ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島帰省日記

2013年08月18日 | 百伝。
Facebookを利用している方ならば、タイムリーに情報の閲覧、発信受信可能なのですが、Facebook疲れ、 Facebook嫌い、または、無関心となると、どのような情報が伝達されているのか分かりません。

そこで、僕なりの「百島帰省日記」をまとめさせていただきました。

今回の帰省時、東京おもちゃ美術館館長の多田千尋さんの「百島・ルーツ探しの旅」のお手伝いをさせて戴きました。

ファミリー・ヒストリーならぬ感動秘話でした。

了解を得て、インタビュー時に録音しておけば、よかったかなぁ・・という些か後悔があります。

多田千尋さんの御祖父である多田篤一さんの一生涯は、波乱万丈でした。

秘話は、90年昔に遡ります。

大正期、多田家一族は、兵庫県宝塚での建築事業が失敗、破綻に陥ります。

・・百島へ戻る多田一族と別れ、篤一さんは、神戸へ。

そこで出会ったのが、賀川豊彦氏(社会事業家、生協神戸設立、ノーベル平和賞候補)。

彼の助言により、東京新宿の落合へ。

苦学のうえ、建築家になり、神社仏閣や教会を設計しており、それらは、現在も残存しています。

ここでは掘り下げて書いてはいけないぐらい深い深い「母独り子独りの親子愛」を貫いた篤一さんの生涯でした。

我が家も多田家とは、遠縁になるようで、百島のほとんどの家は、どこかで繋がっているのかもしれません。

・・多田家のファミリー・ヒストリーは、これぐらいにしておきます。

多田家での集合写真です。


(写真提供:facebookよりシェア)

ところで、個人的な興味深い文学見解です。

新宿区落合という場所には、同郷尾道の林芙美子も暮らしており、「二十四の瞳」の作家、壺井栄さんとも交流があったようです。

これで腑に落ちたのですが、二十四の瞳の舞台は、小豆島なのですが・・壺井栄さんの作品には、ずっと、百島の香りがしていました。

ほんとうに、今回の多田千尋さんの百島訪問は、いろんなことをお話しをする機会も得て、多くの示唆を戴きました。

そのアイデアも豊富なこともさることながら、多田千尋という人物は、現代日本の賀川豊彦に成り得るかもしれません。

当日、多田千尋さんを囲んでのBBQをした光景写真です。


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同級生のやっちゃん、ひろき、ひで、とし、よし、そして、紅一点のかずちゃん・・楽しかったなぁ!!

我ら同級生は、誇るべき妙な可笑しさがある・・感謝です。

キャプテン・・海ホタルの写真はないけど、青い線香花火のように手から放つシーンは、仰天吃驚しました。

あなたは、凄い!!

全員で一緒に見た・・2013年、平成25年8月12日の夕日です。


(写真提供:facebookよりシェア)

そして、多田さんのお二人の息子さんが、これからの人生の中で「百島での出来事」を思い出せば、どんなことにぶつかっても元気の糧になりますように・・。

ファイトです。


(写真提供:facebookよりシェア)

また会う日まで。