落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

東風吹かば

2013年04月15日 | 復興支援レポート
福島県浪江町にいってきた。

今回のミッションは海岸地域で行方不明の方やその手がかりを探すこと。
地元で活動する団体に参加させていただき、今月避難区域が再編された浪江町で避難解除準備区域になった請戸地区の海岸を一日歩き回った。
ここは浪江町でも最も津波の被害を受けた場所だそうで、140人の住民が犠牲になり、現在も10人が行方不明のままになっている。

2年間誰も立ち入ることのなかった、津波の被災地。
見渡す限り何もなく、時折パトカーが静かに巡回する以外、視界に動くものはまったくない。
瓦礫は自衛隊がかたづけて無造作にまとめてはあるものの、どこに持っていけるわけもなく、ただそこに積まれて野ざらしになっている。
鉄は赤錆て木材は風雨に白く風化し、海風に吹き寄せられた細かな泥砂が積もった上に茂った草が枯れている。
打ち上げられて見る影もなく破壊された漁船や車が至る所に散らばり、朽ちていくままになっている。
崩れた岩壁やテトラポットの間には漁具や生活用品の残骸がびっしりと挟まり、海の下に沈んだ漁船から漏れたらしい油が、波を淡い黄褐色に泡立てる。

倒れた電柱のまわりにちぎれた電線が絡まり、土台だけになった家々にも植物が繁茂し、庭に植えられていたらしい水仙やスミレやヒヤシンスは主はなくとも色とりどりの花を咲かせている。
聞こえる音はヒバリのさえずりやカエルの鳴き声。激しい海風が雀の群れの声のような音をたてて枯れた葦の茂みをわたるのは初めて知った。
大きな野うさぎが音も立てずに草むらを駆け抜け、献花台の周囲に群れるカラスは沈黙のままこちらを見下ろしている。
世にも美しい海岸線の南の高台には、原発の高い建物が見える。距離にして3キロ足らず、目と鼻の先だ。

たった一日、初めての訪問で何が語れるわけでもない。浪江の人に出会ったわけでもない。
感じたこと、見た情景をそのまま書き留めておくことしかできない。

避難解除準備区域になったとはいえ、ほんとうにここでまた人が暮らせるかどうか、正直なところまったくわからない。
海底に沈んだ瓦礫を引き揚げ、致命的に破壊しつくされた漁港を改修したところで、とれた海産物が市場に受け入れられるのはいったいいつのことだろう。考えただけで気が遠くなる。
それでも、帰りたいと願う人がいる限り、なんとかしたいと思う人の気持ちは決して無駄ではないと思いたい。
また来たい、きっと来ようと、強く思った。


「東風吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と詠った菅原道真は1110年前に異郷の地・太宰府で亡くなったけど、請戸の人たちがこの美しい土地に戻れるのはいつの日か。
画像は請戸の民家跡で咲く木瓜の花。

ストリートビューで浪江町の今の風景が見られるので、よかったらどーぞ。
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より大きな地図で 災害ボランティアレポートマップ を表示

Le mal du pays

2013年04月13日 | book
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹著
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名古屋の高校で出会った赤松慶、青海悦夫、白根柚木、黒埜恵理、多崎つくるは子どもの学習支援ボランティアのグループで知りあい、仲の良い親友となったが、つくるが大学2年生のとき、突然4人揃って理由も告げず彼との連絡を絶ってしまう。
死を考えるほど深く傷ついたつくるだったが、やがて回復し、36歳になって初めて心から愛する女性に巡りあい・・・。

青春の輝きとその喪失を描いた物語。一言でいえばそれだけの、とてもシンプルな小説だ。
村上春樹の長編といえば近年は『1Q84』や『ねじまき鳥クロニクル』などの複雑で重い作品がまず思い浮かぶけど、これは逆に『神の子どもたちはみな踊る』や『東京奇譚集』『レキシントンの幽霊』なんかに書かれた短編小説のイメージにより近い。無駄がなく、簡潔で、ストレートだ。
勝手な言い方をすれば、3年ぶりの長編にして「短い小説を書こうと思って書き出したのだけど、書いているうちに自然に長いものになっていきました」と自らコメントしたにしては、若干物足りない気もする。でもこの作品単体として読めば、これはこれで非常に完成度の高い小説だともいえる。純粋に洗練されていて、それでいて究極に繊細だ。まるで十代の子どもの生命力のように。

誰にとっても十代の頃、青春時代というのは触れがたく懐かしく美しい。
それは年をとればとるほど当り前に遠くなり、遠くなればこそより触れがたく懐かしく美しくなる。しかしそのセンチメンタルに囚われ続けることは重荷にもなる。どんなに大事な思い出でも、思い出は思い出として後に置いて、人は前に進まなくてはならない。永遠に十代でいることはできないから。
そうして前に進めば進むだけ、思い出はさらに光り輝くのだ。
いつまでも若くはいられなくても、生まれながらに与えられていたものをどこかで失ったとしても、人は年とともに自ら別のものを得て、だんだんに自分で価値をみつけて獲得したもので人生を埋めていく。それを成熟という人もいる。
二度と青春時代に戻ることはできなくても、人は意志さえあれば自分で自分を輝かせることができる。
そういうことが、とてもわかりやすく、優しく綴られた物語だ。

主人公のつくるは、青春時代のたいせつな存在を、ある日突然なんの説明もなく奪われてしまう。
それは彼にとって生身の肉体の一部をもぎとられるほどの痛みをもたらした。そしてその傷は、彼が表面的に回復した後も、彼の対人関係に大きな問題を残すことになった。とはいえつくる自身は問題もなく生きていけると思っていた。
36歳で木元沙羅に出会うまでは。
2歳年上の彼女は、つくるに自分でその問題に決着をつけるように迫り、手助けまでする。無駄もなく、簡潔に、ストレートに。
村上春樹の小説によく登場する女性だ。ミステリアスだが多くの示唆を主人公に与える、巫女のような存在。スリムでオシャレで頭がよく、そして絶対的に強い。たぶん村上氏にとっては理想の女性なんだろうなあ。

つくるは彼女のいう通り、かつての親友を順番に訪ねて歩く。会える限り会いにいく。
つくるにとっては、16年前の古傷を覗きこむことは本意ではなかったはずだ。だが彼は沙羅という女性を心から求めていた。だからふたりの間の障壁となるものを排除するために、過去に向きあうことを選ぶ。
沙羅は38歳という設定だが、彼女もまたつくるを等しく求めていたのだと思う。人は簡単には誰かを救うことはできない。少なくとも、誰かを救うのは本人自身でしかないことくらいは、いい年をした大人なら誰にでもわかる。
それでも沙羅がつくるを救いたい、救われてほしいと願ったのは、彼女自身につくるが必要だったからだと思う。
そんなふうに対等に留保なく、人と人が求めあえるだけでも、とても幸せなことだと思う。

読んでいてとても切なかったし悲しかったけど、最後にはすっきりと清々しい気持ちになれる本でした。
これからまたゆっくり読み返したいし、また時間が経てば違った感覚で読めそうです。


作中に登場するフランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』。
ラザール・ベルマンの演奏が収録されたアルバム『巡礼の年』はこの小説の発売を機に再発されるそうです。春樹効果すげえ。
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The Wind That Shakes The Barley

2013年04月09日 | movie
自習がてら2006年の映画『麦の穂をゆらす風』のタイトルにもなったアイリッシュ・トラッドの歌詞を訳してみた。



The Wind That Shakes The Barley
作詞:Robert Dwyer Joyce
作曲:不詳

I sat within the valley green
I sat me with my true love.
My sad heart strove the two between
The old love and the new love.
The old for her the new
That made me think on ireland dearly.
While the soft wind blew down the glade
And shook the golden barley.

T’was hard the woeful words to frame
To break the ties that bound us.
But harder still to bear the shame
Of foreign chains around us.
And so I said the mountain glen
I’ll meet at morning early.
And I’ll join the bold united men
While soft winds shook the barley.

T’was sad I kissed away her tears
My fond arm round her flinging.
When a foe, man’s shot burst on our ears
From out the wild woods ringing.
A bullet pierced my true love’s side
In life’s young spring so early.
And on my breast in blood she died
While soft winds shook the barley.

But blood for blood without remorse
I’ve ta’en at oulart hollow.
I’ve lain my true love’s clay like corpse
Where I full soon must follow.
Around her grave I’ve wandered drear
Noon, night, and morning early.
With breaking heart when e’er I hear
The wind that shakes the barley.

緑の峡谷に座っていた
真の愛を抱いて
心はかつての愛と新たな愛に引き裂かれていた
かつての愛は恋人に
新たな愛はアイルランドを慕った
静かな風が峡谷を渡り
黄金色の麦の穂をゆらしていた

ふたりの絆を断つつらい言葉
唇は堅く閉ざされた
異国の鎖に縛られる屈辱はより重く
だから彼女に告げた
明日の朝早くあの山で男たちに加わろう
風は穏やかに麦の穂をゆらしていた

彼女の涙に悲しいキスを
お気に入りの気ままな彼女
森の中 耳元を銃声がかすめるとき
人生の春 弾丸は愛の隣を突き抜けていった
この胸の血に彼女は死んだ
風は穏やかに麦の穂をゆらしていた

改悟もなく血が流れ
窪地を奪う
土塊のような真の愛に横たわり
いま従わねば
彼女の墓をさまよい
午後に 夜に 早い朝にも
胸がはりさけるとき聞こえる
風は麦の穂をゆらしていた


詩人ロバート・ドワイヤー・ジョイスがユナイテッド・アイリッシュメンの1798年の蜂起を歌った詞に、19世紀、武器でイギリス支配に抵抗した青年アイルランド党の某が曲をつけた。
イギリス支配に対する「レベル・ソング」(反逆歌)の代表曲でもあり、独立戦争時代、イギリスの弾圧や戦争で亡くなった人を弔う時に歌われた定番の歌とのこと。

夢しんどい

2013年04月07日 | diary
今日もまた生々しい夢の話。

季節は真夏。夢の中でぐりはおそらく30歳くらい。
知人男性が低予算の深夜ドラマに主演することになり、ロケ地近くのぐりの実家にクルーや出演者を泊めることになる。
もとから知っている人はクルーにはいないので、人見知りで業界人が苦手なぐりは家の中でも彼らを避けている。撮影前日の夜も、飲みにいくという彼らの誘いを断ってさっさと寝てしまう。

が、視線を感じて目が覚めると、自室(2階)のベランダに4人の人影があり、ベッドで寝ているぐりの姿を見て笑っているのがわかる。
ぞっと全身が総毛立つのだが、咄嗟に悲鳴が出てこない。
人影は人体から泊めているクルーの何人かだということははっきりしている。だがここでことを荒立てると、ドラマの制作そのものに悪影響がでるからと、ついがまんしてしまう。
ただショックをひとりで消化しきれず、唯一の女性クルーに愚痴紛れに覗きのことを話しておく。

翌朝。
ドラマにはなりゆきでぐりもチョイ役(主人公のパートナー・出演シーン3回)で出演する予定になっているのだが、出番はその日の遅い時間になってから、ナイトシーンである。
昼間も実家のすぐ傍でロケをしていてそれを見学していたのだが、前夜にそういうことがあってまったく眠れなかったためについ居眠りをしてしまう。
気づくとクルーはその場所での撮影を終えて、ぐりを置いて別のロケ場所に移動してしまっていた。

目が覚めてから慌てて仕度して出かけようとするのだが、香盤表(スケジュールやロケ場所など、その日の撮影情報を書いて関係者に配布する表)がどうしても見つからず、どこに行けばいいかもわからない。
もうだめだ、と思い「アカン」と寝言をいったところで目が覚めた。


前職が映像制作でセクハラ上等の男社会で何年も過ごしたぐり。
でも、環境が男社会だからといって、誰もが女性差別を受け入れられるように適応するかどうか、またそうあるべきかどうかはまったく別問題である。
ぐりはほんの幼い頃から今までに何度も何度も痴漢やセクハラや覗きやストーカーの被害に遭ってきたが、これまでにその怖さ、悔しさ、情けなさ、心の傷を誰かに理解してもらえたことはいっさいない。誰にも理解されないから、ひたすら孤独に苦しむだけ。ただしんどいだけ、男性に対する不信だけが心の中に積もっていった。
なのでぐりは40代の今も男性不信、男性恐怖症のままだ。

つい最近もその手のことで非常にしんどいことがあり、正直にいって精神的にもダメージを受けている。
状況的には夢の中とだいたい同じ。解決策はぐりががまんする以外にみつからない。
夢の中でまでこんなことをがまんしなきゃいけないのかと思うと、自分で自分が情けない。

逃亡夢

2013年04月06日 | diary
地震で目が覚めたが、すごく生々しい夢を見たので記録。しかし震度1で起きるて自分・・・。

ぐりは仕事で国内・海外の環境保護活動家たち10人余りといっしょに山荘に滞在している。
国際会議を兼ねて各地を移動しながらの長い研修旅行が終り、明日は下山・解散という夜の深夜過ぎに、たまたま近くにいた国内の別のある活動家グループから支援要請が飛び込んでくる。
彼らは少人数の人権活動家なのだが、アフガニスタン(だと思う)の著名な民主化活動家一家の亡命を支援していて、今、日本で匿っているのだが、それが日本にいるタリバン(?)にバレて危険な状態になっている。
おまけに一家の十代の娘が妊娠していたことに活動家グループが気づかず、今夜になって陣痛が始まってしまった。出産したらすぐに海外の別の協力者に引き渡したいのだが、カムフラージュに協力してほしいという。

その夜、折り悪く山荘に残っていたのはぐりと他に2人だけで、残りは山頂からの朝日を見る一泊登山に出かけてしまっていた。非常用の衛星電話で連絡をとり、要請を受けることに決まる。
まず段取りとして、登山グループは予定通り夜明けと同時に下山する。居残り3人は、彼らが帰ってきたらそのまま出発できるように、最小限の荷物をまとめて用意しておく。
人権活動家グループは出産が済んだら速やかに一家を山荘まで連れてくる。
全員揃ったら、事後処理要員の一名を残して退去、海外組に紛れて一家を空港まで送っていく。

ぐりを含めた居残り組はすさまじい勢いで荷造りを済ませ、積み込みをし、やきもきしながら登山グループと一家の到着を待っている。そうしている間に計画が漏れて、こちらの身も危険になるのではないかとひどく怖くなる。現にタリバンの工作員らしき複数の人物が、既に麓の駅周辺で目撃されたという情報が人権活動家グループから入ってくる。
しかも出産は娘が若くて初産のためか長くかかり、一家が山荘に合流したのは登山グループの到着とほぼ同時の朝になってからだった。出産直後の少女と生まれたての新生児をいきなり車で長距離移動させることにかなりの不安を感じるが、若さで耐えてほしいと祈るしかない。
と同時に、百戦錬磨の有名民主化活動家が国外脱出を決めたのは、この子の出産を控えていたからだと気づく。やはり親は親なのだと思う。

ガレージで静かに出発準備をしていると、山荘の外に突然軽ワゴン車が現れ、TVの取材クルーが車から降りる間もなくカメラを向けてくる。
駆け寄って窓を閉めるようにそっと指示するが、人権活動家グループからは、情報発信のためにもカメラマンだけでもこちらの逃亡車に同乗させてはどうかという意見が出る。メディアに現状を訴えることで、世論を味方につけたいという強かな戦略である。
だがメディアに計画が漏れているとなればその先は知れている。
逃亡車に乗れる人数もギリギリ、ぐりの焦りもMAXに近づいてくるが、海外組は情報伝達に問題があるらしく、どうしても危機意識に温度差が出てしまう。

いよいよ出発というとき、事後処理要員の女性スタッフに、後のことと猫一匹の世話を依頼する。旅行に連れてこられていたグループの飼い猫だが、今回のミッションにはいっしょに連れていけないので、置いていくことになったのだ。
女性スタッフと猫の安全を心配しながら山荘を出ようとしていたときに、目が覚めた。


ぐりは一昨年から国際NGOで仕事を始めたが、その前にもまた別の国際NGOでボランティアをしていた期間がある。現実にはまだ研修旅行や緊急ミッションを経験したことはないが、話だけはいろいろ聞いている。
誤解を恐れずにいえば、実際に国際NGOは常に法律スレスレのところで活動しているので、公安やメディアや暴力組織の監視からは逃れられない。
そういう妙なプレッシャーで見た夢なのかもしれない。あとぐりは飛行機(もしくは新幹線)に乗り遅れる夢を時々見るのだが、これもまたその一種のような気もする。
それにしても猫かわいかった(そこか)。