『アイム・ノット・ゼア』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B00130HI4C&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
歴史に残る生ける伝説と化した奇跡のアーティスト、ボブ・ディランを6人の俳優が演じたコンセプト・ムービー。
実際観てみるまでは何がどーなってんだかイマイチ予想がついてなかったんだけど、観たら全然わかりやすかった。すっごいストレート。超シンプル。おもしろいし、しかも斬新。着眼点というか切り口というかアプローチが新しくて、かつ正直なの。観てて気持ちいい映画って、こーゆーのをいうのかも。
実をいうとぐりはボブ・ディランについてはあんまりよく知らない(爆)。もちろん名前は知ってるしヒット曲なら聴けばわかるけど、べつにファンじゃないしアルバムも一枚も持ってない。
そんなぐりが観ても「わかりやすい」と感じるんだから、これはスゴイ映画なんじゃないだろーか。
この映画のタイトルは直訳すれば「そこに僕はいない」という意味だけど、テーマはまさに「そこにある」。
ボブ・ディランはいかにして“ボブ・ディラン”たりえたのか、“ボブ・ディラン”であるということがどういうことなのかを、極力ボブ・ディラン本人に的を絞って描いている。なので背景描写は必要最低限しかでてこないし、登場人物も意外なほど少ない。その代り、ボブ・ディランはその側面・年代に応じて6人の俳優が演じわけていて、役名もそれぞれ別の名が与えられている。
でも観ていて違和感のようなものはほとんど感じない。不思議なことに。ボブ・ディランが6人いるのがとにかく自然なんだよね。人間には誰しも多面性があるし、“ボブ・ディラン”は実在の人物だから、こういう突飛なギミックがむしろリアルにも感じる。逆に、6人もの俳優がひとりの人物を演じることで、「そこに僕はいない」というメッセージが非常に効果的に表現されているようにも思える。“ボブ・ディラン”は「そこにはいない」、そして同時に「そこにいる」。
かみくだいていってしまえば、“ボブ・ディラン”は生身の肉体を離れた、一種の観念のようなものになってしまっている、ということになる。世界を熱狂させたスター、時代の代弁者、アメリカの誇り、孤高の芸術家、そんなイメージを彼が自らオーディエンスに強要したことはない。ただただ彼は自分の感じたこと、訴えたいことを歌っただけなのに、人々はそれ以上の何かを彼に一方的に求めるようになってしまった。
その現実を受け入れてなお“ボブ・ディラン”でありつづけるのは誰の目から見てもハードだ。それを真正面から描いているのがこの『アイム・ノット・ゼア』である。スゴイ。てゆーかどーやってつくったのかさっぱり想像つかない映画って久々に観た気がする。
キャスティングがすごくよくてとくに女優陣はみんな好きな人ばっかりだったんだけど、なかでもやっぱケイト・ブランシェットは素晴しかった。神です、彼女は。スゴすぎるー。
ヒース・レジャーは観ててしんどかったです。それ以外何もいえない。
イディ・セジウィック(役名はココ)を演じた元パートナーのミシェル・ウィリアムズとはこれが最後の共演になってしまったのも惜しまれる。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B00130HI4C&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
歴史に残る生ける伝説と化した奇跡のアーティスト、ボブ・ディランを6人の俳優が演じたコンセプト・ムービー。
実際観てみるまでは何がどーなってんだかイマイチ予想がついてなかったんだけど、観たら全然わかりやすかった。すっごいストレート。超シンプル。おもしろいし、しかも斬新。着眼点というか切り口というかアプローチが新しくて、かつ正直なの。観てて気持ちいい映画って、こーゆーのをいうのかも。
実をいうとぐりはボブ・ディランについてはあんまりよく知らない(爆)。もちろん名前は知ってるしヒット曲なら聴けばわかるけど、べつにファンじゃないしアルバムも一枚も持ってない。
そんなぐりが観ても「わかりやすい」と感じるんだから、これはスゴイ映画なんじゃないだろーか。
この映画のタイトルは直訳すれば「そこに僕はいない」という意味だけど、テーマはまさに「そこにある」。
ボブ・ディランはいかにして“ボブ・ディラン”たりえたのか、“ボブ・ディラン”であるということがどういうことなのかを、極力ボブ・ディラン本人に的を絞って描いている。なので背景描写は必要最低限しかでてこないし、登場人物も意外なほど少ない。その代り、ボブ・ディランはその側面・年代に応じて6人の俳優が演じわけていて、役名もそれぞれ別の名が与えられている。
でも観ていて違和感のようなものはほとんど感じない。不思議なことに。ボブ・ディランが6人いるのがとにかく自然なんだよね。人間には誰しも多面性があるし、“ボブ・ディラン”は実在の人物だから、こういう突飛なギミックがむしろリアルにも感じる。逆に、6人もの俳優がひとりの人物を演じることで、「そこに僕はいない」というメッセージが非常に効果的に表現されているようにも思える。“ボブ・ディラン”は「そこにはいない」、そして同時に「そこにいる」。
かみくだいていってしまえば、“ボブ・ディラン”は生身の肉体を離れた、一種の観念のようなものになってしまっている、ということになる。世界を熱狂させたスター、時代の代弁者、アメリカの誇り、孤高の芸術家、そんなイメージを彼が自らオーディエンスに強要したことはない。ただただ彼は自分の感じたこと、訴えたいことを歌っただけなのに、人々はそれ以上の何かを彼に一方的に求めるようになってしまった。
その現実を受け入れてなお“ボブ・ディラン”でありつづけるのは誰の目から見てもハードだ。それを真正面から描いているのがこの『アイム・ノット・ゼア』である。スゴイ。てゆーかどーやってつくったのかさっぱり想像つかない映画って久々に観た気がする。
キャスティングがすごくよくてとくに女優陣はみんな好きな人ばっかりだったんだけど、なかでもやっぱケイト・ブランシェットは素晴しかった。神です、彼女は。スゴすぎるー。
ヒース・レジャーは観ててしんどかったです。それ以外何もいえない。
イディ・セジウィック(役名はココ)を演じた元パートナーのミシェル・ウィリアムズとはこれが最後の共演になってしまったのも惜しまれる。