ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島観音

2011年09月06日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
荒海や 九十才の 人柱

嘉吉の乱。
赤松七人衆 旗手一族の末裔が亡くなった。
嵐に向かってドンキホーテのごとくに挑んだのか。
荒海を鎮め、オフェリアのように浜辺まで漂ったのか。
末裔は、はるか昔の獅子奮迅の夢を見たか。

(空木宝剣)

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旗正丸か、百島丸か、野木丸だったか?

ふと、作家の志茂田景樹さんも乗船して、感涙していたのを思い出した。

旗正丸・・。

何度かお世話になりました。

最後に乗船させて頂いたのは、しまなみ海道が全通した記念日で、常石のベラビスタ境ガ浜のホテルには、皇太子ご夫妻が宿泊。

山陽高速道から、とんでもない大渋滞に巻き込まれて、百島への最終便に間に合わなかった。

他の島は、しまなみ海道(橋)でつながり、交通便がよくなったのに・・この不便さ。

翌日か翌々日には、Uターンせねばならず、どうしても当日に百島に帰省したかった。

夜遅く22時半頃、浦崎の道越の桟橋まで、旗正丸に迎えにきて頂いたのを思い出す。

まだ、3歳か4歳だった息子と、船首に座って、ポン、ポン、ポンポン・・と船の音を聴きながら・・親子で、声を出して真似る。

百島へ帰る不便さの苛立ちが・・雲散霧消する。

楽しそうに、はしゃぐ息子と、そして、ポンポン船が、一掃してくれたのである。

そして、笑いながら、帰省できた・・楽しい思い出に変わった。

あの日の夜、月明りに浮かぶ百島を眺めながら、あのポンポンという響きがこだました光景を、私と息子は、今でも鮮明に憶えている。

百島の思い出が、またひとつ、遠くになったような気がする。

だが、輝いている。

感謝です。

旗手正守さんの御冥福を深くお祈りいたします。

合掌。