落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

運命の孤独

2007年04月17日 | movie
『クィーン』
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おもしろかった。つーかおもしろくないワケがないですね。この題材で。
舞台はちょうど10年前のイギリス。若い革新派ブレア氏(マイケル・シーン)が新首相に任命された5月から物語は始まる。そのわずか3ヶ月後にダイアナ元皇太子妃が急死。離婚した元王族かつ国際的スーパーアイドルの死という前例のないの出来事に遭遇した王室一家は、憲法通り・従来のしきたり通り彼女の死を「王室とは関わりのないもの」ととらえたが、国民感情はそれを許そうとせず、アイドルの死に対する悲しみと怒りを、国民と王室との感覚のギャップに向けるようになる。

ぐりはこの映画好きですね。おもしろいし、よくできてる。笑えて、泣けて、考えさせられる。しかも非常に濃い映画です。
ここに描かれた物語がどの程度事実に基づいているのかは正直なところよくわからない。というか、実際は事実に基づいたパートより、創作されたパートの方が重要度が高い。映画はダイアナの死から葬儀が行われるまでのわずか1週間がメインに描かれているが、この間のほとんどの期間、王室一家は避暑で地方の所領地に滞在しており、公式に他人の目に触れる機会は非常に少なかった筈で、ヒロイン・エリザベス女王(ヘレン・ミレン)やエディンバラ公(ジェームズ・クロムウェル)、エリザベス皇太后(シリヴィア・シムズ)、チャールズ皇太子(アレックス・ジェニングス)の家族の会話などは記録が存在しないからだ。
そう、この映画は彼らをごく当り前の「家族」として描いている。立場は特殊かもしれないし、考え方は古いかもしれない。理解して共感してくれる人は少ないかもしれないけど、彼らも人間だし、彼らには彼らなりの道理がある。そういう描き方をしている。

自分で望みもしなかった役を一生かけて演じ続けなくてはならない“君主”という孤独な人間を描いた映画としては『太陽』にもちょっと似てます。
片や自ら「神」の称号を棄てた昭和天皇だが、エリザベス女王は国民感情によって君主としての権威を失いかけた。
劇中でエリザベス女王は自ら国民を侮蔑するような発言はまったくしない(エディンバラ公は露骨だけど←ええんかい>滝汗)。それはそれとして、自分で正しいと考えるスタイルは守ろうとする。その毅然とした姿勢は美しい。
しかしスタイルを守るだけでは、人として君主としての根本的な魂は守れない。
そういうことを、まったく説教くさくなく、説明っぽくなく語った映画。ウマイ。

ところでスペンサー伯爵(本人)の発言の字幕でダイアナ元妃が「妹」となってたけど、これは「姉」の間違いだよね?
ダイジョブですかー?

ダイヤをめぐる冒険

2007年04月08日 | movie
『ブラッド・ダイヤモンド』
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ラスト・サムライのエドワード・ズウィック最新作。
おもしろかったですよ。とりあえずアクション凄かったです。派手。最近のハリウッド映画にしては珍しく派手に殺しまくってます。血のりとか爆薬とかの量がハンパないっす。
ただよくも悪くもハリウッド娯楽大作らしい映画ではある。こういっちゃなんだけど、テーマの重さの割りにはさほど印象的な映画にはなってないです。ふつーにおもしろい、ふつーのスター映画。¥1800はムダではない、でも2時間23分もかけるほどの話にはなり得てない。惜しい。もったいない。
同じように、アフリカの貧しさを利益として貪る西欧社会の不正を描いた『ナイロビの蜂』とアプローチが似ているだけに、娯楽性にこだわるあまりもうひとつ感動物語になりきれないジレンマが苦しい。

この物語の主人公は脚本上3人いることになっている。
レオナルド・ディカプリオ演じるローデシア出身の元傭兵にしてダイヤモンド密輸商人アーチャー、反政府軍によって家族と引き離されたシエラレオネ人ソロモン(ジャイモン・フンスー)、紛争ダイヤモンドのスキャンダルを暴こうとするアメリカ人ジャーナリスト・マディー(ジェニファー・コネリー)。
しかしほんとうの主人公は別にいる。ソロモンがみつけた100カラットを超える巨大なピンク・ダイヤモンドだ。
ダイヤは何もしない。ソロモンが埋めた河原の土の下で、ひっそりと黙って眠っているだけ。
そのたった一個の石をめぐって、地上では血みどろの争いが繰り返される。それぞれの目的のため、現実から逃げ出すため、家族を取り返すため、武器を買うため、利権を独占するために、人々は暴力をふるい、殺しあう。
たった一個の石のために。

ぐりは貴金属にはまったく興味がないので、世間でどのくらい「ダイヤモンド」という商品に価値があるのかはしらない。
だが婚約指輪といえばみんなとりあえずダイヤを買うことくらいは知っている。給料3ヶ月分のエンゲージリングを買う人々のうちのどれくらいが、その指輪に光るダイヤがどこで生れて誰に掘り出され、どんな経路を経て指輪に載ったのかを意識しているだろうか。一体誰が、そのダイヤを取引したカネが何に代わるかを気にするだろう。
白身魚を輸送する飛行機に武器が積まれていても(『ダーウィンの悪夢』)白身魚を食べる西欧人がそのことを気にしないのと同じように、指輪を買う人間だってそんなことはほとんど気にしないだろう。ダイヤという名前がついていてキラキラ光ればなんだっていいんだろう。
だからこそそこに暴利が生れ、そのようにしてアフリカに持ちこまれた武器で、今も貧しい人々が互いに殺しあっている。

この映画で最も残念なのは。登場人物3人の人物造形がカンペキに「ハリウッド映画の英雄の紋切りタイプ」にハマってしまっているところ。
俳優はそれぞれとても頑張っている。努力は認める。けどあれだけの暴力描写に割く時間とインパクトのいくらかを、もっと人物描写や社会構造の複雑さに振り分けていたら、もっといい映画になったかもしれないのにと思う。これではむしろ、単に銃撃戦や爆発シーンが好きな観客向けのお気楽なアクションエンターテインメント映画にしかみえない。ここ数年オスカーの定番となった“アフリカ×白人社会派ドラマ”のためにハリウッドまでがアフリカの不幸や貧困を餌食にしているように見えてしまっても仕方がないだろう。いくら製作側がわれわれは現地の市民社会や自然環境のためにあんなことやこんなことをやっていると言い訳したところで、出来上がった映画の構図がまさにそうとしか見えないのだ。
娯楽映画としては合格点だけど、もちっと頑張りましょう。ぐり的にはそんな感じ。