落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

無駄遣いの日曜日

2009年03月08日 | diary
ぐりメモ。
今週末にHIVの専門医のセミナーに行くのでおさらいしとかねばー。

HIV除去体外受精110組超…71人が誕生、感染なし

HIV:ヒト免疫逃れるウイルス増加 「変異が原因」解明‐‐熊本大など

エイズ予防 中高年層の啓発推進 都、早期の検査など訴え

イラン政府 エイズ専門家の医師ら拘束


本日の戦利品。
足の形が変わっているので、足に合った靴は¥30,000以内なら即買いする主義なのですがー。
コチラは¥32,000が半額になってたので・・・うーんしかし白いブーツなんかどこに履いてくつもりなのかよ自分。
今日は切れた化粧水その他のデイリーコスメとコンタクトレンズを仕入れに、3日も寝込んでナマった身体を馴らすつもりで出かけたけど、結局この靴以外に服とかも買ってしまったあー。無駄遣い・・・。
ついでに『花の生涯 梅蘭芳』も観に行くか?と思ったけど、各種割引なしの¥2,000均一と知って一気に観る気が失せ。なんですかそりゃー??ただでさえ陳凱歌(チェン・カイコー)あんまし好きくないのにー。やっぱ観なくていい?

ぐりメモ。
パルコの裏のベトナム料理屋ホァングンはランチが¥680。

ベッドの友だち

2009年03月07日 | book
こないだ十代後半〜二十代半ばのころ、村上春樹にハマってたーという話を書きましたが。
でもここしばらくはそんなに読んでなくて家にある本も全部ほったらかしになってたんですが。てゆーか最近全然本自体読んでないですね。ちょっとそーゆー精神的余裕がなくて。読みたい本はあるんだけど。

それでここ数日寝込んだので、ついで?みたいな感じで村上氏のエッセイを数冊ひっぱりだして来て再読しました。
読んだ順番では『遠い太鼓』『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』『うずまき猫のみつけかた』『やがて哀しき外国語』『日出る国の工場』『‘THE SCRAP’―懐かしの一九八〇年代』の6冊。
書かれた時期では1982〜1997年の15年くらいか?『工場』と『SCRAP』はヨーロッパに行く前の著作で、『遠い太鼓』はヨーロッパで『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』を書いたころの旅行記、『うずまき猫』『やがて哀しき』は一度帰国してそのあとすぐにアメリカに移住(プリンストン大学とタフツ大学で教鞭をとっていた)した時期のエッセイ。『村上朝日堂〜』は日本に帰って来て『アンダーグラウンド』のために地下鉄サリン事件の被害者に取材をしていた時期のものです。

こーやってまとめて読むのは初めて?じゃないかな?前にあったとしても相当昔だと思う。
まーこの人のエッセイてホントに中身ないんだよね(笑)。そこがいいんだけど。スカスカなんだけど読んでて気持ちいいスカスカ感とゆーか。気楽なの。病気で寝てるときなんか最適ですね。まさに。
あとこーして15年にもまたがってる文章を読むと、意外とこの人あんまし変わってない?という感じもして。自分では文体がどんどん変わってってるみたいなこといってるけど、エッセイではそんなに変わってない。ぐり自身があんまりころころスタイルを変える人を信用しないタイプなので、こういう人はなんか好感もてますね。人は人、ワタシはワタシ、みたいなさ。まーそーゆーゴーイングマイウェイなスタイルは傍目にみるより貫くのは大変なんだけどね。無駄に敵も多くなるしね。

ひさびさに読んでてひとつ発見。
ぐりは若いうちに村上氏にハマり過ぎたせいなのか、この人の文章を読んでて妙にシンパシーを感じてしまうことがよくあるんだけど、ぐりと村上氏に共通点があることを発見しました。
人にいわれたことはやりたがらないのに、自分でみつけたことは徹底してやる。
これはぐりが子どものころから周りの人にいっつもいわれてた欠点です。学校の勉強は嫌いで授業中は寝るか他所事を妄想するかして教師の話は全然聞いてなかったり、親に押しつけられた習い事はとことんサボりまくってたくせに、自分でこれがやりたいとみつけて来たものは周りが怒りだすまでしつこく熱中しまくる。損得勘定なんかこれっぽっちも考えてない。
村上氏は作家として成功して、こういう性向もきっと著作活動にはかなり役に立ってると思うんだけど、ぐりの場合は今のところクソの役にも立ってません。
困ったなあ。

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刑務所生活の思い出

2009年03月06日 | diary
中学丸刈り:県弁護士会、人権侵害と廃止勧告 「伝統理由にならぬ」‐‐鹿児島・奄美

ぐりが中学生だったのはかれこれ20年以上前のことだけど、当時は校内暴力とイジメが深刻に社会問題化していて、なかでも保守的で日本全国からみても独特の教育風土をもった地元の中学は、どこでもかなりキツイ校則で子どもをぎゅうぎゅうに管理してました。
ぐりの母校もごたぶんにもれず男子は丸刈り、女子は肩に触れない長さのおかっぱと髪型は決められていて、ゴムやピンなどのヘアアクセサリーはいっさいがっさい禁止、あのころぶんぶんに大流行していた聖子ちゃんカット(“段カット”とかいってたな)もNGだった。
規制されてたのは髪型だけではない。ソックスは白でワンポイントも禁止、女子はくるぶしのところで折り曲げて履かなくてはいけない。冬場の手袋は白の軍手のみ、マフラーは禁止、タイツもストッキングも禁止。夏場はセーラー服の下に白のTシャツか体操着かタンクトップを着る。それ以外のものは着てはいけないし、素肌にセーラー服を着るのも禁止。
持ち物ではシャープペンシルの持ち込みが禁止。理由は武器になるから。柄つきの下敷きやノートも禁止。気が散って授業の邪魔になるからである。

ほんとうはまだまだまだまだ禁止項目は果てしなく続くんだけど、これ以上はきりがないので書かない。しかしもうここまでいったらもはやこれは学校じゃないですね。刑務所です。
実際教師は男も女も体罰のし放題だったし、子ども心に「これだけたくさんの(1学年に600人近く生徒がいて学校がパンク寸前だった)子どもにスポーツを教えて全国大会に連れていったり、受験させて進学校にいれたりするのは大変なんだろうな」とも思ったものである。今の先生たちも大変だろうけど、あのころのぐりの母校のカオスは正直あまり思い出したくないくらいである。ぐり自身も教師にぶたれたりはしてたけど(理由は今も当時もまったくの不明)、イジメに遭ってた被害者の立場からみれば、教師の苦労もまったく理解できないわけではなかった。
それでも「こんな刑務所のようなところからは一刻も早く逃げ出したい」と卒業の日を指折り数えて心待ちにしていたのも事実である。卒業式の日は「もうここへ来なくていい」という感激で泣いた。心から嬉しかった。教師の顔も同級生の顔も二度とみなくていいと思うと、嬉しくて嬉しくて涙が出た。

というわけでぐりには中学生活に対するノスタルジーのようなものは微塵もない。あの3年間のことは全部忘れました。
ただひとつ中学に感謝すべきことがあるとするなら、あの疑似刑務所生活のおかげで必死に受験勉強をして、難関の人気校に入学できたことである。
ぐりの高校受験の時代は校区の高校が偏差値で上から輪切りになっていて、ぐりの成績では上から二番目の高校が妥当であろうということだったのだが、模試での合格率は完璧とはいえず、万全を期すならば三番めにおとすのもよかろうというレベルでもあった。
冗談じゃない、と思った。二番めの学校は自宅からいちばん近くて、明治時代に創設されたという伝統があり校風も自由で誰もが憧れる高校だが、三番めは新設校で自宅からはいちばん遠く、進学校を目指して生徒をぎちぎちに管理しているといわれていた。3年も刑務所暮らしだったのにこれ以上こんな生活まっぴらごめんである。
そこで一念発起して塾をスパルタなところに替え、一日十時間勉強する生活に切り替え、その成果として春にはめでたく二番めの高校に入学できたという訳である。おかげさまで高校生活は夢のように楽しかった。これまでの人生でいちばん幸せだった時期といっても過言ではない。遊んでばっかりでなんにもしなかったけどね。

それもこれも中学が刑務所だったからです。子どもの人権侵害も意外に役にたつもんです(爆)。
なんてことをいうと真剣に怒る人もいるかもしれませんが、ぐりは個人的には厳しい校則や教師の体罰が全部いけないとは思わない。
なんだってそうだけど、規則やルールはそれを使う側に責任がある。子どもの人権は確かに尊重されるべきものではあるけど、管理教育の現場にはほんとうに必要なルールもあるはずだ。それがイヤなら私立に子どもをいれればいいんじゃないの?
ってのも極論なんだろーね。きっと。ごめんなさい。


京都、浄瑠璃寺の門前の土産物屋。
店内は暗かったので画像は撮らなかったけど、そういえば昔の商店てどこも薄暗かったよね。べつにそれで不便ってこともなかったはず。
今のコンビニの灯りとか異常だと思う。そら電力の無駄とかいわれてもしょーがないよ。

昼夜逆転生活は身体に悪いという研究結果 : Gizmodo Japan
これはぐり自身が10年前に体験したことなので、今ごろになってという気もする研究結果。
20代の半ば、異動で新しい部署でそれまでとは違う勤務形態になったとたん、右肩上がりに体重が増加し始めた。食生活はそれまでとほとんど変わらないのに。健診の問診では「油物が好きか」「間食をしてないか」と根掘り葉掘り聞かれ、「絶対にこの女は嘘をついている。何も変わらないのにこんなに太るはずがない」という目でみられて非常に心外だった。
そのころすでにアメリカの科学雑誌では「不眠は肥満の原因」とする説がちょこちょこ見られるようになっていたので、「今の仕事場では徹夜作業が多いので(毎月時間外勤務が300時間を超えていた)、そのせいだと思います」と答えると、「夜中に間食してるでしょう」と決めつけてかかる。そんなことするわけないでしょーが。アホか。
まあ組合の健保の医者なんてそんなものかもしれないけど、一般人が読む程度の論文くらい読んでろっての。
そんなわけでぐりは大抵の医者のいうことは信用しません。かかりつけの医師でもです。ヤな患者でごめん。

恒例の病気

2009年03月05日 | diary
先日から膀胱炎気味だったのだが、腎盂腎炎になってしまった。
このブログの読者のほとんどは女性なのでご経験のある方もいらっしゃると思うのだが、しばらく前にこの女性特有の病気のことをある人と話していて、意外にこの痛みとしんどさが世の中には知られてないのだなと思ったことがあったので、どーでもいいよーなことですが、ぐり的な膀胱炎→腎盂腎炎コースについてちょっと書いておこうと思う。

膀胱炎は膀胱がブドウ球菌・大腸菌・腸球菌などの細菌に感染して炎症を起こし、尿を溜める・排泄するという働きに障害が発生する病気である。男性と比較して尿道が短い女性がかかりやすい病気である。
尿道からの感染も原因のひとつだが、病原体である細菌のほとんどはもともと尿道にも膀胱にも存在する菌で、発症の直接の原因の多くはストレスや不眠、不規則な生活などで免疫力が低下することによるものとみられている。俗に不潔なセックスのやりすぎでかかるといわれてもいるけど、必ずしもそれだけじゃありません。
一度発症すると何度もくりかえされるのが特徴で、実をいうとぐりはほとんど毎年のように発症している。ひどい時は治ってもすぐまたかかる。かかると下っ腹が痛くなり、トイレが極端に近くなる。いわゆる瀕尿状態である。トイレに行っても行ってもすぐ行きたくなる。排泄時には焼けつくような痛みを感じる。
予防法は陰部を清潔に保つこと、なるべく多く水分を摂って、頻繁にトイレに行くこと、下半身を冷やさないこと。「あれっ?」と思ってからでも大量に水を飲んでじゃんじゃんとおしっこをして腰をあたためると治ってしまうこともある。

でもそうはうまくいかないことの方が多い。この病気はビックリするくらい進行が早くて、「あれっ?」と思った時点で細菌が腎盂にまで達して、炎症が広がってしまっていることがしばしばある。これが腎盂腎炎。故・飯島愛さんが引退時に理由のひとつとして挙げた病気でもある。
腎盂腎炎になるとまず高熱が出て、腎臓付近や両脇のリンパ腺あたりがガンガンと痛む。おしっこはしたくてももう出てこない。出てくるのは炎症で破壊された腎盂や膀胱の組織が解けた、赤く濁った無気味な液体が少しずつたらたら出る。高熱のせいか吐き気や頭痛も伴う。痛みは、膀胱のあたりをブーツの爪先で思いきりぎゅうぎゅうと踏みつけられるような感じの痛さである。えー、ぶっちゃけ、激痛といってよいかと。
まあしんどいです。ここまでいったのは今回で3回め?4回め?くらいです。よく覚えてないけど。

今回はゆうべ「これは膀胱炎になったな」と気づいて、朝になって状態がひどくなってたらまた病院だなこれはと思って起きたら、それどころじゃなくなってたと。
かかりつけの病院に電話をしてどーかこーか家を出るんだけど、痛みと吐き気と寒気でまともに歩けない。小股でそろりそろりとしか足を運べない。常に猛烈にトイレに行きたくて、駅までのコンビニでトイレに寄り、駅でも4回もトイレに行く。トイレを出てホームに下りても、すぐまた行きたくなるのだ。途中からは我慢できずにタクシーに乗る。こういうときに限って道が混んでいる。
病院に着いてさっそく尿検査して熱を測ると39℃近くあった。抗性物質の点滴を受けて、勤務先に欠勤の連絡を入れる。帰りに薬局で処方された抗生物質の錠剤と解熱消炎剤を買って帰る。

膀胱炎も腎盂腎炎もきちんとした処置を受ければ治る病気だし、大した病気じゃないといえばそうかもしれないと思う。
でも誰でもそうだけど、身体の中で起こる異変は自分の目で確かめることは出来ないから、悪寒と激痛と目も開けていられないほどのめまいの苦しみだけでもとても不安になる。内臓が焼けつくようなあの感覚には、誰でも身の危険を感じるはずだと思う。
女性なら誰でもかかる危険のある病気だし、放っておくと簡単に敗血症や播種性血管内凝固症候群、急性呼吸窮迫症候群、腎不全などの重篤な状態に進行するケースもままあるので、まだまだ寒さの続くこの季節、みなさまご注意くださいませ。


待ち犬。図書館にて。

東京は雪です

2009年03月03日 | diary
鳩山総務相「国辱もの」 旧東京中央郵便局を視察

桃の節句とゆーのに東京は雪が降っとりますが。
国辱って・・・ねえ。なんでしょーねこの人はー?かんぽの宿問題でもそーだけど、こーゆー風に感情論でぎゃんぎゃん喚けばマスコミのいいカモになるのは確かだけど、それと国民の支持を得ることとはべつってことがわからん政治家がまだいるのねー(過去にもいろいろおられましたよね。あの人とかこの人とか)。あほらし。勝手に泣いてろ。

ぐりも古い建物は好きですが、この旧東京中央郵便局はぶっちゃけたいしたもんじゃないと思う。学生時代アルバイトのおつかいで何度か足を運んだけど、あのころですら既に暗くてぼろくて不便な建物だった。場所が場所なんだし、とっとともっとちゃんとした建物に改築するべきだし、今だって遅過ぎたくらいだと思う。
だいたい日本はもともとが古いものをあまり大事にしないくせに、いざ壊すとなったらやいのやいのと騒ぎたてるだけ騒ぐとゆー、妙な風潮がある。たいていは騒ぎになった時点で計画は半ば進んでしまっているから、施行者や所有者にしてみれば「何を今さら」である。だから結局騒ぐだけで計画が変更されたりはしない。壊されてしまえば反対運動もいつのまにかなかったことになっている。不思議なものだ。

この数年間ガンガンに進められている銀座・有楽町・日比谷地域の再開発でバタバタと歴史的名建築が消えていくのに、今まで政治家は誰ひとり何も発言してこなかった。歌舞伎座も取り壊しが決まっているし、銀座の象徴である和光だってもうじきなくなるし、かの黒川紀章の初期代表作でオムニバス映画『TOKYO!』の「インテリア・デザイン」に登場した中銀カプセルタワービルだって解体される(もうしてるんだっけ?)。ぐり的には、旧東京中央郵便局なんかよりも交詢ビルや三信ビルや越後屋ビルが解体されてしまったことの方がずっとずっとショックだった。淋しかった。
ぐりは学生時代新富町の小さなデザイン事務所でアルバイトをしていて、このあたりはおつかいでよくてくてくと歩きまわった街である。休日にはギャラリーめぐりもした。表通り沿いは近代的な町並みだけど、裏に一本路地を入ると雰囲気のある古いシャレたビルが並んでいて、まだ十代で田舎者のおのぼりさんだったぐりは「ああ東京で暮してるんだなあ」と実感したものだった。
でもこういう古い建物は安全面に問題もあるし、不便だし、不衛生だし、実際に使っている人たちにとっては面倒なことが多い。だから建て替えて効率を図りたいという意志を他人が、ましてや国家権力が邪魔するなんて馬鹿馬鹿しい話でしかないと思う。

くりかえしになるが、ぐりは古い建物が大好きだ。不便だって不衛生だって危険だって、先人が遺してくれたものをみんなで大事にして欲しいとは思う。けどそれは決して簡単な話ではない。政治家や官僚が差し出口を挟んでどうなるというほどのことではない。
たとえばヨーロッパの人たちは古いものをすごく大事にしている。ワルシャワの市民は第二次世界大戦で壊滅的な被害を被った町並みをそっくり再現して今に伝えている。ドレスデンの聖母教会はバラバラになったレンガを12年をかけてジグソーパズルのように組み合せて再建された。フィレンツェでは11世紀の建物に今も人が住んでいるし、ヴェネツィアでは地盤沈下で海に沈んでいく建物を改装してそのまま使っている。
彼らが古いものをそこまで大事にするのは既に感情論のレベルではなく、民族的な精神論の問題のような気がする。彼らにとって経済効率は文化財を守っていくことよりもずっとプライオリティーが低いのではないだろうか。エレベーターが小さくたって、下水管が細くたって、床がきしんでたわんでたって、窓の立付けが極端に悪くたって、大切にして守れるものなら守って当り前、他のことはいよいよというときになって考えればいいさー。みたいなさ。
それを地震と台風の国・日本が一朝一夕に真似しようったって無理があると思う。するんならまず教育改革からやんなきゃだめなんじゃない?国民の意識そのものの問題なんだからさ。


待ち犬。図書館にて。