものの全てカットされた關淑怡(シャーリー・クワン)の出演パートの方がむしろ新鮮で印象的に感じました。ぐりはこの方あんまり知らないんだけどなんだか雰囲気があって『ブエノスアイレス』の世界にとても似合ってます。
そして梁朝偉(トニー・レオン)はやっぱかっこええわー。じーん。兵役前の張震(チャン・チェン)は可愛らしいですね。ホント若い!幼い!って感じがします。

撮影当時クルーはどんどん時間の感覚を失っていったと語られるけど、このメイキングには全編に当時を回想する関係者の特殊な感情─作品そのものを超えるような深い愛惜とノスタルジー─が満ちあふれてます。確かに、激しく郷愁を募らせながらいつ帰れると云うあてもなく異境で過ごした濃密な時間をまるで永遠のように思い出す感覚は、どこか遠い過去の恋愛を思う気分に似てる気がします。つらくてせつないのに何だか甘くてしっとりとあったかい、時間が止まったような、夢の中にいるような心地に漂っていた日々の思い出。
そう云えば『ブエノスアイレス』の撮影時の仮題は『Buenos Aires Affair』、直訳すると“ブエノスアイレスの情事”と云う意味で、南米が?ヨる文豪マヌエル・プイグの傑作『ブエノスアイレス事件』に因んでます。
カーウァイと云えば日本では未だに『恋する惑星』や『天使の涙』のポップでクールな恋愛映画の監督と云われることが多いようだけど、本当はこんなつらい恋への焦燥や憧れをじっとり撮る作風の方がメインなんだよね。
挿入歌「ククルクク・パロマ」(カエタノ・ヴェローゾ)の歌詞そのものの世界です。

 夜がきても
 もう鳴くことはなかった
 なにも食べず
 なにも飲まず
 その涙がしたたり落ちるとき
 空が身を震わせるのがわかった

 死んでしまったあとも
 この悲しみを忘れられない
 名を呼びつづけたことを忘れられない
 歌っていたおまえ
 呻いていたおまえ
 心を焼き尽くす炎により
 死んでいったおまえ

 悲しい鳩のように
 朝早くから歌っていた
 誰もいないこの家で
 すべての扉が開いたままの家で
 あの鳩は
 おまえの魂だったのだ
 不幸せな女が戻ってくるのを待っていた鳩
 ククルクク
 ククルクク
 何があってももう泣くな
 鳩よ
 おまえが恋について知りうることは
 いったいなんだろうか
 
明日『2046』公開。期待しないで楽しみにしてます。


『ブエノスアイレス』のオフショットより、タンゴを躍る張國榮。
『ブエノスアイレス』に関するデータを集めたサイトはこちら

『カレンダー・ガールズ』 トリシア・スチュアート著

2004年10月15日 | book
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日本でも今年公開された映画『カレンダー・ガールズ』の原作・・・ではない。
あの映画は実在の町とそこで起きた出来事をモチーフにしているが、物語はあくまでフィクションである。
イギリスの片田舎に住む中年の主婦が、夫に先立たれた友人のためにヌードカレンダーをつくることを企画する。伝統ある婦人会の主婦たちによるヌードカレンダーはやがて世界中の関心の的になっていく、と云った大筋はそのままだけど、現実にカレンダーに携わった人々がそっくり登場する訳ではないし、映画らしい脚色もかなり行われています。
本書はそうした脚色のない、現実のカレンダー騒動をカレンダーの立案者本人であるトリシアがまとめたエッセイ。友人の夫ジョンの闘病から、騒動が映画化されるまでの5年間がごく普通の田舎の主婦の自然な目線で丁寧に書き留められている。

映画で観てことの次第はおおよそ知ってはいても、こうして細かく経緯をひもといてみると現実にカレンダーによって起きた騒動の大きさは想像を絶するものがある。
カレンダーをつくるまではまだ良い、その後の国内外からの異常な反響と殺到する注文に追われ、有名人になってやれ取材だTV出演だプロモーションだとほうぼうにかり出され興味本位のマスコミにプライバシーまで嗅ぎ回られる騒乱の日々を、彼女はあくまで新しい発見の旅として楽しもうとしている。
その反面で家庭では夫との不和に悩み、カレンダーに参加した友人たちとの諍いや謂れのない中傷に傷ついたり、もう一方の当事者であるジョンの妻・アンジェラへの気遣いに腐心する、濃やかにやさしい女心も率直に描かれています。

思うに彼女がここまで何にでも一生懸命明るく立ち向かっていけるのは、それまでの人生で充分に彼女自身が鍛えられた自信があるからじゃないだろうか。
家族を愛し、故郷や家や自然を心から愛して自分に誠実に生きて来たから、どんなに混乱していても本当の目的、進むべきゴールを見失わずにいられたんじゃないかと思う。
実はそんな人生は全然普通じゃないんじゃないかとぐりは思う。普通の田舎の主婦と云ってしまうのは簡単なことだけど、そんな風に生きることは本当は全然簡単ではないのだ。

ぐりも出来ればもっと自分に誠実でありたいと思う。心から愛するもののひとつも持たなくてはと思う。でもそれは言葉で云うよりずっと難しいことだったりする。そんなこと云ってないで前を向いてちゃんと人生鍛えたいよと思ってても、なかなかそう上手くはいかない。
女だって大変なんですよ。
でも頑張ろう。私も55になった時に「今脱がないでいつ脱ぐんだ」なんて云えるくらいしゃきっとした女性でありたい。理想論かもしれないけど。

さらば、わが愛/覇王別姫

2004年10月04日 | movie
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先日買物をしてたら、店の有線で「パーフィディア」がかかってました。
もうすぐ公開の『2046』で使用されてるからプロモの一環だと思うのですが、同じ王家衛の『欲望の翼』でも流れてたのでふとセンチな気分になってしまいましたことよ。
『2046』ではヨディ(『欲望の翼』で張國榮が演じた)を連想させるキャラクターが画面には登場しないままでストーリーに絡んで来たりもするらしいです。ううう。

さて『覇王別姫』、1993年ってもう11年も前の映画なんですね。カンヌ映画祭パルムドール受賞作品。
たぶん日本でのアジア映画・中国映画の受け止められ方を大きく変えた映画のひとつと云えるんじゃないでしょーか。豪華絢爛な映像、壮大な歴史大河ドラマ、しかも卓越した演技力のスターが主役。それまではアジア映画、香港映画と云うとアクションやコメディ、かと思えば地味で超シリアスな文芸映画と云うイメージが主流だったような気がします。

ただぐりはこの映画、決して好きではありません。ストーリーも良い、題材も好きです。けど演出過多なんだよね。わざとらしい。やり過ぎ。くどいです。
もともとが波瀾万丈なストーリーなのでここまでやると観ていて疲れて来る。もうちょっと淡々と描けんもんなんかい。
でもこれが天下のカンヌで評価されたってんだから、きっとこればこれで正しいのだろう。ぐりの好みが偏屈なだけなんでしょう。
しかし話がデカ過ぎて程蝶衣と段暁樓のふたりの絆、内面的な関係の具体性がいまひとつ伝わりにくく感じるのはぐりだけではないと思う。蝶衣はせつない恋に悩んでると云うよりは偏執的な独占欲で苦しんでるみたいにも見えちゃうし、暁樓も自己満足で蝶衣を庇っているように見える。要するにふたりの間にミョーな距離がある。なんでやー。

ところで張豊毅ってやっぱイイですねえ(笑)。こういう悲恋モノに登場する男性の典型─不器用で鈍感でどうにも男臭いのだが見かけほどは強くない情けないオトコ─役がぴたっとハマってます。芝居以外に何の取り柄もない人だけど、なんだか可愛くて憎めない、って感じが似合ってる。演技が大味とか云われてますが、ぐりはこういう演技も良いんじゃないかと思う。スキル的には問題あるかもしれんけど。
そして鞏俐、撮影当時20代とは思えません。貫禄あり過ぎ(笑)。ぐりはこの女優さん実はあまり好きではナイんですが、この貫禄は流石に凄まじいですよ。他にこれほど迫力のある女優がアジアにいるだろーか。いやいるまい。それは確かだ。

張國榮は今見るとちょっとコワイです。なりきり過ぎてて。鬼気迫ると云うか、ほとんど演技に見えない。
この映画で彼が演じる蝶衣は舞台と現実世界の区別がつかない、人生の全てが舞台と云う人格破綻者、云ってみれば究極の芸術家でもある訳ですが、この映画から10年後に蝶衣と同じ自殺と云う形でこの世を去ったレスリーも、ある意味では、アーティスト張國榮と個人としての張國榮を上手く区別して生きることの出来ない人だったのかもしれません。
だからこそゴシップ好きの香港マスコミにあれほど苦しめられながらもそこを離れることも出来ず(一度カナダに移住したことはある)、そんなナイーブな自分から逃れることも出来なかった。

作中、程蝶衣のセリフはほとんどが吹替えですが(レスリーは北京語ネイティブではない)、ところどころ彼自身の声が使われている箇所もあります。
ぐりはハスキーでか細くて微妙な高さのちょっと蠱惑的なこの声がすごくすごく好きでした。
ヤケ酒に酔って歌ったり、すすり泣きながらおかあさんを呼ぶ声は、今聞くととても悲しく、淋し気に響く。
ふぅ。