落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

災害ボランティアとはいかなる人々か

2011年05月13日 | 復興支援レポート
震災ボランティアレポートIndex

先日もちょっと書いたけど、石巻で出会ったボランティアは、社会貢献にもともと関心が高かったわけではなく、ボランティアも今回が初めてという人が多かった。
いちいちインタビューをとってまわったわけではないので正確なところはわからないが、ぐり個人の印象としては、石巻専修大学に滞在していた最大300名余のボランティアの全体の雰囲気として、その印象はさほど間違ってはいないのではないかと思う。なんでかっつーと、皆さんすごく寡黙というかもの静かというか、ただただ淡々と黙々と任務に集中してとりくんでたから。
ボランティア活動や社会貢献に習熟した人だとこうはいかない(爆)。経験があるだけにあれこれ意見をいいたくなってしまうのだ。ボランティアはどこでも寄せ集めの組織でしかないから、非効率的な部分や不完全な部分がいくらかあるのは致し方ない。伊達に経験があるとどうしても主張したくなってしまうのである。それはそれで悪いことでは決してない。ただ、文字通り人海戦術での大規模作戦を要求される現段階の被災地では、意見も主張もなくひたすら体を動かすだけのボランティアの力も重要なエネルギーであることも間違いない。

専修大に滞在したボランティアの中には40名余の外国籍のインターナショナルチームもいた。
彼らはいつも元気いっぱいで、ボランティアたちのムードメーカーだった。朝礼の点呼では毎朝大声で返事をし、夜も遅くまで実に楽しそうに談笑していた(ぐりのテントのすぐ近所に彼らのテントが集まっていた)。
言葉の壁がある(6人一組のグループにつき1名の日本語スピーカーがいればOK)インターチームのタスクはクリーン、つまりヘドロ清掃、要するに力仕事である。沿岸部の倒壊した水産加工場跡が集中する地域で、腐乱した魚の片付けに従事していたのも彼らである。しかも生半可な量ではない。現場から運び出される魚は2トントラックに10台分を超えていた。危険な重労働であるうえに衛生的なリスクもあり、かつ強烈な悪臭を伴う困難な作業に活躍した彼らの勇気には心からの喝采を贈りたい。
ラジオ体操の代わりに子ども向けのユニークな体操をやってくれたジョンさん、マオリ族の伝統的な神聖な踊り・ハカを披露してくれたニュージーランドの人たち、最終日に全員の集合写真を撮ってくれた写真家の方、ゆっくり交流する余裕がなかったのはとても残念だったけど、4月も半ばというのに雪が降るほど寒い石巻まで来てくれてほんとうにありがとう。他の在日外国人がほいほいと日本を去っていくこの時期に、被災地までボランティアに来てくれた彼らの勇気は称賛に値する。

インターチームも含め、今回専修大に集まっていた人たちは、ボランティアというよりアウトドアに慣れているようにも見えた。テント泊で食事は非常食という条件を初めからクリアしてやってくるわけだから、それも自然なことかもしれない。
それなら力仕事に慣れているのも頷ける。キッチンチームにも、小柄で可憐な外見に似合わず意外なほど力持ちの女性ボランティアがいた。ぐりは見かけ倒しで腕力はまったく頼りにならないのでその点ではさっぱり役に立ちませんでしたが。でもそーゆー人員にも他にそれなりにやることはあるのがボランティアの現場である。
とにかくそこにいさえすれば誰にでも何かしら仕事はあり、しかもどれもとびきりやりがいがある。無職で滞在日程に制限のない人たちがまさに重宝されるし、とりあえずここにいる間は生活費は1円もかからない。アルコールが禁止されている上に電源不足なので娯楽と呼ばれるものはほぼいっさいなく、マスメディアに触れる機会も少ない。
俗世間からは隔絶された、いわば出家生活さながらの特殊なこの場所の居心地の良さにうっかりハマってしまい、何週間も居残っているボランティアもかなりいる。本人にとってはちょっとアブナイんじゃないかとぐりなんかは思うのだが、それでも被災地にとっては貴重な人材であることには間違いない。

東京に戻って来て1週間、あっという間だった。
石巻にいた間の時間は奇妙に濃密で、1ヶ月ほどにも感じた9日間だったのに、不思議なものである。
そして戻って来てから毎日、石巻のこと、被災地のことを思わない日はない。毎日出会う人たちにいちいち被災地の話をして聞かせているぐりも相当イタいと我ながら思うけど、それでも、どうにかして一人でも多くの人に被災地に行ってほしいと、切実に思う。
今月あたりからアウトドア門外漢でも参加できるバス移動+温泉泊の短期パックもたくさん企画されている。すばらしい。行くべし。マジで行ってほしい。
お願いします。

インターナショナルチームのレポート(英語) すばらしい画像多数。
東京ボランティア・市民活動センター 災害ボランティアセンター設置・受入状況 バスパック情報多数。とりあえずClick。


早朝6時、日和山公園からの牡鹿半島方面を望む。
朝陽が逆光になってうまく写せてないけど、旧北上川を挟んだこの辺りも壊滅的な被害を受けて今だ復旧作業もままならない。
航空写真の凄惨さと、ストリートビューの在りし日の風景のギャップが悲しい。
ぐりは石巻には今回初めて行ったので、これら被災地のストリートビューを見て初めて、被災地のもとの風景を知ることができる。今の風景からは想像がつかない。それほど被害は激しい。

Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ

被災地での炊出しとはいかなるものか その2

2011年05月12日 | 復興支援レポート
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肝心の献立についてまったく言及しておりませんでしたが。

ボランティア期間中はまったく余裕がなくて、メモもとらず写真もほとんど撮らなかった。というか写真は撮っちゃいけないような気がして、撮りたくてもあまり撮れなかったというのが正直なところかもしれない。撮るヒマあったら働けよ自分、みたいな。

炊出しの献立はチームを指導するADの管理栄養士さんが決める。
前後の献立とのバランスや食数、食材の在庫と相談しながら、昼食は2日前に決めて仕込みの段取りをする。前述の通り煮物や汁物が多い。カレーやシチューなどは定番だった。夕食は食数が少なかったので、当日に決まることもあった。量の少ないイレギュラーな食材をやりくりして、提供時にゆでるラーメンやパスタ、古くなったパンを使ってフレンチトーストをつくったこともある。他団体から寄せられたしらすと大根の葉を使ったまぜごはんは大人気だった。
東北の方は甘いもの、味の濃いものを好む傾向もあり、煮豆も大好評だった。避難生活をしている被災者の皆さんの食生活はどうしても生ものが不足する。意外に人気だったのが生野菜を使った副食で、きゅうりのごま和えや大根の浅漬け、キャベツのゆかり和えも喜ばれた。

つくった料理をどこで誰にふるまうかは、団体を通じて社会福祉協議会から依頼される。
ぐりが参加した団体のキッチンで担当していたのは10ヶ所あまりの地域で、日替わりで場所によっては毎日、あるいは週に2~3日、多いところでは150食分、少ないところでは30食分を提供した。なので1日に用意する食数も日によって700~1200弱と前後する。
食数はそれまでの提供状況で増減する。実際に提供してみて、連続して余るようなら減らすし、足りないようなら増やす。曜日や天候によって人の集まりは変化するので、増やしても余ることもあるし、減らしたら逆に足りなくなったこともある。
被災地の状況は日々めまぐるしく変化する。思い通りにいかないこと、予想通りにいかないことも日常茶飯事、というかほとんど当り前である。苦労が報われなくても努力が裏切られても、それはそういうものとしてクールにスルーするのが賢明である。
しかしいずれにせよ、われわれがつくったものを被災地の皆さんは大喜びで食べてくれた。炊出しを楽しみに鍋の前に並んでくれる皆さんの笑顔を見るだけで、毎日の重労働がすべてチャラになったような気分になった。

東京にいると、マナーを知らないボランティアは敬遠されるとか、被災地ではなかなかボランティアを受け入れる余裕がないとかいった報道ばかりが先行しているように感じるが、現地の状況はまったく異なっている。
どこへ行っても出会う人たちはみな私たちに爽やかな笑顔を向けて、「いつもご苦労様」「遠いところから来てくれてありがとう」とあたたかい言葉をかけてくれた。
お礼などいわれるまでもない、むしろ自分のためにこそ何かしたい、と押しかけて来た私たちを快く受け入れてくれたのは被災地の皆さんである。こちらこそお礼をいわなくてはならないのに。
めちゃめちゃに破壊された町で日々をどうにかこうにか暮らしている被災地の人々。それでも笑顔を忘れず、見ず知らずの私たちにも優しく接してくれる。
そんな皆さんにまた会いたい。できることがあったら、何でもしたい。
次はいつどうやって行こうか、毎日考えています。


スペイン語圏のどこぞの国から寄せられたオイルサーディンの山。
支援物資はそもそも炊出し用ではないので、業務用ではなく個人家庭用のパッケージが多い。開封するだけでもひと苦労である。

被災地での炊出しとはいかなるものか

2011年05月10日 | 復興支援レポート
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8日間炊出しをしておった訳ですが。

今回参加したNGOの災害支援の炊出し要員は5人1チーム、プラス以前から被災地に居残って炊出しを続けている3人の都合8人。うちぐりと学生ボランティアのひとりを除いた全員が、調理師や管理栄養士など飲食業の実務経験をもつプロである。
みんな経験があるから仕事は早いし綺麗だし、何より手際がいい。そして味にもこだわりがある。米をとぐやら炊くやらいうだけで大激論できるくらい。自分で食べるわけでもなく、商売でつくるわけでもないのに。誰かをもてなすことが、人を喜ばせる行為がただただ好きなのだろう。熱いです。

毎日1000人分の食事となると、食材の量もハンパじゃない。
お米は80キロ/1日、肉は20キロ/1日。野菜類もそれぞれ洗って剥いてカットした状態で巨大なゴミバケツに1~2杯ずつ。
それらはすべて支援物資でまかなわれている。協力企業が定期的に食材を納入してくれるほか、キッチンチームからのリクエストも検討してくれる。足りなくなると自衛隊にねだって譲っていただいたりもする(自衛隊も支援物資を配布している)。
この他に、全国の有志の方々が食材を送って来てくれる。多くは生産者や流通業者の方々で、そうして贈られた野菜はどれも新鮮で質が良く、東京のスーパーではまずお目にかかれないくらい素晴らしい品ばかりである。粒ぞろいの大きなジャガイモ、つやつやと黒光りする茄子、シャキシャキに色鮮やかな小松菜。間違いなくボランティアの食事より炊出しの方が贅沢である。
箱をあけると姿を現す堂々とした立派な野菜たちに、腕をふるう方も興奮する。自分では食べられなくても、いい食材を使っておいしいものをつくるのはやはり楽しい。

日本全国のみならず、世界中から寄せられる支援物資は自治体宛に届けられ、そこからボランティアの拠点で行き先が振り分けられる。
拠点にはWFP(国連世界食糧計画)の倉庫があり、食材はすべてここに集約される。この倉庫の担当者はぐりが参加した団体のボランティアなので、日頃から彼と仲良くしておいて、いいものが届いたら脇へどけておいてもらったり、ほしいものは予めリクエストしておいたりする。
なんと段ボール箱1箱分のこごみが届いたこともある。もちろんキッチンチームでキープである(その直後に帰京したので何に使ったかは不明)。どこのどなたかはわからないが、世の中には気前のいい人もいるものである。だってこごみだよ。箱いっぱいのこごみ。集めるのにどんなに苦労しただろう。

食材だけでなく調味料や調理用具、消毒用アルコールや使い捨て手袋、ラップなどの消耗品やガスボンベも、キッチンにあるものすべてが支援物資である。
キッチンチームの活動は、日本中、世界中の善意で成り立っている。
「おいしかったよ」「ありがとう」と被災者の皆さんに声をかけていただくたびに誇らしい気持ちになるのは、そんな無数の善意の人々の代表として感謝されているからである。
何もできないぐりだけど、被災地に行けばできることがあった。それはほんとうに素晴らしい体験だった。
だから、これを読んでいるあなたにもきっと、できることがある。
ひとりでも多くの人が、被災地に向かってくれることを、心から願う。


支援物資の調理器具。
いまいちばん欲しいのは、屋根と壁のあるキッチン。
そろそろ食中毒が真剣に心配な時期。冷蔵庫もない(小型のが一台きり。もちろん足りるわけがない)、吹きっさらしのこんな環境では、いつなんどき大事故が起きても不思議ではない。
日を追うごとに避難所が集約され、炊出しの数は減少傾向にあるが、数週間後には拠点のそばに仮設住宅が完成する。そうなれば炊出しの需要はまた膨らむだろう。
被災者の方々に少しでも食事を楽しんでほしい。せめてごはんくらいおいしいものを食べてほしい。
東京に戻って来ても、そのことばかりが気になる。

ボランティアのキモチ

2011年05月10日 | 復興支援レポート
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今回出会ったボランティアのほとんどが、ボランティアそのものが生まれて初めてという人ばかりだった。
ぐりは災害支援ではないがボランティアは初めてではない。中には災害支援の経験があるという人もいるにはいたが、はっきりいって経験者は完全に少数派である。
そしてそういうボランティア初心者が何週間も被災地に留まり、活動の中心を担っていたりする。仕事はどーなってるのか?無職なんである。中にはグループ(6人単位)のメンバー全員が無職というケースも少なくない。おそらくボランティア拠点の失業率は日本一高いに違いない。
しかし世間で「無職」「フリーター」と呼ばれる若者たちが、ここでは無償で大活躍している。学校を休学してまで被災地に留まる学生までいる。そして彼らはこれまでボランティアなどやったこともない、社会貢献にはもともと関心のなかった人々である。

しかも彼らにヒロイズムは微塵もない。ぐりも含めて、被災地にいるボランティアはみな、自分自身のために活動している。被災者のためではない。
被災地に受け入れていただけたことに感謝し、現地の皆さんに許していただいて、ここでの活動に参加させていただいている。
何を申し合わせなくても、ここに来れば誰もがそんな気持ちになる。
奉仕活動とは、自分自身のためにやらせていただくことでしかないのだと。

ボランティアなんか本人の意欲次第でどうにでもなるもので、裏を返せば資格も経験も重要ではなくて誰にだってできる。
GWが終わって、被災地では深刻な人不足に悩まされている。
ひとりでも多くの人に、被災地に足を運んでほしい。
これからは夜の寒さも和らぐ季節になる。2~3日でいい。時間のある人は是非行ってほしい。
そこでしかわからないこと、できないことが、あなたを待っている。
お願いします。

東京ボランティア・市民活動ネットワーク 災害ボランティアセンター&ボランティア受け入れ状況 最新情報


日和山公園からの眺望。

ぐり的被災地ライフ

2011年05月10日 | 復興支援レポート
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朝は4時起床(爆)。
理由は寒くて寝てられないから(笑)。防寒対策不足のなせるわざだが、原因の半分は夜明け前からあらんかぎりのフルボリュームでさえずるヒバリの鳴き声でもある。
ぐりのテントは石巻専修大学の敷地の端で、生け垣のすぐ脇は分譲予定の住宅建設予定地、つまり原っぱ、そしてヒバリの営巣地なんである。彼らが毎朝、ぐりのテントの真上でわめきたてるお陰、プラス真冬のような寒さで目が覚める。
しかし活動時間までの3時間以上はやることがない。他のボランティアはみんな寝ているので音もたてられないので、ただただシュラフの中でぼやぼやして過ごす。
6時くらいになると起きてくる人もいるので、身支度を整え、健康補助食品などの乾き物で朝食。
7時半、朝礼。ラジオ体操。
以後のスケジュールは前述の通り。

昼間の作業ではぐりは主に仕込み担当。朝イチは当日使う肉類の下処理。肉は傷みが早いので調理当日に下処理をする。
その後は翌日以降に使う野菜を洗って皮を剥いたり切ったり。つーても1000食単位ですんで量もスゴイです。ケースとか10キロとかで数えます。これをチームのメンバーと、ヘルプに来てくれる他チームの皆さんと手分けして処理する。人海戦術。
しかしそれにしても量が量なので、おかげさんでまだぐりの右手は筋肉痛とゆーか、若干シビレてます。他のメンバーも包丁ダコとかつくってました。

料理が出来上がってデリバリーさんが受取りに来る段階でもぐりはまだ絶賛仕込み作業中なので、ちょいちょいできあがったモノを見ずに終わることもある。食べ残しが出なかったりすると最後まで見ずじまい、匂いをうっすら嗅いだだけの献立もある。運が良ければ残り物を翌日の夕食などでいただくこともある。具は煮崩れて原型はとどめていないが、やはり手作りの野菜たっぷりの料理の方が出来合いの保存食よりはおいしい。とはいえガスも支援物資なので、ボランティアは自前のガスコンロで残り物を温め、お湯を沸かしてレトルトを温めたり、インスタント麺をもどしたりして食事をする。
夕食後はチームメンバーのテントでお茶を飲んだりカードゲームをしたり。
21時消灯。朝も早いし、一日中立ちっぱなしの力仕事なので、イヤでもすぐ寝てしまう。

ハードな毎日だったが、期間中は不思議に疲れはあまり感じなかった。
最終日、新しく到着したキッチンチームに作業の引き継ぎをし、チームのみんなで記念撮影をして帰りのバスに乗った途端、全身に疲労感がどっと襲って来た。不思議なものである。
それでも、その瞬間にも既に、絶対にまた被災地に行こうと決心している自分がいる。
被災地に行きさえすれば、自分にできることは全部したいと、自然に心から思える。
現実に、早く行ける機会が来ることを願っている。