福島県浪江町にいってきた。
今回のミッションは海岸地域で行方不明の方やその手がかりを探すこと。
地元で活動する団体に参加させていただき、今月避難区域が再編された浪江町で避難解除準備区域になった請戸地区の海岸を一日歩き回った。
ここは浪江町でも最も津波の被害を受けた場所だそうで、140人の住民が犠牲になり、現在も10人が行方不明のままになっている。
2年間誰も立ち入ることのなかった、津波の被災地。
見渡す限り何もなく、時折パトカーが静かに巡回する以外、視界に動くものはまったくない。
瓦礫は自衛隊がかたづけて無造作にまとめてはあるものの、どこに持っていけるわけもなく、ただそこに積まれて野ざらしになっている。
鉄は赤錆て木材は風雨に白く風化し、海風に吹き寄せられた細かな泥砂が積もった上に茂った草が枯れている。
打ち上げられて見る影もなく破壊された漁船や車が至る所に散らばり、朽ちていくままになっている。
崩れた岩壁やテトラポットの間には漁具や生活用品の残骸がびっしりと挟まり、海の下に沈んだ漁船から漏れたらしい油が、波を淡い黄褐色に泡立てる。
倒れた電柱のまわりにちぎれた電線が絡まり、土台だけになった家々にも植物が繁茂し、庭に植えられていたらしい水仙やスミレやヒヤシンスは主はなくとも色とりどりの花を咲かせている。
聞こえる音はヒバリのさえずりやカエルの鳴き声。激しい海風が雀の群れの声のような音をたてて枯れた葦の茂みをわたるのは初めて知った。
大きな野うさぎが音も立てずに草むらを駆け抜け、献花台の周囲に群れるカラスは沈黙のままこちらを見下ろしている。
世にも美しい海岸線の南の高台には、原発の高い建物が見える。距離にして3キロ足らず、目と鼻の先だ。
たった一日、初めての訪問で何が語れるわけでもない。浪江の人に出会ったわけでもない。
感じたこと、見た情景をそのまま書き留めておくことしかできない。
避難解除準備区域になったとはいえ、ほんとうにここでまた人が暮らせるかどうか、正直なところまったくわからない。
海底に沈んだ瓦礫を引き揚げ、致命的に破壊しつくされた漁港を改修したところで、とれた海産物が市場に受け入れられるのはいったいいつのことだろう。考えただけで気が遠くなる。
それでも、帰りたいと願う人がいる限り、なんとかしたいと思う人の気持ちは決して無駄ではないと思いたい。
また来たい、きっと来ようと、強く思った。
「東風吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と詠った菅原道真は1110年前に異郷の地・太宰府で亡くなったけど、請戸の人たちがこの美しい土地に戻れるのはいつの日か。
画像は請戸の民家跡で咲く木瓜の花。
ストリートビューで浪江町の今の風景が見られるので、よかったらどーぞ。
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今回のミッションは海岸地域で行方不明の方やその手がかりを探すこと。
地元で活動する団体に参加させていただき、今月避難区域が再編された浪江町で避難解除準備区域になった請戸地区の海岸を一日歩き回った。
ここは浪江町でも最も津波の被害を受けた場所だそうで、140人の住民が犠牲になり、現在も10人が行方不明のままになっている。
2年間誰も立ち入ることのなかった、津波の被災地。
見渡す限り何もなく、時折パトカーが静かに巡回する以外、視界に動くものはまったくない。
瓦礫は自衛隊がかたづけて無造作にまとめてはあるものの、どこに持っていけるわけもなく、ただそこに積まれて野ざらしになっている。
鉄は赤錆て木材は風雨に白く風化し、海風に吹き寄せられた細かな泥砂が積もった上に茂った草が枯れている。
打ち上げられて見る影もなく破壊された漁船や車が至る所に散らばり、朽ちていくままになっている。
崩れた岩壁やテトラポットの間には漁具や生活用品の残骸がびっしりと挟まり、海の下に沈んだ漁船から漏れたらしい油が、波を淡い黄褐色に泡立てる。
倒れた電柱のまわりにちぎれた電線が絡まり、土台だけになった家々にも植物が繁茂し、庭に植えられていたらしい水仙やスミレやヒヤシンスは主はなくとも色とりどりの花を咲かせている。
聞こえる音はヒバリのさえずりやカエルの鳴き声。激しい海風が雀の群れの声のような音をたてて枯れた葦の茂みをわたるのは初めて知った。
大きな野うさぎが音も立てずに草むらを駆け抜け、献花台の周囲に群れるカラスは沈黙のままこちらを見下ろしている。
世にも美しい海岸線の南の高台には、原発の高い建物が見える。距離にして3キロ足らず、目と鼻の先だ。
たった一日、初めての訪問で何が語れるわけでもない。浪江の人に出会ったわけでもない。
感じたこと、見た情景をそのまま書き留めておくことしかできない。
避難解除準備区域になったとはいえ、ほんとうにここでまた人が暮らせるかどうか、正直なところまったくわからない。
海底に沈んだ瓦礫を引き揚げ、致命的に破壊しつくされた漁港を改修したところで、とれた海産物が市場に受け入れられるのはいったいいつのことだろう。考えただけで気が遠くなる。
それでも、帰りたいと願う人がいる限り、なんとかしたいと思う人の気持ちは決して無駄ではないと思いたい。
また来たい、きっと来ようと、強く思った。
「東風吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と詠った菅原道真は1110年前に異郷の地・太宰府で亡くなったけど、請戸の人たちがこの美しい土地に戻れるのはいつの日か。
画像は請戸の民家跡で咲く木瓜の花。
ストリートビューで浪江町の今の風景が見られるので、よかったらどーぞ。
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